日野 日出志 | |
---|---|
日野 日出志(2006年撮影) | |
本名 | 星野 安司[1] |
生誕 |
1946年4月19日(78歳) 中華民国 チチハル市 |
職業 | ホラー漫画家 |
活動期間 | 1967年 - |
ジャンル | ホラー漫画 |
受賞 | 『COM』第5回月例新人賞 |
公式サイト | 日野プロダクション |
日野 日出志(ひの ひでし、1946年4月19日 - )は、日本の漫画家。大阪芸術大学芸術学部キャラクター造形学科教授。
旧満州チチハル市出身、東京育ち。埼玉県所沢市在住。血液型はA型。怪奇や叙情的な世界を独特のタッチで表現するホラー漫画家の重鎮であり、日本国内だけでなく欧米諸国でも人気が高い。漫画家杉浦茂の大ファンで彼に影響を受けている漫画家の一人である。
本名・星野安司[1][2]。1946年、旧満州チチハル生まれ。子供時代から杉浦茂などのギャグ漫画が好きでギャグ漫画家を志すも、赤塚不二夫作品を見てとてもかなわないと挫折。高校卒業後も漫画を描き続け、1967年に虫プロ商事発行の『COM』10月号にて第5回月例新人賞に『つめたい汗』が入選してデビュー。翌68年、青林堂発行の『ガロ』にも入選。
デビュー後「少女漫画から西部劇まで手当たり次第に何でも描いたけどさっぱり手応えがない。原稿も売れなくなるし、もう漫画家辞めようかと」いう時期を過ごした後、友人が貸してくれたレイ・ブラッドベリが転機となる。「忘れもしません、『刺青の男』。まるで背中からぶん殴られたようなショックでした。俺は何を遠回りしていたんだろう、これだ、俺の描きたかったのはこの怪奇と叙情の世界だ!」そうして、人間として存在することの根底的切なさを謳い上げたサイケデリック怪異悲譚『蔵六の奇病』を1年がかりで描き上げ「少年画報」に発表。のちにひばり書房から単行本化され、70年代の子供達に強烈なトラウマを植え付けた[3]。
1982年、代表作『地獄変』を「ひばりコミックス」(ひばり書房)に描き下ろす。その後、活動の場を漫画雑誌へと移し、数多くのホラーや怪奇作品を発表、独特のタッチで「叙情と怪奇」を描き、ホラー漫画界の第一人者としての地位とカルト的な人気を同時に確立。漫画以外にも絵本作品や児童書、キャラクターデザインなどの制作活動も行っている。
日野日出志作品は日本だけにとどまらず世界各国でも翻訳出版されており、欧米諸国を中心に高く評価されている。
2000年前後から制作ペースが落ちていたが、2018年に銚子電気鉄道が開発・発売したスナック菓子『まずい棒』のキャラクターである「まずえもん」を描いたことがきっかけとなり、Twitterを始めるなどして画業復活を果たした[4]。
2019年、ドキュメンタリー映画『伝説の怪奇漫画家・日野日出志』の中で、経済的に困窮していた時期に水木しげるに「夜の仕事場で小さな鬼のようなものを見た」と相談したところ、「それは座敷わらしだよ。これから良いことがあるよ」と励まされ、その後、ホラー雑誌ブームに乗って順調に仕事が運んだと語っている[5]。
なお、ホラー漫画の第一人者として世界的に評価されているにもかかわらず、「ホラーは子供の頃から苦手で、日野日出志というペンネームをつけて怪奇漫画家を演じてきた」と著書『日野日出志全仕事』での伊藤潤二との対談で打ち明けている[6]。