日産・GTP ZX-T

日産・GTP ZX-T (1988)
カテゴリー IMSA-GTP
コンストラクター エレクトラモーティブ
デザイナー トレバー・ハリス
鈴鹿美隆(空力)
後継 日産・NPT-90
主要諸元
シャシー アルミハニカム モノコック
サスペンション(前) ダブルウィッシュボーン
サスペンション(後) ダブルウィッシュボーン
全長 4,800.4 mm
全幅 2,006.5 mm
全高 1,016 mm
トレッド 前1,600 mm / 後1,550 mm
ホイールベース 2,705 mm
エンジン 日産・VG30 3,000 cc V6 Turbo ミッドシップ
トランスミッション ヒューランドVGC
重量 929.9 kg
タイヤ グッドイヤー
主要成績
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日産・GTP ZX-Tは、IMSAシリーズ参戦用にアメリカ・エレクトラモーティブ社が1985年から1990年にかけて使用したIMSA-GTPマシン。エンジンはフェアレディZ(アメリカでの名称は300ZX)用3リッターV型6気筒ターボエンジンVG30をチューンして搭載した。

概要

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シャシー

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1985年、フェアレディZの改造車でIMSA-GTOクラスに参戦していたエレクトラモーティブが、IMSA-GTPクラスへの参戦にあたり使用したマシンがGTP ZX-Tである。このマシンのシャシーはローラ・T810だった。参戦初年度はエレクトラモーティブ創始者のドン・デベンドーフがドライバーを務めた。翌1986年には鈴鹿美隆により修正を加えられたボディが投入された。

1988年、外観はほぼ同じながらエレクトラモーティブにより製作されたオリジナルのマシンが投入された。マシン名称はGTP ZX-Tから変更されなかったが、初期のモデルと区別するため、このマシンを特にGTP ZX-T88と呼ぶこともある。

エンジン

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VG30をベースとし、2バルブSOHCという構成は生産車と同じだった。内部部品は数多く置き換えられているが、シリンダーブロックとヘッドはほぼ生産車用のままだった[1]エンジンコントロールユニットは、エレクトラモーティブのオリジナルだった[1]

戦績

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ZX-T88のデビュー戦は1988年IMSA第2戦マイアミGP。このレースではポールポジションを獲得するも決勝はトラブルで8位に終る。第3戦セブリング12時間を欠場した後、第4戦ロードアトランタで初勝利。以降第11戦シアーズポイントまでIMSA新記録の8連勝を達成する。この年参戦した12戦中9勝の圧倒的強さでジェフ・ブラバムをIMSAドライバーズ王者に導くも、クラシック耐久のデイトナとセブリングを欠場したこと、ポルシェに対して台数の劣勢から、メイクスでは王者を取り逃す。

翌1989年はデイトナ24時間とセブリング12時間にも参戦。デイトナは終盤までトップを快走するもリタイヤに終るが、同じく初出場のセブリング12時間では日本のメーカー(ブランド)としては初めて優勝することとなる。この年はドライバー(ジェフ・ブラバム)、メイクスの二冠に輝く。

1990年はデイトナに参戦するがリタイヤ。セブリングは2年連続で制覇する。この年からプライベーターにも供給を開始した。シーズン途中で新型のNPT-90に切り替わり使命を終える。

脚注

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  1. ^ a b イアン・バムゼイ『世界のレーシングエンジン』(三重宗久・訳)グランプリ出版刊、1990年9月28日発行(154-161ページ)