ごとう けいじ 後藤 圭二 | |
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プロフィール | |
別名義 | 佐原 亜湖(さはら あこ) |
生年月日 | 1968年11月4日(56歳) |
出身地 | 日本・東京都足立区 |
職業 |
アニメーター アニメ監督 キャラクターデザイナー |
ジャンル | アニメーション |
交流関係 | 門之園恵美(妻) |
公式サイト | Gotoh Keiji Home Page |
その他 | 日本アニメーター・演出協会(JAniCA)会員 |
後藤 圭二(ごとう けいじ、1968年11月4日 - [1])は、日本のアニメーター、アニメ監督、キャラクターデザイナー。東京都足立区出身[1]。佐原 亜湖(さはら あこ)という別名義を使うこともある。日本アニメーター・演出協会(JAniCA)会員[2]。
OVAでは1993年の『超神伝説うろつき童子 未来篇4』(さとうけいいちと連名)、TVアニメでは1995年の『爆れつハンター』を皮切りに、キャラクターデザインを数多く手掛けている。1996年放送の『機動戦艦ナデシコ』では星野ルリ(ホシノ・ルリ)のデザインで、一躍人気アニメーターの座へ。1990年代には立体感を強調した特徴的なキャラクターデザインで一世を風靡し、顎の曲線を西洋の刃物の如く鋭角的にデフォルメし、大きく円らな瞳を強調した絵柄が特徴であったが、前者については後藤も少々やりすぎと気にしていたらしく、最近の絵柄では他人のそれと比較してもあまり気にならないレベルに落ち着いている。
高校卒業後はアニメ専門学校へ行かず、北爪宏幸が主宰した「アトリエ戯雅」に参加。ここは後藤が中学時代に安彦良和と並んでファンだったという、湖川友謙が主宰していたビーボォーの出身者で結成された作画スタジオである。後藤以外の新人は専門学校出身で、経験も無く何も知らなかった後藤は山下明彦から指導を受け、1年ほどで動画の仕事を覚える。初の動画は1987年放送の『ミスター味っ子』だった。
だが、「戯雅」はそれからすぐ諸事情により倒産。まもなく、「プロジェクトチーム・ムー」(「フェニックス・エンタテインメント」の前身)から動画マンが欲しいとの要請を受けて移籍した後藤は、ムーでも『超神伝説うろつき童子』シリーズなどの動画を1年経験した後、原画へ昇進する。初の原画は1988年の『アニメ三銃士』だった。その後、『ドラゴンクエスト ダイの大冒険』や『勇者シリーズ』を担当し、『伝説の勇者ダ・ガーン』では石田敦子と出会い、目の描き方などで影響を受ける。『BLUE SEED』を最後にフェニックスを辞め、フリーランスとなった後は葦プロダクションの『マクロス7』などを経て、XEBEC社長の下地志直に声を掛けられたのが縁となり、『爆れつハンター』でTVアニメ初のキャラクターデザインを担当。その後はオグロアキラと2人で小さなスタジオ「ブランカ」を結成し、主に勇者シリーズの仕事を担当した。
門之園恵美と結婚後、共に仕事を続ける一方で脚本家のきむらひでふみと3人で制作集団「Gimik」を結成。2002年には『キディ・グレイド』で初監督を務めるなど、以降は作画より演出を多く担当するようになった。コミックマーケットには、「ごっきー倶楽部」のサークル名で時折参加することがある。
作画を担当時の特徴として、目を大きく強調する、口元や鼻を小さく描くなどがある。作品によっては、本来の絵柄と大きくかけ離れることもある。