岸 信夫 きし のぶお | |
---|---|
生年月日 | 1959年4月1日(65歳) |
出生地 | 日本 東京都 |
出身校 | 慶應義塾大学経済学部卒業 |
前職 | 住友商事従業員 |
所属政党 | 自由民主党(安倍派) |
称号 | 経済学士(慶應義塾大学・1981年) |
配偶者 | 岸智香子 |
子女 | 岸信千世(長男) |
親族 |
安倍寛(祖父) 岸信介(祖父) 岸信和(養父) 安倍晋太郎(実父) 安倍寛信(長兄) 安倍晋三(次兄) |
サイン | |
公式サイト | 岸信夫 / Official Web Site(2023年4月22日時点のアーカイブ) |
第21-23代 防衛大臣 | |
内閣 |
菅義偉内閣 第1次岸田内閣 第2次岸田内閣 |
在任期間 | 2020年9月16日 - 2022年8月10日 |
内閣 | 第2次岸田第1次改造内閣 |
在任期間 | 2022年8月10日 - 2023年2月3日 |
選挙区 | 山口2区 |
当選回数 | 4回 |
在任期間 | 2012年12月19日 - 2023年2月7日 |
選挙区 | 山口県選挙区 |
当選回数 | 2回 |
在任期間 | 2004年7月26日 - 2012年11月30日 |
岸 信夫(きし のぶお、旧姓:安倍、1959年〈昭和34年〉4月1日 - )は、日本の政治家。
衆議院議員(4期)、防衛大臣(第21・22・23代)、内閣総理大臣補佐官(国家安全保障に関する重要政策及び核軍縮・不拡散問題担当)、参議院議員(2期)、衆議院外務委員長、外務副大臣、防衛大臣政務官、自民党外交部会長、衆議院安全保障委員長、自由民主党山口県支部連合会会長、日華議員懇談会幹事長を歴任した。初入閣は防衛大臣となったが、「国防族というよりは外交族」と言われ、主として外交関係のポストで地歩を築いてきた[1]。
実父は外務大臣・内閣官房長官を歴任した安倍晋太郎、実母は安倍洋子。実兄の安倍晋三[2]、祖父の岸信介、大叔父の佐藤栄作はいずれも内閣総理大臣を務めている。既婚者で息子が2人いる。長男は元フジテレビ記者で衆議院議員の岸信千世。
安倍晋太郎・洋子夫婦の三男として東京都に生まれた(現住所は山口県熊毛郡田布施町[3][4])。長兄は安倍寛信、次兄は晋三。生後間もなく母・洋子の兄、岸信和・仲子夫婦に養子として迎えられた。夫妻が子宝に恵まれず、信和自身が小児麻痺を抱えて政治活動が困難だったことに伴う縁組で[5]、両家の間で「3番目が男なら岸家の養子とする」との約束が事前に交わされていた。晋太郎夫妻の三男信夫が養子に迎え入れられたのは産まれて間もない1959年で、信夫自身は自分が養子だとも、実の両親が晋太郎・洋子で兄が寛信・晋三であることも知らずに育った[6]。
松濤幼稚園、慶應義塾幼稚舎、慶應義塾普通部、慶應義塾高校を経て、慶應義塾大学経済学部に進む[7]。自身が養子であることや晋三が兄であることを知ったのは大学進学に際し戸籍謄本を取り寄せたときで、岸は「大学入学前だったと記憶するが、提出書類として必要な戸籍謄本を取り寄せて見ると『養子』とあった。見た瞬間アレッて思いました。そのときのショックは、それは大変なものがあった。それからひと月ほど『何で教えてくれなかったんだ』という思いもあって、頭のなかが一種錯乱状態に陥りました」と述べている[6]。
1981年4月、住友商事に入社し、2002年(平成14年)8月まで勤めた[7]。信夫自身は、食料調達のため世界中を飛び回った商社マン時代であったと回顧している[8]。
2004年(平成16年)7月の第20回参議院議員通常選挙に山口県選挙区から自民党公認で立候補し、民主党公認の大泉博子(元山口県副知事)らを破り初当選した[注 1]。同年10月より、自由民主党の広報局次長、青年局次長、自由民主党 農林水産関係団体委員会 副委員長、自由民主党 NPO・NGO関係団体委員会 副委員長を務める[7]。その後福田改造内閣、麻生内閣において防衛大臣政務官を務めた。麻生おろしに際しては両院議員総会開催を要求する署名に署名するも、後に撤回[9]。
2010年(平成22年)7月の第22回参議院議員通常選挙で民主党公認の原田大二郎らを破り再選。2011年(平成23年)4月14日、東日本大震災の復興補正予算が議論される中、復興予算捻出のためのODA削減案に反対する超党派連合のメンバーとして名を連ねる[10][11]。
2012年(平成24年)11月30日、第46回衆議院議員総選挙に山口2区から立候補するため参議院議員を辞職[12][13]。12月16日、民主党前職の平岡秀夫らを破って初当選した。
2014年12月14日投開票の第47回衆議院議員総選挙で再選。
2016年(平成28年)1月4日、衆議院外務委員長に就任[14]。
2016年(平成28年)8月5日、再び外務副大臣に就任[15]。
2017年(平成29年)10月22日投開票の第48回衆議院議員総選挙で3選。
2018年(平成30年)10月、衆議院安全保障委員長に就任[16]。
2019年(令和元年)9月26日、衆議院議院運営委員会筆頭理事に就任。
2020年(令和2年)9月16日、菅義偉内閣で初入閣。防衛大臣に就任。
2021年(令和3年)夏ごろから杖を使い始め、同年9月には体調不良のため閣議を欠席。検査の結果、尿路感染症との診断を受けた。その後、2022年(令和4年)からは車椅子を使い始めた[17]。
2021年(令和3年)10月31日投開票の第49回衆議院議員総選挙で4選。
2022年(令和4年)7月8日、実兄の安倍晋三が奈良市で参院選の遊説中、市内在住の男に背後から犯人自作の銃で射殺される(安倍晋三銃撃事件)[18]。
同年7月21日、晋三の妻の安倍昭恵は自民党本部で開かれた清和政策研究会(安倍派)の総会に出席し、晋三の死去に伴う山口4区の補選について「立候補する考えはない」と話した[19][20]。安倍家では、岸の長男の岸信千世(元フジテレビ社会部記者で、岸の大臣秘書官)[21]か次男から後継を出す案も検討されたが、本人らは同案を拒否した[22]。
同年8月10日、内閣総理大臣補佐官(国家安全保障に関する重要政策及び核軍縮・不拡散問題担当)に就任。同年11月18日、衆議院の小選挙区の数を「10増10減」する改正公職選挙法が参議院で可決[23]。山口県の小選挙区は「4」から「3」に削減され、山口2区は1区との調整により、周南市の全域が含まれることとなった。
同年12月11日、岩国市で行われた後援会の会合で「このあたりで(長男の)信千世に譲りたい」と発言。体調不良を理由に次期衆議院選挙には立候補しない考えを表明した。長男の岸信千世も会合に同席しており、「地域のために頑張りたい」と述べ、立候補する意欲を示した。公表にはまだ早いと考えていた関係者は「ここだけの話にしておいてください」と参加者へ口止めしていたが、岸の発言は会場の外に丸聞こえだったため、待機していた報道各社の記者の知るところとなった。会合後、報道陣は岸を取り囲んで発言内容を確認。岸が事実と認め、同日中に一斉に報じられた[24][25]。周南市に居所を構える山口1区の高村正大[26][27]との調整問題が浮上し、またSNSでは「選挙区はあんたの領地じゃない」「なぜ当たり前に世襲なのか」など批判の声が上がった[17]。12月15日、岸の後援会連合会長を務める柏原伸二は、朝日新聞の取材に対し、岸の体調悪化を受け止め「早期に議員を辞職し、補欠選挙が実施される可能性もある」との見通しを示した[28]。2023年1月14日、中国新聞など主要メディアは、岸が2月上旬にも議員辞職願を提出する意向を固めたと報じた[29][30]。2月2日に安倍派の会合にて近く議員辞職することを正式に表明[31]。翌3日に衆議院議長公邸に赴き議員辞職願を提出した。内閣総理大臣補佐官も同日辞職した[32][33][34]。同月7日の衆議院本会議で議員辞職が許可された[35]。
議員辞職をした2023年2月7日、長男の岸信千世は岩国市内で記者会見し、4月23日に投開票される衆院山口2区補選(兄の晋三の死去に伴う山口4区補選も同日実施予定)に後継として立候補する意向を表明。自民党県連の候補者公募に応募すると述べた[36]。信千世はこの補選に自由民主党公認で立候補し当選を果たした[37]。
当落 | 選挙 | 執行日 | 年齢 | 選挙区 | 政党 | 得票数 | 得票率 | 定数 | 得票順位 /候補者数 |
政党内比例順位 /政党当選者数 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
当 | 第20回参議院議員通常選挙 | 2004年 7月11日 | 45 | 山口県 | 自由民主党 | 36万5462票 | 49.10% | 1 | 1/5 | / |
当 | 第22回参議院議員通常選挙 | 2010年 7月11日 | 51 | 山口県 | 自由民主党 | 42万1055票 | 57.76% | 1 | 1/3 | / |
当 | 第46回衆議院議員総選挙 | 2012年12月16日 | 53 | 山口2区 | 自由民主党 | 10万5760票 | 55.37% | 1 | 1/4 | / |
当 | 第47回衆議院議員総選挙 | 2014年12月14日 | 55 | 山口2区 | 自由民主党 | 9万6799票 | 58.41% | 1 | 1/3 | / |
当 | 第48回衆議院議員総選挙 | 2017年10月22日 | 58 | 山口2区 | 自由民主党 | 11万3012票 | 73.83% | 1 | 1/2 | / |
当 | 第49回衆議院議員総選挙 | 2021年10月31日 | 62 | 山口2区 | 自由民主党 | 10万9914票 | 76.94% | 1 | 1/2 | / |
鮎川弥八 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
井上馨 | 鮎川弥一 | 鮎川純太 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
鮎川義介 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
つね | 鮎川金次郎 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
なか | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
辰 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
小沢正路 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
田辺譲 | 仲子 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
田辺誠民 | 岸信夫 (安倍) | 岸信千世 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
岸信政 | 良子 | 岸信和 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
岸要蔵 | 岸信祐 | 安倍晋三 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
佐藤秀助 (岸) | 岸信介 (佐藤) | 洋子 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
安倍寛 | 安倍晋太郎 | 安倍寛信 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
公職 | ||
---|---|---|
先代 河野太郎 |
防衛大臣 第21・22・23代:2020年 - 2022年 |
次代 浜田靖一 |
先代 鈴木俊一 松山政司 |
外務副大臣 薗浦健太郎 →三ツ矢憲生と共同 2013年 - 2014年 2016年 - 2017年 |
次代 中山泰秀 城内実 |
先代 寺田稔 秋元司 |
防衛大臣政務官 武田良太と共同 2008年 - 2009年 |
次代 楠田大蔵 長島昭久 |
先代 寺田稔 |
内閣総理大臣補佐官 (国家安全保障に関する重要政策 及び核軍縮・不拡散問題担当) 2022年 - 2023年 |
次代 木原誠二 |
議会 | ||
先代 寺田稔 |
衆議院安全保障委員長 2018年 - 2019年 |
次代 西銘恒三郎 |
先代 土屋品子 |
衆議院外務委員長 2016年 |
次代 三ツ矢憲生 |
先代 中川雅治 |
参議院沖縄及び北方問題 に関する特別委員長 2011年 - 2012年 |
次代 猪口邦子 |