団体種類 | 宗教法人 |
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設立 | 1912年 |
所在地 | 静岡県富士宮市上条2057番地 |
法人番号 | 3080105003425 |
活動内容 | 富士門流系の仏教系団体 |
ウェブサイト |
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日蓮正宗(にちれんしょうしゅう)とは、宗祖日蓮を末法の本仏、三大秘法を宗旨[1][注釈 1]とし、日本の静岡県富士宮市の大石寺を総本山とした富士門流[注釈 2]に位置づけられる仏教の宗派である[2]。講員数約86万人。
種脱相対[3][4]、日蓮本仏論を唱え[5][6][7][8][9]、大石寺に伝えられる本門戒壇の大御本尊と唯授一人の血脈を仏法の根本とする[10]。
基本的教義は、宗教の五綱・宗旨の三箇(三大秘法)・血脈相承である[1][11]。宗祖を本仏と仰ぎ、本門戒壇の大御本尊を信じ、題目を唱えるならば、どんな者でも必ず成仏できるとしている[12][13]。また、仏教各宗派によってさまざまな戒律が説かれているが、日蓮正宗における戒とは捨悪[注釈 3]と持善[注釈 4]である[14]。
経釈章疏は、法華三部経・宗祖遺文(『日蓮大聖人御書』)・派祖遺文・大石寺第9世日有遺文・大石寺第26世日寛遺文を正依とし、天台宗系統の摩訶止観10巻および弘決・法華玄義10巻および釈籤・法華文句10巻および疏記を傍依としている[15]。
仏教の基礎である三宝は、以下のように説いている。「末法の三宝とは、久遠元初自受用報身如来の再誕、法即人の主師親三徳、本因妙の教主日蓮大聖人が仏宝であり、人即法の本地難思の境智冥合、事の一念三千、無作本有の南無妙法蓮華経の大曼荼羅が法宝であり、大白法を正しく継承された日興上人を随一とする歴代の法主上人が僧宝である。」[16][注釈 5]。多宝塔や釈迦・多宝如来、等の仏像の制作・崇拝は一切禁止されている[17]。
また、本山に保田妙本寺があったが、離脱した。
1253年(建長5年)3月28日に立宗を内示され、4月28日に立宗を宣したとする[18]。
1872年(明治5年)、明治政府は仏教各派に対し天台宗、真言宗、浄土宗、禅宗、浄土真宗、時宗、日蓮宗の七宗派に統合して各派から管長一名を設置するよう太政官布告を出した[19](一宗一管長制)[20]。以後、大石寺とその末寺は、1872年から1874年(明治7年)には日蓮宗、1874年から1876年(明治9年)には日蓮宗勝劣派、1876年から1900年(明治33年)に日蓮宗興門派(1899年(明治32年)に本門宗と改称[21])に、それぞれ包括されていた[22][23][24]。
この間、大石寺第54世日胤は、1873年(明治6年)に教部省へ「大石寺一本寺独立願い」を提出した[25]が容れられなかった[26]。 また、大石寺第55世日布は、分離独立を内務省に願い出るが、1884年(明治17年)の太政官布達により取り下げざるを得なくなる[27]。
一方、日蓮宗興門派(本門宗)の管長は八本山が一年任期の輪番制で務める運営形態となり、大石寺第55世日布が1881年(明治14年)から1882年(明治15年)にかけて第4代、大石寺第56世日應が1891年(明治24年)から1892年(明治25年)にかけては第15代に、それぞれ就任している[28]。1884年の興門八山会議において、「それ〔総本山〕は大石寺であり、血脈相承の嫡統連綿は大石寺の貫主職以外に無〔い〕」[29]と大石寺は主張した[30]が、他の七本山に受け入れられなかった[31]。
1885年(明治18年)に、興門派八山は分離分派願いを内務省へ提出するが、数か月後にはこれを取り下げた[32]。しかしながら、このように数度にわたり政府へ願い出た結果、1900年大石寺第56世日応の代にいたり大石寺の分離独立が認可され、日蓮宗富士派と公称するに至った[33][34][35][36][37][38]。
この直後より、「能く宗旨・宗体を表す」[39]宗号の再検討が行われ、1912年(明治45年)6月7日、大石寺第57世日正の決定により、現在にいたる日蓮正宗という宗号が政府の認可のもと公称されることとなった[40][41][42][43][44][45][注釈 6]。
昭和に入り宗教統制が行われる中[注釈 7]、宗教団体法[注釈 8]が1940年(昭和15年)に施行された。これに対し、日蓮正宗は1941年(昭和16年)3月10日、大石寺御影堂にて『僧俗護法会議』を開き、「本宗六百年来の伝統と信条を生かすために、不純なる合同は絶対に斥(しりぞ)けることで一決した」[47][48]。これを受けて、大石寺第62世日恭は文部省宗務局長と面会し、合同反対と単独認可を訴えた[49][50]。その結果、3月31日付をもって単独宗制の認可決定が出された[51]。
解散の覚悟まで迫られた末の独立維持は「日蓮正宗並びに大石寺が持つ底力の強さは、遺憾なく世間に知らしめることができた」[52]ともいえる。このことは、1941年4月1日付の朝日新聞「仏教の宗派は半減」「日蓮正宗(略)だけがそのまま一派として残った」からも読み取れる[53]。
戦後、1950年代(昭和30年代)~1960年代(昭和40年代)に日蓮正宗の信徒団体である創価学会が急成長し、日蓮正宗の規模もそれに伴って拡大した一方、1977年(昭和52年)頃から日蓮正宗と創価学会の両者の間には教義の解釈の違いなどで関係悪化が生じ始めた。
1990年(平成2年)12月より日蓮正宗と創価学会の両者の関係は、教義の解釈の違いなどの原因により決定的に悪化した。1991年(平成3年)より日蓮正宗と創価学会の両者の関係は抗争状態となった。1991年(平成3年)11月に日蓮正宗は、創価学会に対して破門(処分)にした。1990年(平成2年)の破門前の日蓮正宗信者数は創価学会員を含み公称1,784万人であったが[60]、2008年(平成20年)宗教年鑑に記載されている日蓮正宗信者数は39万6000人となっている[61]。
唯授一人の血脈相承を受けた者が総本山法主(ほっす)として日蓮正宗宗門における僧侶の最高位であり、僧階(僧侶の階級)は大僧正(だいそうじょう)である。近年の宗規では、法主のみが管長推戴会議の選定を経て宗務行政の長である管長(宗教法人日蓮正宗の代表役員)の職に必ず就くことになっている。また法主は大石寺の住職(宗教法人大石寺の代表役員)をも兼ねている。現在の法主は、第68世早瀬日如である。
法主の位号として「上人」が用いられ、宗内では通常「法主」とは呼ばず「法主上人」としている。また、尊称として「御法主日○上人猊下」もしくは「御法主上人猊下」、宗務行政上からは「管長猊下」等、「猊下」が用いられる。生前に退座して隠居した前法主は「御隠尊上人猊下」または「御隠尊猊下」と尊称される。
地元の根檀家は「御前さん」と呼んでいる。
次期法主候補者があらかじめ公表されている場合、次期法主候補者は学頭に任じられる。学頭の僧階は権大僧正(ごんだいそうじょう)となる。ただし公表されない場合は、学頭は空席のままである。法主の下には若干名の能化(のうけ)が、法主に次ぐ高僧衆として存在し、現在は11名の僧侶が能化の位にある。
日号・上人号・院号・阿闍梨号の授与権は、本尊書写権や教義裁定権と並んで「法主のみの権能」とされている[注釈 10]。このような法義上の重要権能は正宗が認定する重要相伝書の『二箇相承書』および派祖遺文『富士一跡門徒存知事』『五人所破抄』『日興跡条々事』『日興遺誡置文』等に定められた宗規とされており、750有余年に渡り引き継がれている、とする。統一的な規律を持たず、住職が個々に文字曼荼羅本尊を書写し、信徒に下賜する日蓮宗とは対照的である。
日号(にちごう)とは、日の字がつく本宗僧侶の実名(じつみょう)をいい、僧侶は得度後一定期間ののち、法主より衣を免許される。さらに一定期間ののち、法主より袈裟を免許されるが、この時に日号も免許される。ただし能化(権僧正以上)の高僧しか存命中に名乗ることは許されない。また、まれにみる篤信の在家信徒に対して、存命中に日号が法主より免許されることもある。死去後、袈裟免許前の僧侶や篤信の在家信徒に法主により戒名中に日号がつけられる場合がある。 上人号は、本宗では高僧の敬称・尊称というより実質的には、法主ないし法主経験者の位号である。なお、法主の免許により、僧正以上の能化が遷化後に追号、権僧正の能化は追贈されることが通例となっている。大僧都の者にも、逝去後に追贈されることがある。 院号は、能化補任の際に法主より免許される。 阿闍梨号は、権僧都以上の者が願い出により法主より免許される。存命中に免許されていなくても大講師以上の者に逝去後に追号されることがある。
宗教法人日蓮正宗の宗務行政機関として宗務院があり、その事務を総理する長として、管長の職を置く。管長は総本山法主・大石寺住職が兼任する。宗務院は、総本山大石寺境内に置かれている。管長を補佐する総監の指揮監督の下、庶務部・教学部・布教部・渉外部・海外部・財務部の6部門によって宗務行政が分担される近代的事務機構が構築されている。なお、法的には、宗教法人日蓮正宗の代表役員は法主である管長が務め、総監、重役はその責任役員である。
各部には部長、副部長(現在、庶務部、教学部、布教部、渉外部および財務部は空席)、主任、書記が置かれており、特に庶務部長は実質的に総監を補佐する立場にある。この他に、僧侶の中から選挙によって議員が選ばれる宗会、綱紀粛正機関である監正会、管長が任命した権大僧都以上の者5名による諮問機関である参議会などの合議システムも導入されている。
宗務院は、全国に大布教区とこれに統轄される布教区を置く教区制を敷いており、大布教区に宗務大支院を、布教区には宗務支院を置いている。総本山大石寺塔中には特別布教区を置いている。特別布教区の事務は、大石寺内事部において取り扱われている。内事部では法主である大石寺住職のもと、塔中坊の住職の中から主任理事が1名、理事が若干名、執事が若干名任命され大石寺の寺務の責任者となる。法的には、宗教法人大石寺の代表役員は法主である住職が務め、主任理事、理事、総代がその責任役員である。
また、執事は法主の大石寺住職としての法務を補佐する立場にあり、法主である住職が不在の場合、代理で法要の導師を務めるなどする。
日蓮正宗寺院の担任教師である住職や教会の担任教師である主管、副住職・副主管は僧の妻帯が解禁された明治維新以降よく見られるような世襲制、家族経営ではなく、管長の辞令により総本山から派遣される中央集権的な制度となっている[注釈 11]。そのため、布教の拡大などにより、短期間で住職が交代したり、2つの寺院・教会の間で住職・主管が入れ替わるということもある。副住職・副主管に関しては、宗規で、住職・主管が教師の中から選び、管長の承認を得て着任する決まりとなっている。したがって、住職・主管は寺院・教会の財産を私的に用いる(相続など)ことはできない。
僧侶となる場合、かつては宗内の僧侶が弟子をとることもあった。現在は毎年1月ごろに実施される得度審査に合格して法主の弟子となることが通例となっている。大半の僧侶は少年得度で12歳、小学校卒業と同時に出家する。それ以外の一般得度者(4月1日現在、18歳から57歳まで)も募集される。少年得度の場合、出家得度し高校卒業まで総本山大石寺で修行した後、地方寺院・教会(主に本山格寺院や大都市圏の寺院・教会)で4年程度在勤し、最後に総本山で1年在勤したのち教師に任ぜられる。その翌年春、教師補任式を経て高座説法が法主より免許される。管長の辞令があれば地方寺院・教会の住職・主管(副住職・副主管の場合もあり)として派遣される。一部の僧侶は得度以来総本山で一生を過ごす者もいる。法衣は全僧階とも白五条袈裟に薄墨色の衣(非教師は木綿等、教師は正絹等の素材で僧階が上がると模様が入るなどの違いはある)であるが、袈裟・衣は管長の免許がなければ着用することはできないことになっている。
日蓮正宗では僧階(僧侶の階級)は次のようになっている。
それぞれの階位の授与等は内部規定による。
法華講は宗祖が命名した日蓮正宗唯一の信徒団体である。末寺における日蓮正宗の信徒に対し、管長である法主が許可した組織のことを法華講という。法華講は日常の唱題行や総本山への団参登山を行うものとして、宗史上古来より存在していたが、1962年(昭和37年)にこれらの○○講の連合体として日蓮正宗法華講全国連合会(略称全連)が結成されて加盟するようになった。この全連は1967年(昭和42年)に日蓮正宗法華講連合会(略称連合会)に改称され、現在に至っている。 日蓮正宗の信徒団体を作るには、末寺の住職が信徒団体の指導教師となって信徒団体を作ろうとする代表者と連名で「組織結成許可願」を宗務院に提出し、宗務院での審議を得て日蓮正宗の管長である法主が「組織結成許可書」に署名押印して「組織結成許可書」が交付されて指導教師から○○講に手渡される。これは明治時代からの制度であるが、第2祖日興の「この法門は師弟子をたゞして仏になる法門にて候なり」(佐渡国法華講衆御返事)の伝統と慣習を踏襲したものであり、「組織結成許可書」に類する江戸期の古文書も残っている。こうして結成された○○講は、日蓮正宗法華講全国連合会に加盟申請書を提出し、総本山内の日蓮正宗法華講全国連合会事務所(通称法華講事務所)で加盟手続きが行われる。よって「組織結成許可願」と指導教師のない団体は日蓮正宗の正規の信徒団体とはいえないことになっている。 なお法華講では、日蓮正宗法華講連合会発行の大白法(だいびゃくほう)が唯一の機関紙となっている。毎月1日と16日に発行され、定価は110円(2016年〈平成28年〉4月1日改訂)である。
各末寺の法華講には、講中の代表者の講頭、副講頭、幹事、会計を役員としておくことができる。講頭は各法華講支部の代表者であるが、必ずしも所属寺院の総代のうちから就任するとは限らず、総代以外の者が就任するケースもある。法華講の役員はすべて「組世話役」と定義され、寺院に所属する他の講員に対して指導することは指導教師(住職・主管)に対する越権行為に当たるのでしないことになっている。日蓮正宗法華講連合会には事務機構上、委員長、副委員長、理事、地方部長などの役職があるが、これも「組世話役」と定義され、「連合会」に加盟する各法華講を指導・監督することはない。また名誉職として総講頭、大講頭の称号があるが、信徒を指導することはない。大勢の信徒の前でスピーチをする場合には「挨拶」や「激励」の名目で行う。なお、前総講頭柳沢喜惣次(やなぎさわ・きそうじ)氏が死去して以来総講頭は任命されていないため、現在総講頭は空席である。
名誉職として、名誉総講頭、法華講連合会会長職がある。
信徒の修行としては、本尊に向かって「南無妙法蓮華経」の題目を唱え、法華経を読誦すること(自行の題目)と並び、それを他の人に伝える折伏の修行(化他の題目)が基本となる。自行としての日常の勤行は、妙法蓮華経方便品・如来寿量品(長行[注釈 12]、自我偈)の読誦、唱題(「南無妙法蓮華経」の題目を唱えること)を基本構成とし、古来からの朝五座・夕三座の格式を守って行われている。総本山への「登山参詣」(総本山大石寺に参詣すること)末寺への参詣は重要な修行として、成仏への功徳を積むことができる行為と考えられている。
日蓮正宗の檀信徒名簿へ登録を受けるためには、末寺において授戒を受けなければならない。授戒のみ受けて本尊未下附の者は内得信仰と呼ばれる。
1974年(昭和49年)、妙信講(現・冨士大石寺顕正会)に対し破門よりもさらに重い「講中解散」処分が下された。また、創価学会との関係を巡って結成された正信会の僧侶が宗門首脳と対立し、擯斥処分を受けた。
2012年(平成24年)8月18日に開設。日蓮正宗の伝統法義の護持宣揚、教学の振興および布教の進展に必要な研鑚をおこなう専門機関。
年中行事は以下のとおり[65][66]。なお、総本山の行事は大石寺を参照。
日蓮正宗の冠婚葬祭は化儀に則って行われるが、地域の風習などで多少の違いがある。