愛新覚羅 弘時 清の皇族 | |
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続柄 | 雍正帝第三皇子 |
出生 |
康熙43年2月13日(1704年3月18日)![]() |
死去 |
雍正5年8月6日(1727年9月20日)![]() |
配偶者 | 董鄂氏 |
父親 | 雍正帝 |
母親 | 斉妃李氏 |
愛新覚羅 弘時(あいしんかくら こうじ、康熙43年2月13日(1704年3月18日) - 雍正5年8月6日(1727年9月20日))は、清の雍正帝の第三皇子。母は斉妃李氏。
雍正帝の第三皇子として生まれた。生母の李氏は康熙帝の第四皇子雍親王(後の雍正帝)の側福晋(側室)であった。
祖父の康熙帝からの覚えもめでたく、父の雍正帝からも期待されていた異母弟の弘暦(後の乾隆帝)と違い、特別に才能があるわけではなく、爵位も与えられなかったが、父の異母弟で政敵の第八皇子胤禩と親密な関係にあった。
雍正4年2月18日(1726年3月21日)、雍正帝の怒りに触れた弘時は、「放縦不謹」を理由に宗籍を剥奪され、強制的に「アキナ(阿其那)」に改名させられ、宗籍を喪失し、宗人府に監禁されていた胤禩の養子とされ、宗人府に監禁された。
雍正5年8月6日(1727年9月20日)、宗人府に監禁されたまま、24歳で死去。
異母弟の弘暦が乾隆帝として即位すると、兄弟の上に免じて、弘時の宗籍を恢復させた。
いずれも早逝