工藤 めぐみ | |
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プロフィール | |
リングネーム | 工藤 めぐみ |
本名 | 高山 めぐみ |
ニックネーム |
邪道姫 くどめ |
身長 | 162 cm |
体重 | 60 kg(引退時) |
誕生日 | 1969年9月20日(55歳) |
出身地 | 千葉県 |
所属 | FMW |
トレーナー | ジャガー横田 |
デビュー | 1986年8月8日 |
引退 | 1997年4月29日 |
獲得メダル | ||
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女子 レスリング | ||
全日本レスリング選手権大会 | ||
銅 | 1987 | 65kg級 |
工藤 めぐみ(くどう めぐみ、1969年9月20日 - )は、1990年代に活動した日本の元女子プロレスラー。千葉県出身(埼玉県生まれ)[1]。最終所属FMW。夫はプロレスラーのBADBOY非道(高山秀男、2021年10月死別)[2]。
高校1年の1986年、全日本女子プロレスに入門、同年8月8日に前田薫(後のKAORU)戦でデビュー。同期にアジャコング、バイソン木村、KAORUらがいる。当初は同期生の中で最も強かった。 1987年空位の全日本ジュニア王座決定トーナメントに参加。2月26日川崎市体育館にて行われた決勝戦に進出も浅生恭子に敗北。
1988年3月24日の豊田真奈美戦を最後に、同年4月9日に全女を退団した。その後、保育士の助手に転身したが、1990年3月10日のFMW後楽園ホール大会に、全女時代同期だった豊田記代(後のコンバット豊田)・天田麗文と共に、乱入という形で参戦し現役復帰。FMWの女子プロレスを活性化させる。
抜群のルックスを誇り、FMW参戦当初はヒールレスラーだったが、後にベビーフェイスに転向し、プロレス週刊誌において、男子レスラーを押しのけ、女子プロレスラーとして初の単独表紙を飾るなど、プロレス界随一のアイドルレスラーとして大仁田厚と共にトップに君臨して人気レスラーになる。
1996年5月5日にコンバットとともに行ったデスマッチを皮切りに過激なプロレスの舞台に飛び込み、大仁田の引退後はその代わりとなるように新生FMWの屋台骨を支え、『邪道姫』の通称で呼ばれた。
工藤自身初の本格的なデスマッチとなった1996年のコンバットとの試合は、女性としては史上初の有刺鉄線デスマッチであっただけでなく、ロープの代用としての有刺鉄線を感電させたうえで、そこに爆薬を装着したもの―いわゆる『電流爆破デスマッチ』―であった。女性レスラーとしては前代未聞であったこの過激なデスマッチは、国外においても『史上初の女性によるハードコア・レスリング』として記録されることが多々ある。このことから、デスマッチ路線に突入したのはその経歴のごく晩期に過ぎないにもかかわらず、国外にあっては『デスマッチの工藤』や『ハードコアの工藤』、『ハードコアの女王』などとしてその名を馳せた。[3][4]。
1997年4月29日に横浜アリーナでのシャーク土屋との電流爆破マッチを最後に現役を引退した。その年に発売されたプロレスのトレーディングカード「1997 SPARKLING FIGHTERS」に、150枚限定で工藤が実際に着用した水着を裁断し封入したカードが混入され話題を呼んだ。
1998年にBADBOY非道と結婚した。その後は主婦業の傍ら、プロレス番組の解説や、女子格闘家のプロデュース及びタレントとして活動を行っている。
2015年、「超花火プロレス」エグゼクティブプロデューサーに就任。
2020年7月、プロレスリングZERO1のゼネラルマネージャーに就任。
2021年10月17日、病気療養中だった夫の非道が死去。同月30日に工藤がゼネラルマネージャーを務めるZERO1の東京タワー特設リング大会において非道の追悼セレモニーが行われ、工藤はリング上から挨拶を行っている[5]。