本社が入居する万代シテイバスセンター | |
種類 | 株式会社 |
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機関設計 | 監査役会設置会社 |
市場情報 | |
本社所在地 |
日本 〒950-8544 新潟県新潟市中央区万代一丁目6番1号(バスセンタービル内) 北緯37度54分59.1秒 東経139度3分20.4秒 / 北緯37.916417度 東経139.055667度座標: 北緯37度54分59.1秒 東経139度3分20.4秒 / 北緯37.916417度 東経139.055667度 |
設立 | 1943年(昭和18年)12月31日[1] |
業種 | 陸運業 |
法人番号 | 7110001003728 |
事業内容 | 旅客運送事業、一般旅行業、不動産業など[1] |
代表者 | |
資本金 |
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発行済株式総数 |
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売上高 |
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営業利益 |
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経常利益 |
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純利益 |
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純資産 |
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総資産 |
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従業員数 |
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決算期 | 3月31日 |
会計監査人 | 高志監査法人[2] |
主要株主 | |
主要子会社 | #グループ企業参照 |
関係する人物 | 中野四郎太(創業者) |
外部リンク | https://www.niigata-kotsu.co.jp/ |
新潟交通株式会社(にいがたこうつう、英: Niigata Kotsu Co.,Ltd.)は、新潟県新潟市中央区に本社を置き、バス事業や不動産業などを行う会社。
グループ全体として新潟県下越地方および佐渡島を営業基盤として乗合バス事業を営み、これらの地域の一般路線バスや同地域発着の高速バスを運行しているほか、不動産業や旅行業などを手掛けている。
バス運行に携わる会社は新潟交通本体と合わせて3社ある。新潟交通は新潟市中心部の路線バスと県内外への高速バス、新潟交通と同所に本社を置く新潟交通観光バスは貸切バス事業と、新潟市郊外をはじめ下越地方全域の路線バス、佐渡市に本社を置く新潟交通佐渡は佐渡島内の路線バス・貸切バス事業を、それぞれ受け持っている。これらのバス会社やその他事業を営む関連会社を合わせて新潟交通グループと総称される。
2007年3月31日まではこの他、村上市に本社を置く新潟交通北(同市と新発田市を中心とした路線バス)、新潟市西蒲区に本社を置く新潟交通西(新潟市秋葉区の西部・南区・西蒲区、加茂市、三条市を中心とした路線バス)の2社があった。また新潟交通観光バスは新潟市東区に本社を置き、観光バス事業と新潟市江南区・秋葉区の東部と阿賀野市、五泉市を中心とした路線バスを運行していたが、同年4月1日付でこの地域子会社3社が合併。存続会社は新潟交通観光バスとなり、本社登記も新潟交通と同所に移された。
本社がある新潟市中心部の万代・八千代地区では商業地万代シテイの開発に携わるなど不動産業も手掛けている。このほか、新潟空港のターミナルビル会社への出資や佐渡汽船への出資、全日空の新潟地区総代理店ならびに日本航空の新潟地区代理店として市内・空港業務を受託するなど、下越・佐渡地方の公共交通網の中軸的な役割を果たしている。
また、かつては燕市から新潟市中心部に至る鉄道路線も運営していたが、1999年4月に廃線となった(新潟交通電車線を参照)。
2007年の新潟市のオムニバスタウン指定を受け、市と共同でバスの運行環境改善と公共交通軸の形成に向けた取り組みを行っている。その一環としてIC乗車カードの導入計画が進められ、2011年4月24日よりIC乗車カード「りゅーと」のサービスを開始するなど、多くの施策が進められている。
2000年の中野進取締役退任までは創業者の中野四郎太から続く中野一族を中心とした経営が続いた[18][19][20][21]。
1970年代以降は新潟島の人口減少など人口構造の変化に加え、モータリゼーションや競合する国鉄・JR東日本鉄道路線の利便性向上によって利用者が減少の一途を辿るなどバス離れが深刻となり[22][23][24]、零細路線の減便・廃止を余儀なくされている。また不動産部門でもバブル崩壊以降、不振を託っている。有利子負債は子会社の新交ストアーの不振の影響もあり2002年3月末には633億円にまで達した[25](2011年3月期決算時点では約410億円にまで減少している)。
コロナ禍により収益が悪化しているとのことで交通体系維持を前提として新潟市より補助金が投入されることとなった。[4]
1980年代の新潟県庁移転前後[22][26][27]と2015年のにいがた新バスシステム導入時に全域的な大規模路線網再編が行われた。また、2003年1月には郊外線を中心とした24路線43系統の大規模な見直しを行う方針が発表され[25][28]、のちに多くの路線の末端部がコミュニティバス等へ移管された。
1990年代以降についてのみ記載する。
新潟県内の路線バスのうち、バス停設置型の無線式バスロケーションシステムを導入しているのは西小針線と、市役所前・新潟駅前~下山~松浜~北部営業所・太郎代浜線(松浜線・太夫浜線)の2路線である。これはバス車内の案内放送と無線を介して連動し、表示と音声を用いてバスの接近を知らせる方式であった。
バス停設置型のバスロケは導入・維持管理ともコストが膨大である事が大きなネックとなり、この2路線以外への導入は進められなかったが、新潟交通グループは代替策として国土交通省などと共同でGPSとインターネットによるバスロケーションシステム「にいがたバス-i」の導入を2001年(平成13年)春から段階的に進め[34][35]、旧新潟市域の49路線については2007年3月末に対応を完了した(このほか大野・白根線は急行バスのみ対応)。また前述2路線の旧システムについても導入から20年以上を経過し老朽化が進んでいたことから「バス-i」のシステムを使用した表示装置に順次交換が進められ、さらに中央循環線、大野白根線のほか長潟線、市民病院線、女池線、大堀線、寺尾線など、乗客数が多い路線の主要バス停にも表示装置の設置が順次進められた。
なお「にいがたバス-i」は2015年9月5日のBRT路線「萬代橋ライン」開業と、それに伴う路線再編による「新バスシステム」の開業に伴い、前日の9月4日を以ってサービスを終了し、ロケーションシステムやインターネットでの時刻・運賃案内などは、新潟市と新潟交通がナビタイムジャパン社のシステムを使用して運用する「にいがた新バスシステム 時刻・運賃検索」サイトへ移行された[36]。高速バスでも県内線・県外線の全線において前述の「にいがたバス-i」のシステムを運用していた[37] が、サービスは順次縮小され、県外線は2012年[38] に、県内線も2015年9月4日[39] をもって終了した。
需要把握のための乗降センサーが約400台の全ての乗合バス車両に設置され、2004年に運用が開始された[40]。
カード | 導入年 | ポイント |
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りゅーと | 2011年4月24日 | 有 |
Suica | 2013年3月23日 | 無 |
モバイルSuica | 2013年3月23日 | 無 |
乗車方法は後乗り前降り後払い方式で、運賃は整理券方式の多区間制である。中央区中心部のうち新潟駅万代口・万代シテイ周辺には「ワンコイン区間」(大人100円)が、その外郭部には「市内均一区間」(大人210円)がそれぞれ設定されている。また、「ワンコイン区間」(大人100円)は、西区の新大入口-新大西門間・新大入口-清心学園前間及び中央区の青陵ライナー(白山駅前―新大病院―新潟青陵大学)にも設定されている。
新潟交通ではIC乗車カード「りゅーと(RYUTO)」のサービスを、2011年(平成23年)4月24日から市内の路線バスの一部を皮切りに開始し、その後サービスエリアの拡大を順次進め、新潟市中心部を発着地とするほぼ全ての一般路線バスで利用できるようになった。なお2013年(平成25年)3月23日から、りゅーとのサービスエリアにおいてSuicaをはじめとする全国10種類の交通系ICカードが利用可能となっている。
なお新潟交通では磁気プリペイドカードのバスカードのサービスを行っていたが、2013年(平成25年)9月30日を以ってサービスを終了しており、現在は利用できない。
新潟交通グループの一般路線用車両は、三菱ふそうトラック・バス、いすゞ自動車、UDトラックス(旧:日産ディーゼル工業)製の車両が中心であり、日野自動車製は小型車両「ポンチョ」など少数在籍するのみである(ただし、日野・セレガとの統合モデル車種である2代目ガーラの配置はある)。これは前掲3社が新潟交通の株式を保有しているのに対し、日野自動車のみ株式を保有していないことが影響しているといわれる。このように大手の大型車両メーカーが新潟交通の株式を保有している関係からか、他の地方バス事業者と比較すると新車の導入率が高い。かつて大型路線車は長尺車を多く導入していたが、1990年代後半以降は標準尺・短尺車も導入されるようになった。
現在では新潟市中心部の路線車については、新車を積極的に投入するようになっているものの、かつては設備の近代化の面においては立ち遅れた面が多く、路線車の冷房化が本格的に進められたのは1984年、新潟駅前 - 西小針 - 内野・新潟大学線(西小針線)に、県内で初めて都市新バスシステムが導入されたのがきっかけだった。バスロケーションシステム対応の冷房付き新型車両には当時「銀太郎」の愛称が付与されていた[41]。地域子会社を含む車両の完全冷房化は1990年代後半に入ってからのことだった。
新車の大型路線車(一般路線車・高速車とも)は、まず新潟交通本体の各営業所へ配属され、導入から約10年を経過すると、子会社の新潟交通観光バスや新潟交通佐渡の各営業所へ転属されるパターンが多い。こうしたことから、新潟市の旧市域を運行する路線には高年式の車両が、編入市域や下越・佐渡など子会社が運行する路線には、新潟交通本体から転属した車両が運行に充当されている。また1990年代後半には、首都圏の排気ガス規制の影響で使用できなくなった車両を関東の事業者などから受け入れ、これらは新潟交通とグループ各社に配備された。だが、この受け入れが一段落してからは譲渡車両はほとんど無く、新潟交通は新車を、グループ各社は新潟交通からの転属車両を充当するケースが多くなっていたが、近年は関東地方などからの事業者から購入した中古車が再び導入されている(供給元については「#移籍車の供給元」参照)。
2010年11月の小型車両の日野・ポンチョが導入され、その後も2017年に新たに3台が導入されるなどしている。2018年4月現在、主に臨港線(E1系統)や西堀線(C5系統)、青山循環線、青陵ライナー、みなと循環線などで運行されている[注釈 2]。
特徴的な車両としては、1980年代から2000年代の四半世紀にわたって運用されていたいすゞ・キュービック(P-LV314Q)に北村製作所製の車体を架装した車両が挙げられる(写真)。この車両は北村製作所の大型バス用車体としては初にして唯一のスケルトンボディであり、新潟交通には1985年から1988年にかけて合計100台が導入された。この車体は新潟交通以外の事業者では頸城自動車にP-LT312Jが路線バス用に1台、日本赤十字社新潟県支部に献血車用として数台が納入されたのみで、納車先はほとんどが新潟県内であった。その外観からバスファンからは「なまず」という愛称でも呼ばれ、当時は新潟交通のシンボルとも言うべき存在でもあった。しかし、車体の老朽化が著しくなった2000年代前半以降は旧市域の営業所から全て除籍され、新潟交通観光バスの各営業所へ移籍したり廃車されるなどして次第に淘汰され、新潟交通観光バスの潟東営業所所属の最後の1台(車番:G904-I)も2011年4月末を最後に定期運用から離脱し、同年秋にかけて貸切ツアーやイベント等で運行された後、同年12月の車検満了をもって全廃された。
なお最後の1台は「新潟生まれ・新潟育ち」という車両そのものの希少性が評価され、また長年の労苦を労うため、新潟市は新潟交通から車両の譲渡を受けて静態保存することになり、同市中央区の鳥屋野交通公園内で2012年7月21日から一般公開を開始した[42][43]。その後のいすゞ製大型路線車は1989年のみ富士重工業製車体で導入され、1990年以降はすべて純正車体(アイ・ケイ・コーチ→いすゞバス製造→現:ジェイ・バス)で導入されている。
これ以外にも、都市新バスシステムの整備に合わせて導入された車両の一部(1983年に14台導入された三菱ふそうK-MP118N・1984年に21台導入されたP-MP118N)は「ひらめ」との通称があるエアロスター試作型車体(呉羽自動車工業製)を架装しており、やはり他の地区ではなかなか見られない車体であった[注釈 3]。
この「なまず」と「ひらめ」を中心とした、都市新バスシステムに対応した冷房付きの一般路線車両には、一般公募により「銀太郎」という愛称が付けられていた。
1981年から2000年中頃までの間に導入された車両の車内には、座席の横に幅15cm程度の荷物棚が設置されている。これは乗客からの要望により設置されたもので、新潟交通以外の事業者では導入例が少ない。しかし2人掛け座席の箇所では通路幅が狭くなるため、交通バリアフリー法で規定されている通路幅の制限に抵触することや、立ち席数を確保する必要性などから、その後の導入車両には設置されていない。
路線バスは、濃銀色のボディに青色のラインが入り、ルーフを赤色に塗装したカラーリングを使用しており、通称「銀バス」と呼ばれる。
銀バスの塗装は、新潟交通の前身の一つである新潟合同自動車が発足した1932年頃から使用されているもので、かつてはボディ全体が銀色であった。現在の赤屋根が採用されたのは1990年からである。これは日本海に沈む夕日をイメージしたもので、且つ新潟市で1922年に初めて本格的に運行を開始し、通称「赤バス」と呼ばれた当時の路線バスの車体にも因んだものである。この他、車体全面に広告を施したラッピングバスが各営業所に配属されている。
また、ノンステップバスは導入時期や路線などによって3つの塗色がある。1999年秋、市内線の昭和大橋線(1系統)に初めて導入された車両は、オレンジ色を基調に黄・白のアーチラインが施されている。[注釈 4] ノンステップバスはその後しばらく新規投入されなかったが、2007年、新潟市がオムニバスタウンに指定されたのに伴って同年秋から新型車両が大量に投入された。同年投入のノンステップ車の塗色には上記の「銀バス」塗装(車体後部に新潟市のシンボルマークと「オムニバスタウンにいがた」のロゴが入る)の他、オレンジ色を基調としたグラデーションに白鳥が飛び行く姿を模した「にいがた基幹バス」(中央循環線・市民病院線)専用塗装の2種類がある。
高速バスや貸切などに使用される観光用車両は、白色のボディに緑色と臙脂色の「N」字を模したラインが入る。
カラーリングの白は「雪」、緑は「越後平野」を表しており、また臙脂色は観光・高速用車両の旧塗装(白地にグレーの横ピンストライプの地色に、臙脂色と紺色のラインを配したもの)をオマージュしたものである[44]。この塗装は1978年の北陸自動車道の県内区間(新潟黒埼IC - 長岡IC間)開通以降、県内の高速道路延伸などを視野に1980年に採用されて以来、現在に至るまで使用されている。
また、県外高速バス線車両(県内向け車両を用いる会津若松線を除く)とサロン等を装備した観光バス特別車両のみに、ボディ横に赤のラインと金文字「Niigata Kotsu」のロゴタイプが入る(2006年時点、観光バス特別車両は存在せず)。
新潟交通グループの車両には、1台ごとに「車号」と呼ばれる番号が付与されている。車号は「アルファベット1文字 - 1桁から4桁の数字 - アルファベット1文字」で構成されており、ナンバープレート(登録番号)と車両のメーカーを表したものである。
※A・Fは中判プレート、G・Hは大判プレート。
例えば、いすゞ製の車両で、ナンバーが「新潟200 か 12-34」の場合、車号は「H1234-I」となる。ただし観光・高速車の車体および、H100-M(新潟200 か ・100)以降の車両には、車号を記載していない。
なお、BRT路線「萬代橋ライン」で運用されるスカニア・ボルグレン製連節バス(愛称「ツインくる」)4台は前掲の車号ではなく、ナンバープレートの登録番号(新潟200 い 1、200 あ 2・3、230 あ 4)に準じた「001」から「004」までの固有番号が付与されている。
特記以外は連結子会社(9社)。