廃皇后 博爾済吉特氏 | |
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清朝皇后 | |
『廃皇后朝服像』 | |
在位 | 1651年9月27日 – 1653年10月25日 |
別称号 | 静妃 |
出生 |
不詳 |
死去 |
不詳 |
埋葬 | 孝陵 |
結婚 | 1651年 |
配偶者 | 順治帝 |
氏族 | ボルジギト(博爾済吉特)氏 |
父親 | ウクシャン(烏克善) |
廃皇后(はいこうごう)は、清の順治帝の皇后。モンゴル・ホルチン部の出身。名はエルデニブンバ。姓はボルジギト(博爾済吉特)氏(Borjigit hala)。
父ウクシャン(烏克善)は孝荘文皇后(順治帝の生母)の兄であった。順治帝の側妃の悼妃は従妹、順治帝の2番目の皇后にあたる孝恵章皇后と、その妹でやはり順治帝の側妃の淑恵妃は従姪にあたる。
順治8年(1651年)、叔母に当たる孝荘文皇后や、彼女と結び権力を握っていたドルゴン(順治帝の叔父で摂政王)により順治帝の正妃に選ばれ、皇后となった。
彼女は容姿や振る舞いは美しく、非常に聡明で器用だとされていたものの、嫉妬深く、浪費癖があり、わがままで傲慢なところがあった。そのため、順治帝との間に亀裂が生じ、また順治帝が憎んでいたドルゴンに選ばれていたこともあり、順治10年(1653年)に皇后の位を廃され、静妃に降格された。その後は故郷のホルチン部に戻ったともされているが、よくわかっていない。