日産・セドリック | |
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7代目 ハードトップ | |
概要 | |
別名 | 日産・グロリア(3代目以降) |
製造国 | 日本 |
販売期間 |
1960年-2004年 ※7代目の営業車のみ2014年まで |
ボディ | |
ボディタイプ |
2/4ドアハードトップ 4ドアセダン 5ドアステーションワゴン/ライトバン |
駆動方式 | FR |
系譜 | |
先代 | 日産・オースチンA50ケンブリッジ |
後継 |
日産・フーガ ※グロリアと統合 |
セドリック(CEDRIC)は、日産自動車が1960年から2004年まで製造・販売していた乗用車(高級車)である。自家用車のほか、タクシー、ハイヤー、パトカー、教習車としても多く採用され、同クラスのトヨタ・クラウンとは長年の競合車種であった。ボディタイプはセダンとハードトップを基本とし、ライトバンおよびワゴンが年式によりラインナップされた。
3代目230型からは、旧プリンス自動車工業より引き継がれたグロリアと姉妹車の関係になり、2車をあわせて「セド・グロ」と通称された。
なお、2014年11月まで製造・販売されていた同名の営業車についてはセドリック営業車を参照。また、一般、官公庁向けに販売されていた自家用セダンについてはセドリックセダンを参照。
日産・セドリック(初代) 30型系 | |
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1900カスタム(前期型) | |
カスタム(後期型) | |
概要 | |
販売期間 | 1960年4月 - 1965年10月 |
設計統括 | 藤田昌次郎 |
ボディ | |
乗車定員 | 6人 |
ボディタイプ |
4ドアセダン ステーションワゴン ライトバン |
駆動方式 | FR |
パワートレイン | |
エンジン |
2.8L 直6 2.0/1.9/1.5L 直4 ディーゼル2.0L 直4 |
変速機 |
3速AT 3速 / 4速MT |
サスペンション | |
前 | ダブルウィッシュボーンコイル |
後 | リジッド半楕円リーフ |
車両寸法 | |
ホイールベース | 2,530 mm - 2,630 mm |
全長 | 4,410 mm - 4,510 mm |
全幅 | 1,680 mm |
全高 | 1,520 mm |
車両重量 | 1,195 kg |
その他 | |
ブレーキ | 4輪ドラム |
最高速度 | 130 km/h(デラックス) |
系譜 | |
先代 | 日産・オースチンA50ケンブリッジ(事実上) |
後継 | スペシャルのみプレジデントへ発展 |
ライセンス生産が行われていた日産・オースチンA50ケンブリッジに代わる純国産中型乗用車として開発。ラップアラウンドウィンドウと呼ばれるサイドに回り込んだフロントウインドシールドと前傾したAピラー、縦型デュアルヘッドランプやテールフィンなど、アメリカ車の影響を強く受けたスタイルが特徴[注釈 1]。リアコンビネーションランプをはじめとするリアエンドのスタイルにはピニンファリーナがデザインしたオースチンA60ケンブリッジ(1961年 - 1969年)の影響も見られる。
日産初の一体構造車体(ユニットボディ = モノコックボディ)を採用。エンジンは当初はG型直列4気筒1,500 cc(71 ps)、後にH型直列4気筒1,900 cc(88 ps)、K型直列6気筒2,800 cc(115 ps)、直列4気筒2,000 ccのSD20型ディーゼルエンジンが追加された。ブレーキは4輪ドラムブレーキで、前輪ユニサーボ(リーディングシュー)、後輪デュオサーボ(リーディング&トレーリングシュー)。ステアリングギアボックスはウォームローラー型だった。グレード構成は当初スタンダードとデラックス、後にカスタムとスペシャルを追加。
販売終了前月までの新車登録台数の累計は14万4746台[1]
日産・セドリック(2代目) 130型系 | |
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セダン スペシャル6(前期型) | |
セダン スペシャル6(後期型) | |
概要 | |
販売期間 | 1965年10月 - 1971年2月 |
設計統括 | 藤田昌次郎 |
デザイン | ピニンファリーナ |
ボディ | |
乗車定員 | 6人 |
ボディタイプ |
4ドアセダン ステーションワゴン ライトバン |
駆動方式 | FR |
パワートレイン | |
エンジン |
3.0/2.0L 直6 2.0L 直4 ディーゼル2.0L 直4 |
変速機 |
3速AT 3速 / 4速MT |
サスペンション | |
前 | ダブルウィッシュボーンコイル |
後 | リジッド半楕円リーフ |
車両寸法 | |
ホイールベース | 2,690mm |
全長 | 4,680mm |
全幅 | 1,690mm |
全高 | 1,455mm |
車両重量 | 1,280kg |
その他 | |
ブレーキ | 4輪ドラム |
最高速度 | 150km/h(カスタム6) |
前モデルのアメリカンスタイルとは打って変わってピニンファリーナデザインのヨーロピアンスタイルとなった。フローイングラインと呼ばれるフロントからリアにかけて下がっていくラインや、下すぼまりのCピラーに特徴があった。ピニンファリーナのデザインが採用されたため、このセドリックのために日本でデザインされていたボディスタイルは拡大の上、150型プレジデントに流用された。歴代セドリックでは唯一、警察専用車(警ら車)を除き3ナンバー普通車の設定が存在しないモデルである。エンジンはH20型4気筒OHV2,000 cc (92 ps) 、J20型6気筒OHV2,000 cc (100 ps) 、スペシャル6のみはL20型OHC6気筒ツインキャブ2,000 cc(115 ps、L20Aになってからは130 ps)が搭載され、警察向け(Y130)としてH30型直列6気筒OHV3,000 ccが搭載された。足回りは前輪ウィッシュボーン・コイル、後輪リーフスプリング。トップグレードのスペシャル6には前輪にディスクブレーキを標準装備。1968年のビッグマイナー以前のオートマチックはボルグワーナー製だったが、以降は後に長く使われる事になる3N71型フルオートマチックトランスミッションが初搭載された。当初のグレード構成は4気筒の130型にスタンダード、デラックス、6気筒のP130型に6とカスタム6、H130型スペシャル6、加えてワゴンとバンに6気筒と4気筒モデル。(WP130、W130、VP130、V130)
販売終了前月までの新車登録台数の累計は21万8522台[2]。
日産・セドリック(3代目) 230型系 | |
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4ドアセダン 2000スタンダード(前期型) 1971年2月 - 1972年7月 | |
4ドアセダン 2000デラックス(後期型) 1973年4月 - 1975年6月 | |
4ドアハードトップ(後期型) | |
概要 | |
別名 | 日産・グロリア(4代目) |
販売期間 | 1971年2月 - 1975年6月 |
設計統括 | 四手井昌一 |
ボディ | |
乗車定員 | 6人/5人 |
ボディタイプ |
2・4ドアハードトップ 4ドアセダン ステーションワゴン ライトバン |
駆動方式 | FR |
パワートレイン | |
エンジン |
L26(OHC直列6気筒2600cc) L20(OHC直列6気筒2000cc) L20P(OHC直列6気筒2000ccLPG仕様) H20(OHV直列4気筒2000cc) H20P(OHV直列4気筒2000ccLPG仕様) SD20(OHVディーゼル直列4気筒2000cc) |
変速機 |
・AT コラム/フロア3速(3N71B) 電子制御式3速(E3N71B、2600GXにオプション設定) ・MT フロア5速(FS5C71B) フロア4速(F4W71A又はF4W71B) コラム4速(R4W71A又はR4W71B) コラム3速+OD(RS4W71A又はRS4W71B) コラム3速(R3W71A又はR3W71B、スタンダードにのみ設定) |
サスペンション | |
前 | ダブルウィッシュボーンコイル |
後 | リジッド半楕円リーフ |
車両寸法 | |
ホイールベース | 2,690 mm |
全長 | 4,690 mm |
全幅 | 1,690 mm |
全高 | 1,455 mm |
車両重量 | 1,345 kg |
その他 | |
ブレーキ |
前:9インチマスターバック付きディスク(スタンダードのみ6インチマスターバック付きドラム) 後:ドラム |
最高速度 |
180 km/h(2600cc全車) 175 km/h(ツインキャブMT車) 165 km/h(シングルキャブMT車) 155 km/h(AT全車) 140 km/h(スタンダード) |
同時にモデルチェンジしたグロリアと同一の基本構造を持ち、フロントグリル、エンジンフード、リアコンビランプ、オーナメント類以外はすべて共用する姉妹車となった。このモデルよりそれまでの追浜工場から栃木工場での生産となった。
ボディスタイルは流行のコークボトルラインを採り入れた。トヨタ・クラウンの2ドアハードトップに対抗するため、本モデルよりハードトップの設定がなされ、後に日本車としては初の「4ドアハードトップ」も追加された。4ドアハードトップはスポーティさと4ドアの利便性で大きな人気を博し、個人ユーザー向けの大半が4ドアハードトップとなった。ハードトップのデザインはセダンから派生した物であるが、A、Cピラー共にセダンよりも傾斜を大きくしてキャビンを縮小、セダンの丸型4灯式ヘッドランプ、大型テールランプに対し、(2・4ドア共)ハードトップでは角型2灯式ヘッドランプ、小型テールランプとする等の差別化を図っていた。ミラーもワイヤー式だがリモコンタイプが初めて採用された。
エンジンはH20型4気筒2,000 cc (92 ps) 、L20型6気筒2,000 cc(シングルキャブ115 ps、SUツインキャブハイオク仕様130 ps、SUツインキャブレギュラー仕様125 ps)、L26型6気筒2,600 cc (140 ps) 、SD20型4気筒 OHV ディーゼル(60ps)、営業車向けにLPガス仕様のL20P型6気筒2,000cc(95ps)とH20P型4気筒(80ps)が設定された。[3]なお、L26型6気筒はバンにも搭載された(1ナンバー登録)。 サスペンションは、前輪がダブルウイッシュボーン+コイルスプリングの独立、後輪が半楕円リーフのリジッドであった。
国内販売では、同時期のクラウンが斬新なボディスタイルで法人や保守的なユーザーに敬遠されたこともあり、グロリアと合わせた販売台数がクラウンを上回った唯一のモデルでもある。海外向けでは1972年(昭和47年)の日中国交正常化後、日産車で最初に中国へ輸出、販売されたモデルである。
テレビCMは発売当初、歌手の菅原洋一が出演(娘の歌織とともに出演していた)。1972年(昭和47年)のマイナーチェンジ後より、俳優の二谷英明が登場した(当初は妻で女優の白川由美と共演)。以後、二谷は1987年(昭和62年)のY30型まで長きに渡ってCMキャラクターを務めることとなる。キャッチコピーは「ゆとりのセドリック」(前期型)、「ゆとりをひろげるセドリック」(後期型)。
販売終了前月までの新車登録台数の累計は28万6281台[4]。
2000ccシリーズ
2600ccシリーズ
日産・セドリック(4代目) 330型系 | |
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4ドアハードトップ 2000SGL-Eエクストラ(後期型) 1977年6月 - 1979年6月 | |
4ドアセダン GL (後期型) 1977年6月 - 1979年6月 | |
概要 | |
別名 | 日産・グロリア(5代目) |
販売期間 | 1975年6月 - 1979年6月 |
ボディ | |
乗車定員 | 5人 |
ボディタイプ |
2・4ドアハードトップ 4ドアセダン ライトバン |
駆動方式 | FR |
パワートレイン | |
エンジン |
2.8/2.0L 直6 2.0L 直4 ディーゼル2.2/2.0L 直4 |
変速機 |
3速AT 5速 / 4速 / 3速MT |
サスペンション | |
前 | ダブルウィッシュボーンコイル |
後 | リジッド半楕円リーフ |
車両寸法 | |
ホイールベース | 2,690 mm |
全長 | 4,785 mm |
全幅 | 1,705 mm |
全高 | 1,440 mm |
車両重量 | 1,440 kg |
その他 | |
ブレーキ |
前:ディスク 後:ドラム |
最高速度 | 180 km/h(4ドアセダン 2800SGL) |
デザインはキープコンセプトながら、アメリカンスタイルをさらに昇華させた。ボディは4ドアセダン、4ドアハードトップ、2ドアハードトップ、バンの4種で、ワゴンは廃止された。
発売時のグレードは、ディーゼルを除く4ドアセダンで2,000 cc車はスタンダード・デラックス・カスタムデラックス・GL・SGL、2,800 cc車はSGL、ハードトップで2,000 cc車はカスタムデラックス・GL・SGL、2,800 cc車はSGL、バンではスタンダード・デラックス。この他にタクシー向けにLPG仕様のカスタムデラックス、スタンダード。
ガソリン・LPG乗用車は、発売当初型式は単に330だったが、後の制度変更により、A-またはH-の識別記号が付くようになった。昭和50年排出ガス規制対応として、乗用車系はプレジデントと共に採用された排出ガス浄化装置 (NAPS) が付き、車重も230型よりも増加した。インテリアは格段に豪華なものとなり、最上級グレードの「ブロアム」(Brougham)も登場した。エンジンはGXグレードの廃止により全車シングルキャブエンジンとなった。
販売面でも好調な成績を推移し、モデルサイクルの途中でセドリックとしての累計生産台数100万台に達成することにもつながった[5]。
サスペンションは、前ダブルウイッシュボーン後ろ縦置き半楕円リーフである。
販売終了前月までの新車登録台数の累計は27万8502台[6]
日産・セドリック(5代目) 430型系 | |
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4ドアセダン(後期型) 1981年4月 - 1983年6月 | |
バン(後期型) 1981年4月 - 1983年6月 | |
4ドアハードトップ(後期型) 1981年4月 - 1983年6月 | |
概要 | |
別名 | 日産・グロリア(6代目) |
販売期間 | 1979年6月 - 1983年6月 |
デザイン | 山下敏男 |
ボディ | |
乗車定員 | 5人 |
ボディタイプ |
4ドアハードトップ 4ドアセダン ステーションワゴン ライトバン |
駆動方式 | FR |
パワートレイン | |
エンジン |
L28E型 2.8L 直6 L20ET型 2.0L 直6 ターボ L20E/L20S型 2.0L 直6 LD28型 ディーゼル2.8L 直6 SD22型 ディーゼル2.2L 直4 SD20型 ディーゼル2.0L 直4 L20P型 LPG2.0L 直6 Z20P型 LPG2.0L 直4 |
変速機 |
4速 / 3速AT 5速 / 4速MT |
サスペンション | |
前 | ダブルウィッシュボーンコイル |
後 | リジッド5リンクコイル/リーフ |
車両寸法 | |
ホイールベース | 2,690mm |
全長 | 4,825mm |
全幅 | 1,715mm |
全高 | 1,430mm |
車両重量 | 1,470kg |
その他 | |
ブレーキ | 4輪ディスク |
データモデル | セダン280Eブロアム(前期型) |
2ドアハードトップを廃止し[注釈 5]、4ドアハードトップ、4ドアセダン、ワゴン/バンの3系統のボディバリエーションとなる。ワゴンは230型以来の復活となった。スタイリングは、先代330型の曲線を多用したデコラティブなものとは一線を画した、直線的でクリーンなイメージのものへと大きく変化した。サスペンションは、前輪ダブルウイッシュボーンはキャリーオーバーだが、後輪がこの代から5リンクとなった。SGL以上に設定のコラムシフト+セパレートシート(GL以下は継続)の組合せに代わり「グランドシート」なる幅広シート車を設定。
オープンカーに改造された430は警察行事などの儀礼用に2010年代以降も使用されている。
海外輸出は、セダンとステーションワゴンがあり、フロントグリルがグロリアハードトップのものを流用している。ハードトップも東南アジア(香港・シンガポールなど)といったごく少数の地域へ台数限定で輸出されており、日産セドリックとして輸出された唯一の例でもある。後年、中東・ガルフ地域にハードトップが投入されたのもこの代からである。又、1981年以降の輸出分からDATSUNブランドからの変更に伴いNISSANの併記が見られるようになった。
生産終了前月までの国内新車登録台数の累計は26万6786台[7]。
キャッチコピーは「快適ローデシベル空間」(発売当時)、後期型のマイナーチェンジより「華麗なるエレガンス」。
ハードトップ・セダン:1983年 - 1987年
バン・ワゴン:1983年 - 1999年
日産・セドリック(6代目) Y30型系 | |
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4ドア ハードトップ V30ターボ ブロアムVIP 後期型(1985年6月 - 1987年6月) | |
4ドア ハードトップ V20ターボ ブロアム 前期型(1983年6月 - 1985年6月) | |
バン スタンダード(自衛隊仕様、「業務車1号」) | |
概要 | |
別名 | 日産・グロリア(7代目) |
販売期間 | 1983年6月 - 1999年8月 |
設計統括 | 藤井隆 |
ボディ | |
乗車定員 | 5/6人(ワゴンは7/8人) |
ボディタイプ |
4ドアハードトップ 4ドアセダン ステーションワゴン ライトバン |
駆動方式 | FR |
パワートレイン | |
エンジン |
VG30ET型 3.0L V6 SOHCターボ VG30E型 3.0L V6 SOHC VG30S型 3.0L V6 SOHC(中東市場輸出仕様車) VG20ET型 2.0L V6 SOHCターボ VG20E型 2L V6 CA20S型 2L 直4 L20P型 LPG2L 直6 CA20P型 LPG2L 直4 LD28→RD28型 ディーゼル2.8L 直6 TD25型 ディーゼル2.5L直4(アジア市場輸出仕様車) |
変速機 |
4速 / 3速AT 5速 / 4速MT |
サスペンション | |
前 | マクファーソンストラットコイル |
後 | リジッド5リンクコイル/リーフ |
車両寸法 | |
ホイールベース | 2,730mm |
全長 | 4,860mm |
全幅 | 1,720mm |
全高 | 1,425mm |
車両重量 | 1,475kg |
その他 | |
ブレーキ |
前:ディスク 後:ドラム |
データモデル | 4ドアハードトップV30Eブロアム(前期型) |
ハードトップとセダン、ワゴン・バンのフルラインナップの最後のモデルとなる。このモデルは長年にわたり搭載されていた直列6気筒のL型(L28E、L20ETなど)に代わり、日本初のV型6気筒エンジン(VG型)を搭載したことでも有名である。このVG型エンジンはアルファロメオのV型6気筒を参考にしたといわれる。シリンダーブロックは製作コストの制約上、鋳鉄製となった。前輪サスペンションは、先代のダブルウイッシュボーンから、マクファーソンストラット・コイルとなる。また、小型車の寸法要件が改正された(前端オーバーハング0.8m以下+軸距2.7m以下+後端オーバーハング1.2m以下→全長4.7m以下)ため、このモデルよりホイールベースが延長されている。バンモデルにはGL・デラックス・スタンダードが存在するが何れもCA20S/RD28搭載である。ワゴンはVG20E/RD28搭載である。
それまでセダンとステーションワゴン(日本未販売のV30E-SGL)が主体だった海外輸出仕様は、一部東南アジアへ輸出されていたハードトップも中東地域が追加され、香港・シンガポール・中東では「V30E/ETブロアム」として販売された。中東向けハードトップには、5MT/4ATキャブレター仕様のVG30Sが、東南アジア向けにはインジェクション仕様のVG30Eが用意された。またこの代から欧州(除くイギリス)、東南アジアと中東輸出向け車名がダットサン220-280Cから「日産・セドリック」に、中国では日産・小公に、イギリスやオーストラリア市場では日産 300Cとなった。クウェートのみグロリアとして販売したが、外観はセドリックそのものである。輸出仕様の特徴はフロントグリルにNISSANバッジが装着され、グリル側が斜めになったグロリア仕様のヘッドランプ・レンズを採用、さらに欧州向けはヘッドランプ・ワイパーやリアフォグ内蔵テールレンズ(ワゴンは吊り下げ式)が装備されていた。速度計は欧州向けが240km/h目盛り、香港・シンガポール・UAE向けは220km/hである。後継車は欧州と中南米市場では前輪駆動のマキシマに、オーストラリア市場では現地生産のスカイラインにバトンタッチされ1987年で輸出打ち切り。台湾の裕隆汽車公司では1994年にセフィーロ(A32)にバトンタッチされるまで生産が続いた。日産の組み立て工場があるメキシコではパトカーとしても採用されていた。
新鮮さに欠けたことで、セールス的にはライバルの7代目クラウンに大きく水をあけられる結果となった[8]。
1987年セダンとハードトップがY31型にモデルチェンジした後もバン・ワゴンは日本国内専売車両として1999年まで生産が継続された。なお、バンが直4搭載が廃止されてV6モデルへ集約された。このY30系ワゴン・バンはドレスアップを好むユーザーにも根強い人気があり、最終型(1995年11月 - 1999年8月)のワゴンのSGLリミテッド(デュアルシートのコラムAT)は流通台数が少ないこともあり中古車価格が高い。ディーゼル車規制の区域では、ガソリン車のベンコラ(ベンチシート&コラムシフト)への改造例もある。セドリックワゴンは語呂の良さから「セドバン」と略される事がある。
販売終了前月までの新車登録台数の累計は18万5238台[8]。
ハードトップ: 1987年 - 1991年
セダン: 1987年 - 2002年
営業車(セダンのタクシーおよびハイヤー仕様): 1987年 - 2014年
日産・セドリック(7代目) Y31型系 | |
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V20ツインカムターボ ブロアム 前期型 フロント(1987年6月 - 1989年6月) | |
V20ツインカムターボ ブロアム 前期型 リア(1987年6月 - 1989年6月) | |
V20ツインカムターボ グランツーリスモSV 後期型(1989年6月 - 1991年6月) | |
概要 | |
別名 | 日産・グロリア(8代目) |
販売期間 | 1987年6月 -2014年9月 |
設計統括 | 三坂泰彦 |
デザイン | 若林昇 |
ボディ | |
乗車定員 | 5人 |
ボディタイプ | 4ドアハードトップ / セダン |
駆動方式 | FR |
パワートレイン | |
エンジン |
VG30ET型 3.0L V6 SOHCターボ VG30E型 3.0L SOHC VG20DET型 2.0L V6 DOHCターボ VG20E型 2.0L SOHC RD28型 ディーゼル2.8L 直6 RB20P型 LPG2.0L 直6 CA20P型 LPG2.0L 直4 |
変速機 |
5速 / 4速AT 5速 / 4速MT |
サスペンション | |
前 | マクファーソンストラットコイル |
後 | セミトレーリングアームコイル |
車両寸法 | |
ホイールベース | 2,730mm |
全長 | 4,690mm |
全幅 | 1,695mm |
全高 | 1,400mm |
車両重量 | 1,480kg |
その他 | |
ブレーキ | 4輪ディスク |
データモデル |
4ドアハードトップV20ツインカムターボ グランツーリスモSV(前期型) |
潤沢な開発費に恵まれた時期で、エンジニアリング、スタイリング共に大きな変化が見られる世代である。CMには当初坂本龍一、菊池武夫、鈴木エドワードを起用するなど、既存の保守的な層に代わり、より若くアクティブな層をターゲットにした。
従来からの「ブロアム」に加え、901運動の反映でスポーツ性を向上させた「グランツーリスモ (GranTurismo) 」が新たに設定される。デザインも曲線を巧みに使用した張りのあるモダンなものへと変化した。
4ドアハードトップと4ドアセダンのみがY31型系として新規開発され、ステーションワゴンはWY30型の継続生産となった。セド・グロのハードトップとしてはセンターピラーの無い最後の世代であり、また、遅れて発表されたシーマの開発費に予算を取られたことから、歴代セドリックで初めてステーションワゴンやバンが起こされなかったボディでもある。開発主管の三坂はテレビ番組「新車情報」内で、司会の三本和彦にワゴンのモデルチェンジが見送られた件について質問された際には「あれ(ワゴン)は耐久材に近いもの」と答え、先代を継続販売することを表明している。初代シーマのボディはY31セドリック/グロリアのハードトップがベースとなっており、上屋、インナーパネルは共通である。また、インテリアも共通部分が多い。
開発主管の三坂は日産自動車の歴史上初めて文系出身で開発主管に任命された。
エンジンはVG30ET、VG30E、VG20DET、VG20E、RD28、RB20P(LPG仕様)、CA20P(LPG仕様)。グロリア同様、VG20DET型エンジンを初めて搭載した車種であり、セドリック初のDOHCでもある。
ドアハンドルは、当時の日本車では数少ないグリップタイプのものが採用された。これ以降Y34型系まで引き続いて採用されている。
このY31型系から営業車を除くリアサスペンションにセミトレーリングアーム式サスペンション+コイルを採用、セドリック初の4輪独立懸架となる(前輪はマクファーソンストラット+コイル)。フロアAT車のパーキングブレーキ操作がレバーから足踏み式になった。コラムAT車はセダンのみの設定となる。1987年の東京モーターショーにオーテックジャパン製の「セドリック・ロイヤルリムジン」が出品され、後に市販される。最上級グレードのロイヤルセレクションIIIでは車両価格が1300万円以上に達し、プレジデントはおろか、メルセデス・ベンツ・Sクラス560SELやBMW 7シリーズ750iLよりも高価だった。香港とシンガポールなどのアジア圏でもブロアムVIP(中文:公爵VIP)として販売される。このモデルからは欧州枠とオセアニア枠がマキシマへバトンタッチされた。なお、タクシーやハイヤー用途としてこの型は2014年まで生産された(セドリック営業車を参照)。
日産・セドリック(8代目) Y32型系 | |
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3.0 グランツーリスモ 後期型 フロント (1993年6月 - 1995年6月) | |
3.0 グランツーリスモ 後期型 リア (1993年6月 - 1995年6月) | |
概要 | |
別名 | 日産・グロリア(9代目) |
販売期間 | 1991年6月 - 1995年6月 |
設計統括 | 楠見記久 |
デザイン | 長谷川浩 |
ボディ | |
乗車定員 | 5人 |
ボディタイプ | 4ドアハードトップ |
駆動方式 | FR |
パワートレイン | |
エンジン |
VG30DET型 3.0L V6 DOHCターボ VG30DE型 3.0L DOHC VG30E型 3.0L V6 SOHC VG20E型 2.0L SOHC RD28型 ディーゼル2.8L 直6 |
変速機 | 5速 / 4速AT |
サスペンション | |
前 | マクファーソンストラットコイル |
後 | マルチリンクコイル |
車両寸法 | |
ホイールベース | 2,760mm |
全長 | 4,800mm |
全幅 | 1,745mm |
全高 | 1,405mm |
車両重量 | 1,660kg |
その他 | |
ブレーキ | 4輪ベンチレーテッドディスク |
データモデル | 3.0グランツーリスモ アルティマ(前期型) |
ラインナップはセンターピラーの付いたハードトップのみで、セダンはY31型をマイナーチェンジし継続。同期のクラウンの販売不振もあって、再び販売台数でクラウンを上回る。やや若年層よりのスポーティーなグロリアに対し、セドリックではクロームメッキのフロントグリルを使用するなど高級志向の高いユーザーや比較的高い年齢層を狙った位置付けとなった。ブロアム/クラシック系は異型のヘッドランプを採用し、グランツーリスモ系は丸型4灯式を採用。エンジンはVG20E、VG30E、FPY31型シーマに搭載のVG30DE、VG30DETエンジンとディーゼルのRD28を搭載。トランスミッションはMTが廃止されて、AT車 (5E-AT・4E-AT) のみとなった。グレードはブロアムVIP、ブロアムG、ブロアム、クラシックSV、クラシック、グランツーリスモ アルティマ、グランツーリスモSV、グランツーリスモ。パワーウインドウのスイッチやシートの下まで照らす「トータルコーディネート照明」、パーキングブレーキの解除がセンターコンソールのスイッチとインパネ下のノブと2箇所でできる構造、リモコンミラーとパネルライトコントロールのスイッチが収納可能(開ける時はソフトダンパーでゆっくりと出てくる)、アナログ式の時計、短波ラジオチューナー等、バブル景気期の開発ゆえ、過剰な装備や機構が各所に盛り込まれていた。海外向けは、中東と東南アジアに絞られた。香港・シンガポールではこれまで通りハードトップも加わり、セドリックの他にグロリア(海外名グランツーリスモとして)も輸出された。
日産・セドリック(9代目) Y33型系 | |
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ブロアム 後期型 (1997年6月 - 1999年6月) | |
概要 | |
別名 | 日産・グロリア(10代目) |
販売期間 | 1995年6月 - 1999年6月 |
ボディ | |
乗車定員 | 5人 |
ボディタイプ | 4ドアハードトップ |
駆動方式 | FR / 4WD |
パワートレイン | |
エンジン |
VQ30DET型 3.0L V6 DOHCターボ VQ30DE型 3.0L DOHC VG30E型 3.0L V6 SOHC VQ25DE型 2.5L DOHC VG20E型 2.0L SOHC RB25DET型 2.5L 直6 DOHCターボ RD28型 ディーゼル2.8L 直6 |
変速機 | 4速AT |
サスペンション | |
前 | マクファーソンストラットコイル |
後 | マルチリンクコイル |
車両寸法 | |
ホイールベース | 2,800mm |
全長 | 4,875mm |
全幅 | 1,765mm |
全高 | 1,425mm |
車両重量 | 1,570kg |
その他 | |
ブレーキ | 4輪ベンチレーテッドディスク |
データモデル | 3.0 ブロアム(後期型) |
日産・セドリック(10代目) Y34型系 | |
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前期型 フロント (1999年6月 - 2001年12月) | |
前期型 リア (1999年6月 - 2001年12月) | |
概要 | |
別名 | 日産・グロリア(11代目) |
販売期間 | 1999年6月 - 2004年10月 |
ボディ | |
乗車定員 | 5人 |
ボディタイプ | 4ドアハードトップ |
駆動方式 | 後輪駆動 / 四輪駆動 |
プラットフォーム | 日産・新世代LLクラスプラットフォーム |
パワートレイン | |
エンジン |
VQ30DET型 3.0L V型6気筒 DOHCターボ VQ30DD型 3.0L DOHC VQ25DD型 2.5L DOHC RB25DET型 2.5L 直列6気筒 DOHCターボ |
変速機 |
CVT(エクストロイドCVT) 4速AT |
サスペンション | |
前 | マクファーソンストラットコイル |
後 | マルチリンクコイル |
車両寸法 | |
ホイールベース | 2,800mm |
全長 | 4,860mm |
全幅 | 1,770mm |
全高 | 1,450mm |
車両重量 | 1,660kg |
その他 | |
ブレーキ | 四輪ディスク |
データモデル | 300LX(前期型) |
系譜 | |
後継 |
日産・フーガ ※グロリアと統合 |
新世代LLクラスプラットフォームをベースに開発された[17]。先代までのブロアムシリーズのノーブルさをセドリックの個性とする「1ブランド1モデル」とし、グランツーリスモシリーズはグロリアに統合された。液晶モニターを標準装備し、ここにエアコンの状態やカーステレオのチャンネル表示などを集約した。非タッチパネルで、カーソルで操作する。ディーラーオプションで(アナログ)テレビチューナーを装着可能。カセットプレイヤーはインパネ底部に配置されている。搭載エンジンは直噴技術であるNEO Diシステムを採用したV型6気筒DOHC VQ30DD型、VQ25DD型、280psを発生するターボ付VQ30DET型、および四輪駆動車専用の直列6気筒DOHCターボ付RB25DET型の4機種。海外仕様では唯一香港でグロリアとして販売されたが、このカテゴリーで輸出が途絶えた。
フランシス・ホジソン・バーネットの小説「小公子」の主人公、セドリックに由来。当時の川又克二社長が命名した。
モーター店 (ローレル販売会社) →日産・ブルーステージ。ただし、Y31型セダンは全販売会社。また、CMではセドリック販売会社、セドリック・ローレル販売会社表記もあった。