屋敷 豪太 | |
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出生名 | 屋敷 豪太 |
別名 | Gota |
生誕 | 1962年2月26日(62歳) |
出身地 | 日本 京都府綾部市 |
学歴 | 京都府立綾部高校卒業 |
ジャンル |
ロック レゲエ |
職業 |
ドラマー プロデューサー |
担当楽器 |
ドラムス ギター |
活動期間 | 1982年 - 現在 |
共同作業者 |
鈴木賢司 シンプリー・レッド ソウル・II・ソウル ネリー・フーパー ティム・シムノン プラスチックス ミュート・ビート The d.e.p FIASCO 3 Kōkua MELON Renaissance VITAMIN-Q featuring ANZA DUBFORCE |
公式サイト | GOTA.com |
屋敷 豪太(やしき ごうた、1962年2月26日 - )は、日本のミュージシャン、ドラマー、音楽プロデューサーである。京都府綾部市出身。
京都府立綾部高等学校卒業後に上京。
1987年、中西俊夫、藤原ヒロシらとダンスミュージックを中心としたレコードレーベル「Major Force」を設立した。
1988年に渡英。1989年にソウル・II・ソウルでプログラミング等[1]を担当したシングル「Keep on Movin'」が、全英チャート5位[2]を記録、続いてリリースされたシングル「Back to Life」は、全英チャート1位(Music Week)[3]、全米チャート4位(ビルボードHot100)[4]を記録した。
1990年、全英チャート1位(Music Week)[5]、全米チャート1位(ビルボードHot100)[6]を記録したシネイド・オコナーのシングル「愛の哀しみ(Nothing Compares 2 U)」では、全楽器の演奏とプログラミングを担当した[7]。
1991年、シンプリー・レッドにドラマーとして正式加入、ワールドツアーを行うなど同グループの円熟期を支えた。同年にリリースされたアルバム「スターズ」は全英チャート1位を12週間記録[8]。
1995年、映画「バットマン フォーエヴァー」のサウンドトラックからシングルカットされ、全米チャート1位(ビルボードHot100)[9]、全英チャート4位(Music Week)[10]を記録したシールのシングル「Kiss From A Rose」に参加した[11]。
1997年、アルバム「It's So Different Here」がアメリカでリリースされ、ビルボードR&Bチャートで1位を記録した[12]。
シンプリー・レッドの活動と並行して、ネナ・チェリー、マッシヴ・アタック、アラニス・モリセット等の作品でプログラミングやアレンジを担当し、デペッシュ・モード、ビョークの楽曲ではリミックスを手掛けた。
2010年のプラスチックス再結成時にはドラマーとして参加した[13]。
2015年、ミュートビート時代のメンバーらと共に、ライブ・ダブ・バンドのDUBFORCEを結成した[14]。
原発問題・放射能問題についての団体「オペレーション・コドモタチ」の賛同者[15]。