日本SF大賞 | |
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受賞対象 | SF |
国 | 日本 |
主催 | 日本SF作家クラブ |
初回 | 1980年 |
公式サイト | http://sfwj.jp/awards/ |
日本SF大賞(にほんSFたいしょう)は、日本SF作家クラブが1980年に創設し、主催している賞である。年1回、9月1日から翌8月31日までの1年間に発表された作品(出版物や映像作品、および現実に起きた出来事や製品も含む)の中から最終候補作を選び、日本SF作家クラブの総会で選ばれた数名の選考委員による討議を経て受賞作を決定する[1][2][3]。
商業分野のSF関係者が、商業作家が発表した商業作品の中から受賞作を選ぶという点では、アメリカのネビュラ賞に近い特徴を持つ(ただしネビュラ賞に選考委員会は存在せず、受賞作はアメリカSFファンタジー作家協会会員による投票で決まる)。本賞の制定以前、日本のSF賞には日本SF大会においてSFファンの投票で決定する星雲賞や、公募新人賞であるハヤカワSFコンテストなどがあったが、プロがプロの作品を選ぶSF賞は本賞が初だった。
もう一つの大きな特徴は、日本の『SFとしてすぐれた作品であり、「このあとからは、これがなかった以前の世界が想像できないような作品」や「SFの歴史に新たな側面を付け加えた作品」』であれば、あらゆる事物を受賞の対象としていることである(後述の制定経緯も参照)。対象は創作物に限定しておらず、はやぶさの帰還などの現実の出来事、VOCALOIDや二足歩行ロボットASIMOのような製品も対象になると謳われている[4]。小説や映画など各メディアごとの賞は数多く存在するが、本賞のように様々なメディアの作品・出来事・製品などが同じ土俵で評価されるものは珍しい。これまでに小説以外に、評論などのノンフィクション、漫画、映画、アニメが受賞しており、ゲームも候補に挙がったことがある[5]。
第33回(2013年度)までの選考手順は、まず日本SF作家クラブ会員に書面アンケートを実施し、その結果をもとに日本SF作家クラブの総会で選ばれた選考委員が最終候補作を決定。改めて開催された選考委員会で受賞作を決定する、というものだった[6]。第17回(1996年度)まではアンケート結果・候補作ともに公表されていなかったが、以降は最終選考の前に公表されるようになった。第34回(2014年度)以降は、候補作エントリーを一般の読者やファンからもTwitterと電子メールで募集し、その中からクラブ会員の投票によって最終候補作を決定し、選考委員による最終選考会で受賞作を決定する、という方式に改められた[4](なお、エントリーされたのみの作品は「候補作」とは呼ばない)。
受賞者には、日本SF作家クラブ発行の正賞と後援・協賛社からの副賞(第33回までは後援の徳間書店から賞金、第34回以降は非公表)が贈られる。現在の正賞はSFイラストレーターの横山宏作のトロフィー。制定時に100万円だった副賞の賞金は、その後、200万円に増額されたが、ドワンゴ協賛となり100万円に戻った。またクラブの非会員が受賞した場合、本人が希望すれば、通常クラブへの入会に必要な「会員からの推薦」等の手続きを経ずに、クラブの総会で入会可否を直接諮ることができる[7]。
受賞作発表は第33回まで、後援する徳間書店の小説誌上(雑誌の変遷にともない『SFアドベンチャー』→『問題小説』→『SF JAPAN』→『問題小説』→『読楽』と移行)で行われていた。徳間書店が後援を降りた第34回以降は、日本SF作家クラブの公式サイトで直接発表している。
かつては複数回受賞は認められておらず、過去の受賞者は、その後どのような傑作を発表しようと受賞することはなかったが[8]、後に規約が改められて複数回受賞が可能になった[9]。SFプロパーとみなされる作家による作品の受賞については「功労賞」的に与えられる場合も多く、1980年創設という時期的な問題もあり、小松左京、筒井康隆、半村良など、1980年代より前に意欲的にSFの創作をしたSF作家のベスト作品に与えていない場合も多いという意見もある[8]。
また第36回(2015年)では、谷甲州『コロンビア・ゼロ 新・航空宇宙軍史』が「選考委員の作品として初」の受賞となった(谷は選考委員会には書面参加)。第38回(2017年)では、飛浩隆『自生の夢』がやはり選考委員の作品として受賞をして、飛は選考委員会には書面参加した。
「特別賞」は評論作品、「功績大である死去者(会員)」、「死去者の作品」に贈られることが多かった。2011年度に、初の「特別功労賞」が死去した小松左京に贈られた。また、2015年度からは、日本SF作家クラブの会員でない者を含み、SF界に功績大である死去者にあたえる賞として「功績賞」が贈られるようになった。2019年度は死去者が多かったため、功績賞とは別に「会長賞」が死去者である小川隆、星敬に授与された。
なお、選考対象期間が暦年をまたぐため、最終選考会が年を越す場合は前々年の作品が受賞する(9月1日〜12月31日刊行の作品が翌々年に受賞する)可能性もある。
大賞受賞者は、受賞後に選考委員に選ばれる頻度が高い。また1993年分から「選考委員に1名以上女性」というルールがほぼ適用されている。
創設時から徳間書店が後援していたが、第33回を最後に降板した[10]。
第34回から第39回(2014年 - 2019年)はドワンゴの協賛[11][12]により、授賞式をニコニコ生放送で生中継した[13]。
第41回から第43回(2021年 - 2023年)はピクシブ株式会社・株式会社ブックリスタ協賛で行われた[14][15][16]。
本賞の制定にあたり、「SFのプロ」として動いたのは小松左京である。第1回(1980年度)受賞作として刊行された徳間文庫版『太陽風交点』の[17]解説に続けて収録された「SFの原点をいきいきと保持する作品――選評にかえて――」において(以下、注記あるまで参考文献は同書)小松が説明しているところによれば、1980年6月の日本SF作家クラブ総会で設置が決定され、その後徳間書店による後援と副賞・授賞式・誌上発表について協定が成立、作家クラブ総会で承認、という経緯で設置された。銓衡[18]の経過は、授賞作への選評以外を非公開とすることもそこで述べられている。
続いて同書に収録されている、日本SF作家クラブ代表として小松左京と、筒井康隆(当時事務局長)の連名の「『日本SF大賞』を設定するにあたって」では、「SFを専門とする立場から顕彰する必要もまた、増大」「SFを専業とするものの責任において……表彰」といったことが述べられている。特に文筆以外の活動についても、「もし、他のジャンル、たとえば映像、漫画、SFアート、あるいは音楽などの分野にその年度においてきわだってすぐれた業績があれば、考慮の対象とする事を妨げません」とあり、当初からの姿勢であったことが窺える。(徳間文庫版『太陽風交点』にもとづく記述ここまで)
筒井康隆による述懐によれば、会員へのアンケート結果と候補作を発表しないのは落選作が分からないようという配慮で、直木賞の落選経験を持つ筒井の意向だったという[19]。また筒井としては、筒井が高く評価していた大江健三郎の『同時代ゲーム』が不遇だったため、受賞させて再評価させようという意図があったという[20][21]。
本賞の受賞年表記は、対象期間最終日(8月31日)の属する年度を基準としている。実際の受賞年は表記年の翌年。