かわさきまち 川崎町 | |||||
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国 | 日本 | ||||
地方 | 東北地方 | ||||
都道府県 | 宮城県 | ||||
郡 | 柴田郡 | ||||
市町村コード | 04324-9 | ||||
法人番号 | 3000020043249 | ||||
面積 |
270.77km2 (境界未定部分あり) | ||||
総人口 |
7,710人 [編集] (推計人口、2024年10月1日) | ||||
人口密度 | 28.5人/km2 | ||||
隣接自治体 |
仙台市、柴田郡村田町、刈田郡蔵王町 山形県:山形市、上山市 | ||||
町の木 | ドウダン | ||||
町の花 | シャクナゲ | ||||
他のシンボル |
町の獣:カモシカ 町の鳥:キジ | ||||
川崎町役場 | |||||
町長 | 小山修作 | ||||
所在地 |
〒989-1592 宮城県柴田郡川崎町大字前川字裏丁175-1 北緯38度10分40秒 東経140度38分36秒 / 北緯38.17772度 東経140.64331度座標: 北緯38度10分40秒 東経140度38分36秒 / 北緯38.17772度 東経140.64331度 | ||||
外部リンク | 公式ウェブサイト | ||||
ウィキプロジェクト |
川崎町(かわさきまち)は、宮城県南西部の町。柴田郡に属する。
宮城県南西部、蔵王連峰の麓に位置する。蔵王連峰に属する山々が連なる山岳・丘陵地帯が町の面積の85%を占め、残る盆地部分には碁石川に集まる三本の支川(太郎川、北川、前川)により形成された河岸段丘が発達している。
宮城県仙台市と山形県山形市の県庁所在地を結ぶ国道286号(笹谷街道)が通る運搬経由地である。笹谷トンネルができた後は山形自動車道による経由も含む。町中心部は宿場町として栄えた。[2]
面積は実際には定まっている値ではない。これは宮城県蔵王町、山形県上山市との境が定まっていないからである。
代 | 氏名 | 就任 | 退任 | 備考 |
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1 | 丹野七五郎 | 1889年(明治22年)4月 | 1901年(明治34年)10月 | |
2 | 菊地直正 | 1901年(明治34年)11月 | 1905年(明治38年)11月 | |
3 | 丹野七兵衛 | 1906年(明治39年)10月 | 1910年(明治43年)10月 | |
4 | 山崎文之允 | 1910年(明治43年)10月 | 1914年(大正3年)10月 | |
5 | 永沼秀男 | 1915年(大正4年)10月 | 1916年(大正5年)6月 | |
6 | 善積精一郎 | 1916年(大正5年)8月 | 1919年(大正8年)8月 | |
7 | 佐藤仁右衛門 | 1919年(大正8年)12月 | 1922年(大正11年)12月 | |
8 | 沼田周治 | 1923年(大正12年)2月 | 1924年(大正13年)9月 | |
9 | 丹野七五郎 | 1924年(大正13年)10月 | 1928年(昭和3年)10月 | 初代村長の子 |
10 | 佐藤幸七 | 1928年(昭和3年)11月 | 1932年(昭和7年)11月 | |
11 | 大本源三郎 | 1932年(昭和7年)12月 | 1936年(昭和11年)12月 | |
12 | 丹野喜平 | 1936年(昭和11年)12月 | 1939年(昭和14年)11月 | |
13 | 菊地林蔵 | 1939年(昭和14年)12月 | 1940年(昭和15年)11月 | |
14 | 木村新六 | 1941年(昭和16年)1月 | 1945年(昭和20年)1月 | |
15 | 丹野丹治 | 1945年(昭和20年)1月 | 1946年(昭和21年)11月 | |
16 | 丹野七兵衛 | 1947年(昭和22年)4月5日 | 1948年(昭和23年)5月2日 | 3代村長とは別人 |
代 | 氏名 | 就任 | 退任 | 備考 |
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1 | 丹野七兵衛 | 1948年(昭和23年)5月3日 | 1951年(昭和26年)4月4日 | 村長より留任 |
2 | 丹野丹治 | 1951年(昭和26年)4月25日 | 1955年(昭和30年)4月19日 |
代 | 氏名 | 就任 | 退任 | 備考 |
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− | 富田廣重 | 1955年(昭和30年)4月20日 | 1955年(昭和30年)5月14日 | 町長職務執行者、元・富岡村長 |
1 | 丹野丹治 | 1955年(昭和30年)5月15日 | 1959年(昭和34年)5月14日 | |
2 | 佐藤佐之助 | 1959年(昭和34年)5月15日 | 1963年(昭和38年)5月14日 | |
3 | 丹野丹治 | 1963年(昭和38年)5月15日 | 1967年(昭和42年)5月14日 | 再任 |
4 | 斎藤忠夫 | 1967年(昭和42年)5月15日 | 1979年(昭和54年)5月14日 | |
5 | 大浪正志 | 1979年(昭和54年)5月15日 | 1995年(平成7年)5月8日 | |
6 | 佐藤昭光 | 1995年(平成7年)5月9日 | 1999年(平成11年)5月8日 | |
7 | 寛野秀雄 | 1999年(平成11年)5月9日 | 2007年(平成19年)5月8日 | |
8 | 佐藤昭光 | 2007年(平成19年)5月9日 | 2011年(平成23年)8月27日[注釈 2] | 再任 |
9 | 小山修作 | 2011年(平成23年)8月28日[5] | 現職 |
1964年(昭和39年)7月1日制定。川崎の川を三重丸で表し、町の中心部を流れる北川・前川・太郎川の三大河川を表徴。円は町民円満と団結の強さを示す。
川崎町と全国の年齢別人口分布(2005年) | 川崎町の年齢・男女別人口分布(2005年) | |||||||||||||||||||||||||||||||||
■紫色 ― 川崎町
■緑色 ― 日本全国 |
■青色 ― 男性
■赤色 ― 女性 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
川崎町(に相当する地域)の人口の推移
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総務省統計局 国勢調査より |
当町における知的障害を教育領域とする特別支援学校については、名取市に所在する宮城県立名取支援学校の学区となっている。
(本砂金地区は仙台市立秋保中学校、前川字青根地区は蔵王町立遠刈田中学校への越境通学)
(本砂金地区は仙台市立秋保小学校への越境通学)
町内に鉄道路線は無い。鉄道を利用する場合、JR東日本の東北本線大河原駅や東北新幹線仙台駅などが利用可能である。
高速バスが一時時期運行されていたが、2016年10月に廃止されている。山形自動車道が通っているが、仙台市-山形市などの高速バスは川崎町に停車せず通過する。
長く宮城交通・ミヤコーバスによる路線バスが運行され、町外アクセスが可能になっていた。川崎発着は主に町外の病院や学校へのアクセスとして用いられるが、現在は本数が減ってきている。川崎 - 仙台駅前は国道286号の旧道および仙台市地下鉄南北線に沿った路線を通る。以前は 野上かみ(川崎町今宿)- 北仙台 間であったのがそれぞれ改定された。川崎町本砂金 - 仙台市 間は2005年(平成17年)7月をもって運休となった。蔵王山頂発着は観光・宿泊の利用が多い。
タケヤ交通は川崎町に本社を置く。小型〜中型バスを使用し、多くは施設入口や駐車場にバス停を設置してあるのが特徴。朝〜夜間の1時間おきに運行されている。支払い方法は多岐にわたり、現金・各種ICカード・各種QR決済等、計30種類以上に対応している。往復券・回数券も存在する。一時他路線(仙台西部エアポートライナー、みやぎ蔵王 三源郷エアポートライナー)も運行していた。
川崎町役場による。町内をほぼ網羅している。川崎病院や学校へのアクセスとして利用されている事が多い。土・日・祝日は運休。
注釈
出典