「思い出のたね」(おもいでのたね)あるいは「ジーズ・フーリッシュ・シングズ」(原題:These Foolish Things (Remind Me of You))は、エリック・マシュヴィッツがホルト・マーヴェルの筆名で作詞し、ジャック・ストレイチーが作曲したスタンダード[1]。この両名に加えてハリー・リンクが共作者とされることがあるが、その貢献はおそらくサビの8小節に限られる[2]。
「バークリー広場のナイチンゲール」などと同様、「メイフェアの歌」と呼ばれる一連の楽曲の一つ[3]。マシュヴィッツはBCCの深夜放送の番組のためにジョーン・カーからの依頼を受けてホルト・マーヴェルの筆名で作詞した[4]。1936年に著作権が登録された[5]。
邦題は「思い出のたね」[6]のほか、「愚かなり、わが恋」もあり、「ディーズ・フーリッシュ・シングズ」といった異表記もある。
マシュヴィッツの妻ハーマイオニー・ギンゴールドは自伝でこの歌は自分か女優のアンナ・メイ・ウォンに向けられたものだろうと推測しているが[7]、マシュヴィッツは否定している[8]。マシュヴィッツ自身は「若き日のはかない思い出」から着想したとしている。『オックスフォード英国人名事典』など多くの資料は、マシュヴィッツが若いころ恋愛関係にあったキャバレー歌手ジーン・ロスがその人だとする[9]。
この曲を執筆した当時、マシュヴィッツはBBCで芸能部長を務めていた[10]。実らなかった恋を思い起こさせるさまざまなものを列挙していく構成の詞で、マシュヴィッツ本人はカタログソングと呼んだ。日曜の午前、ロンドンの自宅アパートメントでコーヒーとウォツカを飲みながらヴァースとコーラスを書いた。それをジャック・ストレイチーに電話越しに読んで聞かせ、その日の晩のうちに次にどうするか話し合った[8]。
当初は評判にならず、エージェントのキース・プラウスは取り扱うことを拒否してマシュヴィッツ本人に版権を委ねた。これが幸いして、1957年の時点で本人が得た収益は4万ポンドにのぼったと記している[11]。1936年ロンドンでのショー「スプレッド・イット・アブロード」の劇中歌として使われるも話題にならなかったが[12]、西インド諸島出身のピアニスト兼歌手であるレスリー・ハッチンソン(ハッチ)がBBCのマシュヴィッツの部屋に置かれたピアノの上に広げてあった譜面を発見し、気に入って録音した。これが大きなヒットとなり、世界中のミュージシャンが取り上げるに至った[11]。同じ年にハッチ以外にもベニー・グッドマン、テディ・ウィルソン、ビリー・ホリデイらが録音した[13]。
さまざまな歌手および演奏者による作品が存在する。以下は歌唱の代表例。