山田 修司(やまだ しゅうじ、1956年6月2日[2] - )は、日本のバレーボール選手・監督。元全日本。
北海道札幌市出身[2]。東海大四高では3年時にインターハイと国体で優勝[2]。
1975年に富士フイルムに加入し[2][3]、入団1年目からレギュラーに抜擢された[2]。1984~88年の富士フイルムの日本リーグ5連覇には、選手・主将として大きく貢献、杉本公雄・ 御嶽和也・蘇武幸志・三橋栄三郎らとともに黄金時代を築き上げた。
1979年以来全日本メンバーとしても活躍し[3]、1981年のワールドカップでは敢闘賞を受賞。1984年のロサンゼルスオリンピックでも、主将としてチームを牽引した[2]。
1987年に現役を引退[2]。その後1992年に富士フイルムの監督に就任し、同年の日本リーグで優勝[2]。その後も2001年まで監督を務めた[3][4]。
- 1975年 - 第9回日本リーグ スパイク賞、新人賞
- 1978年 - 第12回日本リーグ 敢闘賞、ベスト6
- 1979年 - 第13回日本リーグ 敢闘賞、ベスト6
- 1980年 - 第14回日本リーグ 敢闘賞、ベスト6
- 1981年 - 第15回日本リーグ 最高殊勲選手賞、ベスト6
- 1982年 - 第16回日本リーグ 敢闘賞、スパイク賞、ベスト6
- 1983年 - 第17回日本リーグ 最高殊勲選手賞、スパイク賞、ベスト6
- 1984年 - 第33回黒鷲旗 敢闘賞
- ^ “国際大会記録│日本バレーボール協会”. archive.jva.or.jp. 2024年12月13日閲覧。
- ^ a b c d e f g h 日本工業新聞 1998.07.29「監督さん登場“喜努愛楽”:富士写真フイルム バレーボール部監督・山田修司さん」
- ^ a b c 毎日新聞 2001.04.19「[羽ばたいて半世紀]黒鷲旗バレーボール/8 元富士フイルム・山田修司さん」
- ^ 読売新聞 2002.05.12「男子バレーボールの古豪、富士フイルム廃部へ 「将来的な魅力に限界」」
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