尚思紹王 | |
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琉球国中山王 琉球国王 | |
在位 | 1406年-1421年 |
全名 | 思紹 |
神号 | 君志真物 |
居城 | 佐敷城 |
出生 |
1354年 |
死去 |
1421年 |
埋葬 |
1421年 佐敷ようどれ |
王世子 | 尚巴志王 |
子女 | 尚巴志 |
家名 | 第一尚氏 |
王朝 | 第一尚氏王統 |
父親 | 鮫川大主(伝承) |
母親 | 大城按司の娘(伝承) |
尚 思紹王(しょう ししょうおう、1354年 - 1421年)は、琉球王国の第一尚氏王統・初代国王(在位:1406年 - 1421年)。本名は思紹で、尚姓は後に送られたものである。もと山南(南山)国の佐敷按司。神号は君志真物(きみしまもの)。父は鮫川大主、母は大城按司の娘。
1406年、嫡男の尚巴志は中山王武寧を滅ぼし、明の永楽帝に使いを遣わして、思紹を奉じて中山王とした。在位16年の間に明に30回の進貢をしている。また思紹の時代、永楽年間は動乱の時代でもあり、南山に勢力を伸ばし、1416年には北山侵攻で北山を滅ぼし、琉球統一の動きをみた。
思紹夫妻らの墓所の佐敷ようどれは、航空自衛隊知念分屯基地内にある。
近年、漢文学者の石井望は、『皇明實録』所載の蘇惹爬燕之、師惹、思紹、尚巴志はともに山南領域の「すざ(べじ)」(兄、王)の福建漢字音であるとする新説を立てている[1][2][3][4][5]。