尚益王 | |
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琉球国王 | |
在位 | 1710年-1712年 |
全名 | 尚益 |
烏帽子親 | 阿邦卿・伊舎堂親方守浄[1][2] |
出生 |
1678年12月8日 |
死去 |
1712年8月16日(満33歳没) |
埋葬 | 琉球国・首里玉陵 |
王世子 | 尚敬 |
配偶者 | 別記 |
子女 | 別記 |
家名 | 第二尚氏 |
王朝 | 第二尚氏王統 |
父親 | 尚純 |
母親 | 聞得大君加那志(号・義雲) |
サイン |
尚益王(しょうえきおう、1678年12月8日(康熙17年10月25日) - 1712年8月16日(康熙51年7月15日))は、琉球王国第二尚氏王統の第12代国王(在位1710年 - 1712年)。第11代国王尚貞王の孫で、中城王子尚純の子。
祖父の尚貞王のときに魏士哲・高嶺徳明が中国に渡り補唇術を学んだが、それは王孫・尚益が兎唇であったためらしい。伝承では、尚益は口髭を生やして傷を隠したため、その子らも父が兎唇であった事を知らなかったと伝えられる。
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