協会が様々な機会を捉えて取り組んできた業績の中でも、私たち全員にとって、『New English Dictionary』ほど広く関心を集めるものはありません。マレー博士は、皆さんもご存知のように、ある時、「abacot」という、ウェブスターが「かつてイングランドの王たちが用いた、二つの王冠の形に精巧に作られた、権威を表す帽子 (the cap of state formerly used by English kings, wrought into the figure of two crowns)」と定義した単語を、この辞書に掲載すべきだとする、最も優れた記事を書きました。適切かつ賢明なことに、この提案は、そのような単語が存在しないという事実によって辞書編集陣によって却下されましたが、このような提案がなされたのは全くの誤りによるものであり ... 印刷業者か筆記者が起こしたしくじりによるものか、無知ないし粗忽な編集者のたくましい想像力によるものなのです ...
... 私は、少なくとも2つの、驚くべき事例を挙げることができます。ひとつめは「kime」 ... その初出は ... 1808年の『Edinburgh Review』誌に見える「The Hindoos ... have some very savage customs ... Some swing on hooks, some run kimes through their hands ...(ヒンドゥー教徒たち ... は非常に野蛮な習慣があり ... 鉤にぶら下がる者がいたり、手に Kimes を走らせる者もいる ...)」という記事です。
同じような事例が、ウォルター・スコットのある小説の一節の誤った印刷から生じましたが、さらに面白いことに、この正しくない単語の語源に関する話が、一部の読者たちを満足させる形で定着してしまったのです。『修道院 (The Monastery)』の大部分の版には、「... dost thou so soon morse thoughts of slaughter?」と記されています。
この単語(morse)は、「nurse」の印刷上の誤りに他なりません[3]。しかし、『Notes and Queries』誌には、ふたりの独立した寄稿者たちが、この「morse」という言葉の語源について、それぞれの説明を寄せています。ひとつの説明は、これを「to prime」の意、すなわち「one primes a musket」(マスケット銃に火薬を詰める)のように、古フランス語における「amorce」つまり火口に詰める火薬に由来するとしており、もうひとつの説明は「to bite」にあたるラテン語「mordere」から「to indulge in biting, stinging or gnawing thoughts of slaughter」(殺人の思いを噛みしめる、刺すように痛む、苦悩する)といった説明をしています。後者は、こうも記しています。「この単語が、印刷の誤りであったとしても、50年もの間、異論が唱えられたり、変更されることもなく印刷され、何百万人もがこれを読んできたという事実は、蓋然性という域を越えている。」しかし、サー・ウォルター・スコットの、手稿による原文を確認したところ、問題の単語は紛れもなく「nurse」と記されていたのです。
『オックスフォード英語辞典』(OED) は、幽霊語である「Phantomnation」を「Appearance of a phantom; illusion. Error for phantom nation(幽霊の出現、幻。「幽霊の国」の誤り)」と説明している[9]。1725年に発表されたアレキサンダー・ポープによる『オデュッセイア』の英語訳は、「The Phantome-nations of the dead」と記していた。リチャード・ポール・ジョドレル(英語版)は、1820年に発表した『Philology of the English Language』の中で、複合語からハイフンを省いてひとつの単語として扱い、「Phantomnation, a multitude of spectres」とした。以降の辞書編集者たちはこの誤りを様々な辞書類に引き写してしまい、「Phantomnation, illusion. Pope.」(Worcester, 1860, Philology of the English Language)、「Phantomnation, appearance as of a phantom; illusion. (Obs. and rare.) Pope.」(Webster, 1864, An American dictionary of the English language) などという説明が流布された[10]。
日本語の「癖毛」は、「悪い習慣」を意味する「癖」と「毛」から成り、英語の「frizzy hair」に相当するが、権威ある和英辞典である研究社の『新和英大辞典』は、その初版(1918年)から第4版(1974年)まで、これを「vicious hair」と誤訳しており、ようやく第5版(2003年)でこれを「twisted [kinky, frizzy] hair; hair that stands up」と改めた[11]。この「vicious hair」という幽霊語は、単に誰にも気づかれない辞書の誤りというだけでは済まず、何世代もの辞典利用者たちがこの誤りを写し続けた。例えば、とある東京の美容外科医院は、長きにわたってアジア版の『ニューズウィーク』誌に「Kinky or vicious hair may be changed to a lovely, glossy hair」〔ママ〕 という広告を出し続けていた[12]。この縮毛矯正の広告は、2011年に香港で開催されたiPhoneography展覧会のタイトル「Kinky Vicious」に、ジョークとして流用された[13]。
^ abcdSkeat, Walter William; Presidential address on 'Ghost-Words' in: 'Transactions of the Philological Society, 1885-7, pages 343-374'; Published for the society by Trübner & Co., Ludgate Hill, London, 1887. May be downloaded at: https://archive.org/details/transact188500philuoft
^Wheatley, Henry Benjamin; Literary Blunders; A Chapter in the “History of Human Error”; Publisher: Elliot Stock, London 1893
^“dord”. Dictionary.com, LLC. 2012年2月21日閲覧。 “In sorting out and separating abbreviations from words in preparing the dictionary's second edition, a card marked "D or d" meaning "density" somehow migrated from the "abbreviations" stack to the "words" stack.”
^Oxford English Dictionary Second Edition on CD-ROM, Version 4.0, Oxford University Press (2009).
^Watanabe Toshirō (渡邊敏郎), Edmund R. Skrzypczak, and Paul Snowden, eds. (2003), Kenkyusha's New Japanese-English Dictionary (新和英大辞典), 5th ed., Kenkyusha, 790.
^Michael Carr (1983), "A Lexical Ghost Story: *Vicious hair", Jinbun Kenkyū (人文研究), 66: 29-44. Carr (p. 40) suggests "vicious hair" for kusege (癖毛) originated through false analogy from Kenkyusha's waraguse (悪癖 "bad/vicious habit; vice") entries.