![]() | |
種類 | 株式会社[1] |
---|---|
市場情報 | |
本社所在地 |
![]() 〒144-0052 東京都大田区蒲田5丁目29番3号[1] 酒巻ビル7F |
本店所在地 |
〒150-0011 東京都渋谷区東2丁目23番3号[2] |
設立 | 1947年6月3日 |
廃止 | |
業種 | 電気機器 |
法人番号 | 9011001040216 |
事業内容 | 音響・映像・情報機器の製造販売 |
代表者 | 破産管財人 相澤光江[2] |
資本金 | 53億8215万8621円[1] |
発行済株式総数 | 13億6,299万9,999株 |
売上高 | 525億5200万円(1984年10月期)[1] |
営業利益 |
連結:△1億8,600万円 単独:△1億8,500万円 (2011年12月期) |
純利益 |
連結:△55億2,700万円 単独:△56億200万円 (2011年12月期) |
純資産 |
連結:△2億4,200万円 単独::△2億2,100万円 (2011年12月現在) |
総資産 |
連結:2,600万円 単独:連結:2,600万円 (2011年12月現在) |
従業員数 |
連結:5人、単独:5人 (2011年現在) |
決算期 | 12月31日 |
主要株主 | ハイテック・プレシジョン・プロダクツ・リミテッド 40.6% |
主要子会社 |
|
外部リンク | 公式サイト(アーカイブ) |
山水電気株式会社(さんすいでんき)は、1944年に創業し東京都に本社を置き音響機器の製造を手掛けていた企業。2014年7月9日に破産した[3]。
創業者の菊池幸作[注釈 1]は山水電気の社名を社是で「山のごとき不動の理念と水の如き潜在の力」と表現した。経営理念としては「高品質・高信頼性」をモットーにして得意のトランスを基調にHi-Fiアンプの生産・販売を1954年(昭和29年)に開始した。90%以上を日本国外で販売して高級アンプのブランド“sansui”として知られた。
1944年に菊池幸作が東京都渋谷区で山水電気製作所として個人創業。創業時はトランスの生産・販売が主な事業内容で、1947年に株式会社に改組し社名を山水電気に変更した。1950年代からは前園俊彦らと共にオーディオ機器の生産にも乗り出す。
1969年(昭和44年)に海外向けに商品化されたAM-FM 2BANDのレシーバーMODEL5000がベトナム戦地の米軍PX(売店)で大ヒット、オーディオ機器生産・販売へシフトした。なお山水ブランドのトランスの製造・販売・宣伝は、1979年に橋本電気(東京都葛飾区)へ移管された。
米軍PXに依存していたことや、松下電器産業や日立製作所などの大手電機メーカーがオーディオ機器に進出したこともあり、1971年のニクソン・ショック以降は業績が悪化していった[4]。それが故に1970年代から1980年代にかけては、労使対立が続いた。第二組合(約1000人)に対して第一組合(約400人)はより活動的であり、これに目を付けた興信所が、会社側に労働組合委員長を転職させることを持ち掛けて500万円を得た上で、委員長に覚せい剤取引の濡れ衣をきせようとした事件も発生した[5][6]。この事件の責任を取る形で創業者社長の菊池幸作は1974年に引責辞任した。1977年から1980年にかけては合理化をめぐって労使間で対立が起き、長野事業所から他事業所への配置転換や退職強要は不当として、サンスイ労働組合の組合員が長野県地方労働委員会へ不服を申し立てる事態に陥った。長野県地方労働委員会は1983年(昭和58年)10月、組合員の主張を認める決定を下した[4]。
1980年代のオーディオブーム全盛の頃には、パイオニアやトリオ(現・JVCケンウッド)と並んで「オーディオ御三家」と呼ばれた[3]。特にステレオアンプ技術では名門とされ、JBLの日本総代理店にもなった[1]。1984年(昭和59年)10月期には525億5200万円の売上高を記録した[1]。
その後、オーディオブームの衰退やデジタル化の波などにより経営が悪化。1989年(平成元年)には英国PPI(ポリーペック・インターナショナル)の出資を受け傘下となった。翌年PPIは破綻。1991年に香港セミテックの傘下となる。1993年には財政面を立て直すべく東京都杉並区にあった本社の土地・建物を売却したが、その後も経営は好転せず、1999年にはセミテックが破綻し、香港の嘉域集團有限公司(ザ・グランデ・ホールディングズ・リミテッド)から、財政支援を受けた。その後は本社所在地を転々とした。
2001年には自社の製造拠点がなくなり、音響・映像機器事業からの売上が減少、過去に販売した製品のアフターサービス事業が中心になった[7]。この頃には株価が1円~3円程度で推移し、いわゆる「低位株」銘柄の代表格として個人投資家などの間で有名だった。
2011年(平成23年)5月11日付で、親会社の嘉域集團有限公司が事実上の倒産状態になったことで山水電気の資金繰りが悪化。さらに、親会社の債権が取り立て不可能になったため債務超過に陥った[1]。
2012年(平成24年)4月2日、山水電気は東京地方裁判所に民事再生法の適用を申請した[1]。この時点での負債は約2億4,765万円。民事再生手続きは受理され、同年12月27日付で終結した[1]。しかし、その後も資金繰りの目途がつかず、2014年(平成26年)7月9日には東京地裁より破産手続開始の決定を受けた[3][1]。負債は約3億5,000万円[3][1][2]。
2012年(平成24年)から2021年(令和3年)までドウシシャがSANSUIブランドを使用していた[8]。2021年現在は外部委託により、サンスイの音響製品は再生機(レコードプレーヤー・CDプレーヤー等)・録音機(オープンリールデッキ・カセットデッキ・MDレコーダー等)類、ミニコンポなどを除き、有償でメンテナンス(調整・修理)を受けることが出来る。
山水電気は2018年(平成30年)8月13日に法人格が消滅した[9]。
1972年(昭和47年)1月1日、従業員の老後生活の安定を目的に山水電気厚生年金基金が設立された。基金は会社の経営状況と運用環境の悪化により2001年(平成13年)に解散することになったが、110億円にのぼる資産を受給中の退職者と加入社員に分配していた。
SANSUIのブランドの製品は世界各地で販売されている。2012年ドウシシャがSANSUIブランドの日本国内ライセンスを取得、同ブランドの製品を発表[18][19]した。その他にも以下の例がある。
2013年12月、ドウシシャからSANSUIブランドのVHSビデオカセットプレーヤーが発売された[25]。それに加え安価なミニコンポやCDミニラジカセ、ステレオミニラジカセなどのジェネリック家電も発売された。2021年8月を以ってSANSUIブランドの使用を終了し、同年9月より順次、ORIONブランドに取って代わられた。