市谷(いちがや)は、東京都新宿区東南部にあり、かつては1878年(明治11年)の郡区町村編制法による東京15区成立から、1947年(昭和22年)の地方自治法制定に合わせた23区への再編までは牛込区に属した。元来の表記は「市ヶ谷」だったが、1911年(明治44年)5月1日に「市谷」へ変更された。
市ケ谷駅の西側に広がる台地を中心とした地域で千代田区に隣接し、靖国通り、外苑東通り、大久保通り、牛込中央通り(鉄道駅では市ケ谷駅、曙橋駅、牛込柳町駅、牛込神楽坂駅)に囲まれた地域およびその周辺と、靖国通りの外苑東通りから外苑西通りまでの区間の北側に相当する。台地上とそのへりの斜面の土地が多い。台地沿いの高台の住宅地の一部は、大名屋敷を経て明治時代より元祖山の手の一つとして呼称され、現代においても高級住宅街として評価されている[1]。
もっとも、歴史的な市谷の地名は上記地域を指すものの、JR市ケ谷駅自体は、上記の市谷地域の東端、外濠を挟んだ千代田区五番町にあるため、「市ヶ谷」「市ケ谷」「市谷」の名を冠した建築物は新宿区側・千代田区側(番町・九段地域)双方に存在する(中央大学市ヶ谷キャンパス、法政大学市ケ谷キャンパス、アルカディア市ヶ谷など)。そのため、千代田区内の駅周辺地域も慣例的に市ヶ谷と呼ばれている。
名の由来には、市ヶ谷孫四郎の領地があったから[2]、とか、四谷第一の谷なので「一ヶ谷」[2]、或いは亀岡八幡宮の門前で市が開かれていた「市買」が訛った、などの説がある。
以下の各町は本来牛込村に由来するが、町内に「市ヶ谷」の名称を用いた施設や建物が散見される。
以下の各町は現在四谷地域に属するが、本来は市ヶ谷村に由来する。
ウィキメディア・コモンズには、市谷に関するカテゴリがあります。