おしのむら 忍野村 | |
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忍野八海・湧池 | |
国 | 日本 |
地方 | 中部地方(甲信越地方) |
都道府県 | 山梨県 |
郡 | 南都留郡 |
市町村コード | 19424-7 |
法人番号 | 5000020194247 |
面積 |
25.05km2 |
総人口 |
9,295人 [編集] (推計人口、2024年10月1日) |
人口密度 | 371人/km2 |
隣接自治体 | 富士吉田市、都留市、南都留郡山中湖村 |
村の木 | イチイ |
村の花 | 富貴草 |
村の鳥 村の動物 |
つばめ リス |
忍野村役場 | |
村長 | 大森彦一 |
所在地 |
〒401-0511 山梨県南都留郡忍野村忍草1514 北緯35度27分36秒 東経138度50分52秒 / 北緯35.46003度 東経138.84786度座標: 北緯35度27分36秒 東経138度50分52秒 / 北緯35.46003度 東経138.84786度 |
外部リンク | 公式ウェブサイト |
ウィキプロジェクト |
忍野村(おしのむら)は、山梨県南都留郡に位置する村。郡内地方。
富士山と御坂山地に囲まれた海抜936メートルの盆地を中心に村域が広がり、東部の内野地区と西部の忍草地区の2つの集落から成る[1]。
隣接する山中湖村域にある「山中のハリモミ純林」は国の天然記念物に指定されている。
忍野村は山梨県南東部および南都留郡北部の富士山麓に位置し、名水として知られる忍野八海(湧水、天然記念物・名水百選)を有する。忍野村から見る富士山は「忍野富士」[2] と呼ばれる。
忍野村と全国の年齢別人口分布(2005年) | 忍野村の年齢・男女別人口分布(2005年) | |||||||||||||||||||||||||||||||||
■紫色 ― 忍野村
■緑色 ― 日本全国 |
■青色 ― 男性
■赤色 ― 女性 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
忍野村(に相当する地域)の人口の推移
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総務省統計局 国勢調査より |
忍草の忍草浅間神社の本殿は村の重要文化財に指定されている[3]。 また、同社に伝来する木造浅間神・随身像は鎌倉時代の正和4年(1315年)に丹波国の仏師・岩見坊静存が制作し、別当の東園寺が勧請したもので、富士信仰に関する像として知られる。 『甲斐国志』によれば、江戸時代に同像は木花咲耶姫・鷹飼・犬飼像と伝えられたという。
高冷地であることから古くから農業だけでは自給が難しい地域であったため、木挽きや木かやとりといった山仕事の副業が営まれていた。 副業は、江戸時代末期から1897年(明治30年)には「駄賃つけ」と呼ばれる馬による荷物運送業に移行し、その後は養蚕が発達した[1]。
戦後、淡水魚養殖や観光業が発展し、忍野八海や二十曲峠に示される豊かな自然資源を活かすことによって多くの観光客が来訪している。
富士山の裾野に広がる原野である梨ヶ原は戦後に米軍管理となった。 これは1959年(昭和34年)以降、自衛隊の北富士演習場として利用されており、入会権をめぐる問題がある(北富士演習場問題)。
工作機械用NC装置や産業用ロボットの世界的なメーカーとして知られるファナックが1972年(昭和47年)に誘致され、本社および主力工場群が所在し、それらの外壁は一部が黄色に塗装されている。
全て村立である。 2021年5月現在、高等学校等の上級一条校は無いが、公営の図書館や体育館給食センター等の教育関連施設はある[5]。
村内に鉄道路線はない。最寄り駅は富士山麓電気鉄道富士急行線の富士山駅。
バスタ新宿(新宿駅南口)に発着する中央高速バス富士五湖線(富士急バス・フジエクスプレス・京王バス東が運行)のうち、一部の便が忍野村役場前などを経由する。また、東京駅に発着する東京 - 河口湖線(富士急山梨バス・富士急行観光が運行)のうち、山中湖まで運行する便がファナック前などを経由する。
このほか、前述の富士五湖線で村内を経由しない便は、山中湖村内にある忍野入口バス停に停車する。