日産・プレジデント | |
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4代目 プレジデント 後期型(2009年1月-2010年8月) | |
概要 | |
別名 | 日産・シーマ(4代目) |
販売期間 | 1965年 - 2010年 |
ボディ | |
ボディタイプ | 4ドアセダン |
エンジン位置 | フロント |
駆動方式 | 後輪駆動 |
系譜 | |
先代 |
セドリックスペシャル (事実上) |
後継 | 5代目シーマに統合 |
プレジデント(President)は、かつて日産自動車が製造・販売していた、高級セダンである。
1965年10月に初代モデルが発売され、以来2010年8月を以って4代目モデルが生産・販売終了[1]となるまでの間、主に法人・要人向けの最上級車(フラグシップカー)として、44年10ヶ月に渡り製造・販売された。
主に法人向け・ハイヤー向けの大型乗用車であり、日産自動車のフラグシップモデルであった。主に日本国内における官公庁・企業などでの公用車や社用車(役員車)等としての使用が想定されており、トヨタ自動車の「センチュリー」が競合モデルとなっていた。主として日本国内向けの車であったが、一方で1980年代後半から香港やシンガポールなど東南アジア地域のごく一部で輸出販売をしていた。
専用のボディと機構を持っていた初代、2代目モデルに対して、1990年(平成2年)に発売された3代目は『日産・インフィニティQ45(初代)』、2003年(平成15年)に発売された4代目は『シーマ(4代目)/インフィニティ・Q45(3代目)』の派生モデルとなっていた。4代目モデルが最新の安全基準を満たさなくなったことを機に、2010年(平成22年)8月をもって生産・販売を終了した[1]。
車名は英語で「大統領」「総裁」「頭取」「社長」「統率者」などといった意味がある[2]ことから、日本の政治経済を動かす人物が乗るのにふさわしい車、という思いを込めて命名された。
取り扱い販売会社は全国の日産店(ブルーバード販売会社)と、東京・大阪地区のモーター店(ローレル販売会社)だった。
日産・プレジデント(初代) H150型/150型 | |
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H150型(C仕様車) | |
概要 | |
販売期間 | 1965年12月 - 1973年 |
ボディ | |
乗車定員 | 5 - 6名 |
ボディタイプ | 4ドアセダン |
エンジン位置 | フロント |
駆動方式 | 後輪駆動 |
パワートレイン | |
エンジン |
Y40型 3,988cc V型8気筒 OHV H30型 2,974cc 直列6気筒 OHV |
最高出力 |
Y40型: 180 PS/4,800 rpm H30型: 125 PS/4,400 rpm |
最大トルク |
Y40型: 32 kgm/3,200rpm H30型: 24 kgm/3,200rpm |
変速機 |
3速コラムAT 3速コラムMT(A仕様車) |
サスペンション | |
前 | ダブルウィッシュボーン式 |
後 | リーフ式 |
車両寸法 | |
ホイールベース | 2,850 mm |
全長 | 5,045 mm |
全幅 | 1,795 mm |
全高 | 1,460 mm |
車両重量 | 1,530 - 1,615 kg |
その他 | |
ブレーキ |
前:ディスク 後:リーディング・トレーリング |
最小回転半径 | 5.8 m |
系譜 | |
先代 | 日産・セドリックスペシャル |
セドリックスペシャル(50型)の後継として1965年に登場。当時の日本製乗用車の中では車体、エンジンともに最大サイズであった。搭載エンジンはY40型 4.0L V型8気筒OHVとH30型 3.0L 直列6気筒OHVの2種類[3]。
同時期のアメリカ製大型乗用車と軌を一にする水平基調のデザインは、元々2代目(130型)セドリック用に日産社内のデザイナーが計画していたものであったが、2代目セドリックが会社上層部の意向によりピニンファリーナによる欧州風デザインに差し替えられてしまったため、サイズ拡大のリデザインを受けてプレジデントに転用されたものである。
グレードは下からA・B・C・D仕様の4段階で、最上級となるD仕様の価格は300万円と、当時としては突出した高額であった[3][注釈 1]。A・B仕様にはH30型エンジン、C・D仕様にはY40型エンジンが搭載され、Y40型搭載車にはフロントホイールアーチ後部、及びトランクリッド後端に「V8」のエンブレムが付加されていた。トランスミッションはA仕様にはフルシンクロの3速MTが標準装備され、B仕様以上には6ポジション[注釈 2]3速ATが採用された[4]。フェンダーミラーには日本製市販車初のワイヤー式リモコンミラーが採用された。
足回りは速度比例型のショックアブソーバー、路面からの振動を吸収し前のめり現象やローリングを防止するリーフ式サスペンションにより、快適な乗り心地を目指した[3]。また、日本製乗用車初の対向ピストン型ブレーキキャリパーを搭載している。
室内は当時主流のアメリカ製高級車を上回る広さである[3]。シートはオプションを含めると8種類のシートが用意され、人間工学の最新理論に基づいて材質、手触り、色柄にこだわったものになっている。その中にはパワーシステムによるリクライニング式のものもある。運転手側への配慮も抜かりなく、ダッシュボード側にもソフトパッドが張られている。日本初のパワーステアリングも装備され、従来の4分の1もしくは5分の1の操作力で車庫入れや駐車ができるようになり、高速安定性も上がった[3]。潤滑油や冷却水の交換も比較的低頻度でよいなど、整備関係での簡略化も図られている。
本車種は、当時の佐藤栄作首相の公用車としても納入された[5][注釈 3]。ライバルとなるトヨタ・センチュリーは2年遅れでの登場だったこともあり、販売台数はセンチュリーの2倍を記録している。
無印は標準、▲はオプション。
型式 | エンジン | グレード | フロントシート | リアシート | 装備 |
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H150D | Y40型 | D仕様 | ・パワーリクライニングシート ・手動リクライニングシート ・セミセパレートベンチ ・6ウェイパワーシート |
・パワーリクライニングシート ・セミセパレートベンチ |
パワーステアリング クーラー パワーウィンドウ フェンダーミラーコントロール AM/FMラジオ EL式メーター盤照明 パーク自動切換装置 |
H150 | C仕様 | ・ベンチシート ・▲パワーリクライニングシート ・▲手動リクライニングシート ・▲セミセパレートベンチ ・▲6ウェイパワーシート |
・ベンチシート ・▲パワーリクライニングシート ・▲セミセパレートベンチ |
パワーステアリング ▲セミトランジスタイグニッション ▲パワーウィンドウ ▲AM/FMラジオ ▲EL式メーター盤照明 ▲リアヒーターコントロール ▲パワードアロック ▲パワードアベンチレーター その他のオプションはA・B仕様車と同じ | |
150A | H30型 | B仕様 | ・ベンチシート ・▲セパレートシート |
・ベンチシート | パワーブレーキ 電熱線入りリアウィンドウ 3速MT ▲パワーステアリング ▲前照灯自動切換装置 ▲室内操作式アウトサイドバックミラー ▲シートベルト ▲クーラー |
150 | A仕様 |
グレード | フロントシート | リアシート | 装備 |
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D仕様 | ・セパレート パワーリクライニング ・セパレート 手動リクライニング ・セミセパレートベンチ 手動リクライニング |
・セミセパレートベンチ 2ウェイパワー | ブレーキGバルブ ブレーキ油圧警告灯 脱落式バックミラー パッド付ステアリングホイール ▲パワーウィンドウ ▲パワードアロック |
C仕様 | ・ベンチシート ・▲セパレート パワーリクライニング ・▲セパレート 手動リクライニング ・▲セミセパレートベンチ 手動リクライニング ・▲セミセパレートベンチ 2ウェイパワー |
・ベンチシート ・▲セミセパレートベンチ |
オプションはA・B・D仕様車と同じ |
B仕様 | ・▲ベンチシート ・▲セパレート 手動リクライニング ・セミセパレートベンチ 手動リクライニング |
▲ブレーキGバルブ ▲ブレーキ油圧警告灯 ▲脱落式バックミラー ▲パッド付ステアリングホイール ▲リアヒーターコントロール ▲トランクタイプクーラー | |
A仕様 |
日産・プレジデント(2代目) 250型/H250型 | |
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1976年式H250型(タイプD) | |
概要 | |
販売期間 | 1973年8月 - 1990年 |
ボディ | |
乗車定員 | 5 - 6名 |
ボディタイプ | 4ドアセダン |
エンジン位置 | フロント |
駆動方式 | 後輪駆動 |
パワートレイン | |
エンジン |
Y44型 4,414cc V型8気筒 OHV H30型 2,974cc 直列6気筒 OHV |
最高出力 |
Y44型: 200 PS/4,800 rpm H30型: 125 PS/4,400 rpm |
最大トルク |
Y44型: 35 kgm/3,200 rpm H30型: 23 kgm/3,200 rpm |
変速機 |
3速コラムAT 3速コラムMT |
サスペンション | |
前 | ダブルウィッシュボーン式 |
後 | リーフ式 |
車両寸法 | |
ホイールベース | 2,850 mm |
全長 | 5,280 mm |
全幅 | 1,830 mm |
全高 | 1,480 - 1,490 mm |
車両重量 | 1,645 - 1,990 kg |
その他 | |
ブレーキ |
前:ディスク 後:リーディング・トレーリング |
最小回転半径 | 5.8 m |
1973年、初のモデルチェンジを実施。当時の資料ではフルモデルチェンジと銘打たれているが、基本となるプラットフォームとキャビン部のエクステリアデザイン等はほぼ不変[注釈 4]であり、実質的にはビッグマイナーチェンジにあたる[注釈 5]。当時は3ナンバー車の税金が非常に高額[注釈 6]であり、市場も限られていたため、少ない費用で新型車の開発を余儀なくされていた。そこで250型は150型の設計の多くを踏襲し、部分的な設計変更でコストを抑えて開発された。完全な新規設計ではないが、新型車として当時の運輸省の認可を受けているため、法的にはモデルチェンジにあたる。
外観ではフロントマスクとリアエンドを中心とした大幅なデザインの変更と、ボディサイズを全長で205mm、全幅で35mm延長することによって、派手で押し出しの強い即物的スタイリングとなった[13]。延長された全長のほとんどは、150型で不評だったトランクルーム容量の拡大に費やされ、リアオーバーハングの増大にもつながっている。
インパネは従来のものに木目フィニッシャーを取り付け、スピードメーターの文字を変更、絵文字付スイッチノブを採用し、操作性を高めた[13]。前席は新たにデュアルシートが標準装備となり、セパレートシートをオプションとして設定した。後席はハイバックシートを採用した。両者ともヘッドレストを備える。シート形状は乗員を柔らかく包み込むような形になり、シート表張りに新開発の素材を用いて乗り心地の向上をはかった[13]。
エンジンは、EGRを採用したY44型 4.4L V型8気筒OHV[注釈 7]と、150型から引き継いだH30型 3.0L 直列6気筒OHVの2種類。全車ともレギュラーガソリン仕様である[13]。
販売終了前月までの新車登録台数の累計は3万3128台[20]。
型式 | エンジン | グレード | シート | 仕様 | 主な装備 |
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H250 | Y44型 | D仕様 | デュアルシート | D-S、D-1、D-2 | |
セパレートシート | D-3、D-4 | ||||
電動セパレートシート | D-5、D-6 | ||||
250 (A) | H30型 | B仕様 | デュアルシート | B-1 | |
B-2 | マルチエアコン | ||||
B-3 | パワーキット | ||||
B-4 | パワーキット・マルチエアコン | ||||
セパレートシート | B-5 | ||||
B-6 | マルチエアコン | ||||
B-7 | パワーキット | ||||
B-8 | パワーキット・マルチエアコン | ||||
250 | A仕様 | デュアルシート | A-1 | ||
A-2 | マルチエアコン | ||||
セパレートシート | A-3 | ||||
A-4 | マルチエアコン |
シート | グレード | 主な装備 |
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デュアルシート | D-1 | ジャージ地シート・パワーキット・マルチエアコン |
D-2 | ジャージ地シート・パワーキット・マルチエアコン・E.L.Aブレーキ装置 | |
D-4 | 朱子織りナイロン地シート・パワーキット・マルチエアコン・E.L.Aブレーキ装置 | |
D-5 | 朱子織りナイロン地シート・パワーキット・マルチエアコン・E.L.Aブレーキ装置 | |
セパレートシート | D-3 | ジャージ地シート・マルチエアコン |
D-6 | 朱子織りナイロン地シート・パワーシート・マルチエアコン・E.L.Aブレーキ装置 | |
D-7 | 朱子織りナイロン地シート・パワーキット・マルチエアコン・E.L.Aブレーキ装置 | |
電動セパレートシート | D-8 | 朱子織りナイロン地シート・パワーキット・マルチエアコン |
D-9 | 朱子織りナイロン地シート・パワーキット・マルチエアコン・E.L.Aブレーキ装置・ELメーター照明 |
型式 | グレード | フロント シート |
ショック アブソーバー |
装備 |
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H252 | C仕様 | 手動デュアル | 筒型複動式 | |
H252DS | D仕様 | ・等速ジョイント ・電子チューナー ・前席カセットデッキ ・リアオーディオコントロール ・後席中央用2点式シートベルト ・車速検知式オートドアロック | ||
H252DWS | 手動セパレート | |||
H252DJS | 電動セパレート | |||
H252XJS | ソブリン | 渦流式 | ||
・空気清浄機 ・TVチューナー ・後席録音機構付カセットデッキ ・ラジオスイッチ連動式パワーアンテナ ・8スピーカー ・電話機本体収納ボックス (リアセンターアームレスト) |
日産・プレジデント(3代目) JG50/PG50型 | |
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PG50型(プレジデントJS タイプL) | |
概要 | |
販売期間 | 1990年 - 2003年 |
ボディ | |
乗車定員 | 5名 |
ボディタイプ | 4ドアセダン |
エンジン位置 | フロント |
駆動方式 | 後輪駆動 |
パワートレイン | |
エンジン | VH45DE型 4,494cc V型8気筒 |
最高出力 | 270 PS/5,600 rpm |
最大トルク | 40.2 kgm/4,000 rpm |
変速機 | 4速フロアAT |
サスペンション | |
前 | マルチリンク式油圧アクティブサスペンション[注釈 10] |
後 | マルチリンク式油圧アクティブサスペンション[注釈 10] |
車両寸法 | |
ホイールベース |
3,030 mm (JG50) 2,880 mm (PG50) |
全長 |
5,225 mm (JG50) 5,075 mm (PG50) |
全幅 | 1,830 mm |
全高 | 1,425 - 1,435 mm |
車両重量 |
1,930 - 2,000 kg (JHG50) 1,870 - 1,940 kg (JG50) 1,920 - 1,960 kg (PHG50) 1,830 - 1,900 kg (PG50) |
その他 | |
ブレーキ | 総輪ベンチレーテッド・ディスク |
販売終了前月までの新車登録台数の累計 | 2万244台[21] |
1989年11月に登場したインフィニティQ45(G50型)をベースに、ラジエーターグリルを持つ専用フロントマスクなどが与えられている。この型から、生産工場が栃木工場へ移管された。
フードオーナメントは棕櫚の葉をモチーフとしており、プレジデントの伝統とユーザーの栄光を表現した。前後のコーポレートマークは七宝のオーナメントとなっている[22]。先代と比較してホイールベースを180mm、室内長を145mm、室内幅を10mm延長・拡大したことで、より後席空間にゆとりを持たせた。
搭載エンジンはVH45DE型 4.5L V型8気筒DOHC。インフィニティQ45と同じエンジンであるが、法人向けとしての性格上、特性が変更されている。トランスミッションは電子制御の4速AT(E-AT)を採用し、エンジン・オートマチック統合制御(DUET-EAII)によってスムーズかつ静粛な走りを可能とした[22]。静粛性についても、100 km/h走行時の後席騒音レベルは62デシベルに抑えられている。
発売当初は油圧アクティブサスペンションを装着し、かつインフィニティQ45からホイールベースを延長したベースグレードのみであった。1992年2月には、インフィニティQ45と同じホイールベースを持つプレジデントJS(PG50型)を追加[23]。アクティブサスペンション車の型式はJHGまたはPHG、バネサスペンション車はJGまたはPGとなる[24][25]。
安全装備として、ビスカスデフ付TCS、ABS、ハイマウントストップランプを採用したことで予防安全性を確保した。衝突安全性においては、高強度のキャビンの実現と車体前後のクラッシャブルゾーン最適化のほか、シートベルト、SRSエアバッグ(運転席)、サイドドアビーム(前後ドア)を採用している[22]。
1994年のマイナーチェンジでは、「最上級車としての乗り心地のさらなる向上と内外装の充実」をねらいとし[26]、油圧アクティブサスペンションにプレビュー機能を追加、外観ではフォグライトやメッキモールの採用、フロントグリルやリアコンビネーションランプの意匠変更が主な変更点である。内装では、操作系の視認性と利便性向上に加えて新たに木目調パネルが採用された一方、コスト削減目的で前期型に標準装備されたシルクウールシートおよびウールモケットシートが廃止され、全車ジャガードモケットシートとなった。また、自動車多重通信ネットワークシステム「IVMS」の採用によりハーネス類の省線化を実現したほか、マルチリモートエントリーシステム、リバース連動ドアミラー、オートライトシステムなどが全車標準装備とされた。
1998年のマイナーチェンジ[27]では、各メッキパーツの手直し(ラジエーターグリルの大型化等)が行われ、キセノンヘッドランプが装備された。快適装備についてはナビゲーションシステムも刷新され、コンパスリンク対応のマルチAVシステムとなった(オプション設定)。マルチAVシステム搭載車には、後席用フリップダウンモニターが装着された。ソブリンには250型に設定されていた後席用カセットデッキも装着される。また、後席エアバッグが廃止され、代わりにY33型シーマにも採用されていた後席サイドエアバッグを全車標準装備とした。
オプションとしてコノリーレザー仕様(約90万円)が存在した[22]。フロアマットについてはオプションで段通マット、ペルシャマット(約30万円)が用意された。
歴代プレジデントで唯一テレビCMが制作され、発売初期と1996年(日産が提供していたフジテレビ「ラテン専科」内[28])に放送された。
無印は標準、▲はオプション。
グレード | サスペンション | シート生地 | 主な装備 |
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標準仕様 | 油圧アクティブ サスペンション |
シルクウール | 後席専用テレビ・助手席前倒式ヘッドレスト ▲コノリーレザーシート その他の装備はV仕様と同じ |
V仕様 | ▲本革シート その他の装備はD仕様と同じ | ||
D仕様 | マルチリンク式 サスペンション |
ウール | オートリターン付リヤパワーシート フルフラットシート 運転席オートドライビングポジションシステム 助手席パワーシート 運転席シートアームレスト 電動パネルサンルーフ フルオートITエアコン 電制アクティブサウンドシステム+6スピーカー ▲後席専用テレビ ▲前席ハンドフリー、後席ハンドセット自動車電話 ▲フルサイズスペアタイヤ ▲ルーフドリップモール |
JS・タイプG | 油圧アクティブ サスペンション |
シルクウール | オートリターン式リヤパワーシート リヤシートヒーター 助手席前倒式ヘッドレスト 電動パネルサンルーフ ▲本革・コノリーレザーシート ▲V-TCS その他の装備はタイプX・Sと同じ |
JS・タイプX | ウール | 運転席オートドライビングポジションシステム 助手席パワーシート 運転席シートアームレスト 電動パネルサンルーフ フルオートITエアコン BOSEオーディオシステム+4スピーカー ▲フルサイズスペアタイヤ ▲ルーフドリップモール | |
JS・タイプS | マルチリンク式 サスペンション |
日産・プレジデント(4代目) PGF50型 | |
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後期型(2009年1月 - 2010年8月) | |
車内 | |
概要 | |
販売期間 | 2003年10月 - 2010年8月(製造終了) |
ボディ | |
乗車定員 | 4 - 5名 |
ボディタイプ | 4ドアセダン |
エンジン位置 | フロント |
駆動方式 | 後輪駆動 |
パワートレイン | |
エンジン | VK45DE型 4,494cc V型8気筒 |
最高出力 | 280 PS/6,000 rpm |
最大トルク | 46.0 kgm/3,600 rpm |
変速機 | 5速AT |
サスペンション | |
前 | 独立懸架ストラット式 |
後 | 独立懸架マルチリンク式 |
車両寸法 | |
ホイールベース | 2,870 mm |
全長 | 5,060 mm |
全幅 | 1,845 mm |
全高 | 1,500 mm |
車両重量 | 1,890 kg |
その他 | |
ブレーキ | 総輪ベンチレーテッド・ディスク |
販売期間中の新車登録台数の累計 | 1798台[34] |
系譜 | |
後継 | 5代目シーマに統合 |
2001年1月に登場したF50型シーマとコンポーネンツを共有する上級車種として登場[35]。エンジンもシーマと同一のVK45DE型 4.5L V型8気筒DOHC(280PS)を搭載する。外見上の違いとしてはメッキ加飾、フロントグリル、フードマスコット、リアのナンバープレート位置など。内装では遮音材が厚くなっており、静音性が向上している。また、レッドステージ、ブルーステージ双方での取り扱い車種であったシーマとは異なり、ブルーステージ専売車種であった[36]。
グレードは「ソブリン5人乗り」と「ソブリン4人乗り」の2種類のみ[36]。4人乗りにはセダンとしては初めて助手席格納シートが装備された。また、後席VIPパックとしてバイブレーター付きリラックスシート、後席用格納式テーブル、後席乗降グリップがセットで装備される。これらは5人乗りにもオプション設定されているが、このような装備の差で標準装備のみで比べると4人乗りは5人乗りより約100万円高い。シーマの最上級グレードと比べても、5人乗りは200万円近い差があった[35]。
4人乗りにはほかにも後席8インチワイド液晶モニター(アームレストにはビデオ入力装備)、後席用DVDプレーヤー、BOSE製8スピーカーサウンドシステム、後席用多機能大型センターコンソールなど他の車でオプション設定される様な装備が全て標準装備されている[36]。後席VIPパック装着車は後席を優先したものなので、助手席パワーオットマン機構や助手席アクティブヘッドレストは装備されない。「ソブリン」エンブレムは先代から唯一流用されたパーツであり、フェンダーにグレードエンブレムが装備される日本車は、近年のモデルではプレジデントのみである。
この4代目にあたるPGF50型の開発期間では、日産はまだ経営再建中だったためコスト削減がさらに行われている[37]。ホイールベースの延長がされなかったどころか、ボディそのものもシーマと共通なのはこのためであり、車内空間の拡大が容易ではなかった。結局、2010年8月には販売を終了し系譜も途絶えているが、これは当時の安全基準を満たせなくなった以外にも、日産の経営不振やプレジデントの販売不振が影響している。実際の販売台数も当初はVIP向け、ハイヤー需要向けに売り上げがあったものの、2009年度にはたったの63台にも落ち込んでいた[35]。
トヨタ・センチュリーと同様に日本国内専用車として販売してきたが、250型以降は香港を皮切りにタイ・マレーシア・シンガポール等、左側通行/右ハンドル方式を採用しているアジア諸国に販売された。また、中古車としてオセアニアへ輸出されたものも存在する。
中華圏における中文は「日産首領[要出典]」あるいは「日産総統」(繁体字: 日產總統[41])である。中華人民共和国の最高指導者である鄧小平は訪日した際に日産から特別に寄贈されており[42]、香港の大富豪である李嘉誠は社用車として愛用したことで知られる[43][44][45]。