いわさきふくぞう 岩崎福三 | |
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生誕 |
1925年3月11日 鹿児島県 |
死没 |
2012年2月29日(86歳没) 鹿児島県 |
出身校 | 立教大学経済学部経済学科 |
職業 | 実業家 |
子供 | 岩崎芳太郎(第3代社長) |
岩崎 福三(いわさき ふくぞう、1925年3月11日 - 2012年2月29日[1])は日本の実業家で、鹿児島県に本拠を置く企業集団・岩崎産業の会長。
鹿児島県出身[2]。旧制立教中学校(現:立教池袋中学校・高等学校)を経て、1948年に立教大学経済学部を卒業[2]。1965年千石運送社長、1968年岩崎産業副社長、1972年鹿児島交通社長[2]。岩崎産業の創業者であった父・與八郎から同社を引き継ぎ、1981年にその社長に就任[3]。
後に息子の芳太郎にその役を譲り、同社の会長に就任した[1]。
鹿児島商工会議所の会頭・名誉会頭[3]、指宿市の岩崎美術館の理事長[4]、鹿児島経済同友会の特別幹事[5]、鹿児島県バス協会の名誉会長[6][7]、鹿児島日仏協会の会長[8]なども務めるなど、地元鹿児島県の経済界の主導者として活躍[3]。
2005年3月17日には日豪関係に優れた貢献を行ったとして駐日オーストラリア大使館から賞を贈られている[10]。1994年1月17日には、父・與八郎の死去に伴い財団法人・岩崎育英奨学会の理事長に就任[11]。
日本随一の富豪であり、フォーブスの調査による世界長者番付において、2004年度に世界第72位の長者に[12]、2006年度のそれでは世界第95番目の長者に比定されている。
1人の妻、1人の息子、4人の娘を持ち、ジョギング、ゴルフを趣味とする[3]。
先代 岩崎與八郎 |
岩崎産業株式会社社長 第2代:1981年-2002年 |
次代 岩崎芳太郎 |