ひろせ ゆたか 広瀬 裕 | |
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本名 | 広瀬 和久(ひろせ かずひさ) |
別名義 | 広瀬 匠 |
生年月日 | 1962年8月4日(62歳) |
出身地 | 日本・東京都 |
身長 | 175 cm[1] |
職業 | 俳優、声優 |
活動期間 | 1984年 - |
主な作品 | |
1986年『超新星フラッシュマン』 1988年『超獣戦隊ライブマン』 1991年『鳥人戦隊ジェットマン』 1993年『五星戦隊ダイレンジャー』 1996年『勇者指令ダグオン』、『超光戦士シャンゼリオン』 |
広瀬 裕(ひろせ ゆたか、1962年8月4日[1] - )は、日本の元俳優、声優。芸能事務所・オフィスカレント代表である。本名、
東京都出身[1]。東京都立調布南高等学校卒業[1]。東映テレビプロダクション[1]、東映俳優センター、須山オフィス、シーハートプロモーション、賢プロダクションに所属していた。
デビュー当時は本名を名乗っていたが、その後「広瀬匠」の芸名を名乗り、2000年より現在の「広瀬裕」に改めている。
高校卒業後、東映アクションクラブ(9期生)に入門。当時、同じ研究生だった唐沢寿明(4期生)らと共に日夜稽古に明け暮れた。高校時代は体操選手だったことを活かしスタントマンを志望していたが、後に俳優にシフト。
『超新星フラッシュマン』ではレー・ワンダ役で登場、その後も『超獣戦隊ライブマン』の月形剣史/Dr.ケンプなどスーパー戦隊シリーズの数々の敵役を演じ「美形悪役」として注目を浴びる。その中で『鳥人戦隊ジェットマン』第47話「帝王トランザの栄光」におけるトランザの最期のシーンは、子供番組とは思えないようなショッキングなもので、今もなおファンに語り継がれている。
『フラッシュマン』での共演から俳優・声優の中田譲治に兄事し、1996年にアニメ『勇者指令ダグオン』のライアン役を演じてからは声優としても活動するようになった。この他、Vシネマ『爆走トラッカー軍団』シリーズではアクション監督(広瀬和久名義)も務めるなど、幅広く活躍している。
もともと俳優をやっていた当時から裏方の仕事に興味があり、撮影終了後も現場に残り制作スタッフの仕事を勉強した。次第に俳優への熱意よりも裏方になる気持が強くなり、俳優業を休止することにした。2000年代以降は自らが設立した芸能事務所オフィスカレントの代表兼チーフマネージャーを務める。他には映像撮影カメラマンとマネジメント業務、映画専門学校の講師などを務める。その後芸能界を引退し、現在はドローン空撮プロチーム、株式会社ツウテックに所属するドローンパイロットである[2]。
『フラッシュマン』で、当初ジン/レッドフラッシュ役の候補だったところを、メインプロデューサーの鈴木武幸が悪役側のレー・ワンダ役に抜擢した。
戦隊シリーズなどで組んだ長石多可男については「公私共に一番お世話になった監督だが、演技については最も要求が厳しい監督だった。爆走トラッカー軍団では初のアクション監督として起用していただき、現在の私の活動の基礎になっています。」、東條昭平については「ぶっきらぼうな印象だけどわりと好きにやらせてくれる監督。自分の好きな話は東條監督が演出した作品が多かった。『ジェットマン』のヨダレの話(第47話『帝王トランザの栄光』)とかもそうですね」と後にそれぞれ述懐している。
「自分が戦隊に出るたびナベ(渡辺勝也)が偉くなっている」とインタビューで指摘したことがある。確かに渡辺は広瀬がレギュラーで出演した『フラッシュマン』のサード助監督を皮切りに、『ライブマン』でセカンド助監督、『ジェットマン』でチーフ助監督、『ダイレンジャー』では監督と順調に出世している、とネットで書かれているが本人は言った記憶がない。本人曰く、「だいたい、私が渡辺さんに対して、ナベなどと気安く呼び捨てにしたことは一度も無いし考えたこともない。渡辺さんは努力の人であると思う」と述べている。
『ライブマン』で共演した嶋大輔は、既に戦隊出演経験のあった広瀬が演技のアドバイスをしてくれたと述べている[3]。
『勇者指令ダグオン』の監督が『ライブマン』のファンであったこともあり、監督からは当初「ファイヤーエン/大道寺炎役にぜひ広瀬さんを起用したい」と推薦されていた。
2010年3月『五星戦隊ダイレンジャー』の16周年イベント五星祭が開催され出演した際、当時の熱狂的なファンから大歓迎され、同席していた当時を知らない所属タレント小日向美羽に「凄い人気だったんですね」と驚かれた[4]。
ドローンパイロットになったきっかけは、ドローンが出始めた当初、純粋に飛ばす楽しさを味わいたいがためだったというが、そこで撮影した映像を見て、すぐに「これはカメラマンの仕事で使える。これなら見た人が驚く映像を撮れる」と思ったためである。[5]練習を重ね腕を磨き、ドローン撮影の仕事を始めるようになる。その後、さらにより多くのドローンの仕事をするため、株式会社ツウテックに所属する。現在では多くのテレビ番組や映画の空撮シーンを撮影している。