明治学院大学 | |
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大学設置 | 1949年 |
創立 | 1863年 |
創立者 | ジェームス・カーティス・ヘボン |
学校種別 | 私立 |
設置者 | 学校法人明治学院 |
本部所在地 |
東京都港区白金台一丁目2番37号 北緯35度38分15秒 東経139度43分52.5秒 / 北緯35.63750度 東経139.731250度座標: 北緯35度38分15秒 東経139度43分52.5秒 / 北緯35.63750度 東経139.731250度 |
学生数 | 12,176 |
キャンパス |
白金(東京都港区) 横浜(神奈川県横浜市戸塚区、北緯35度23分19.2秒 東経139度32分47.5秒) |
学部 |
文学部 経済学部 社会学部 法学部 国際学部 心理学部 情報数理学部 |
研究科 |
文学研究科 経済学研究科 社会学研究科 法学研究科 国際学研究科 心理学研究科 法と経営学研究科 |
ウェブサイト | https://www.meijigakuin.ac.jp/ |
明治学院大学(めいじがくいんだいがく、英語: Meiji Gakuin University)は、東京都港区白金台一丁目2番37号に本部を置く日本の私立大学。1863年創立、1949年大学設置。大学の略称は英称MGU、明学(めいがく)。
ジェームス・カーティス・ヘボンが横浜で開いた「ヘボン塾」を起源とする、日本最古のキリスト教主義学校(ミッションスクール)である[要出典]。1949年に新制大学として発足し、6学部15学科、7研究科を擁する純文系の大学となった後、2024年(令和6年)4月、初の理系学部「情報数理学部」を新設した。
1886年(明治19年)の東京一致神学校、東京一致英和学校、英和予備校の合同時に新校名として「一致学院」「共同学院」「明治共立学院」の3案が示され[1]、同年6月21日の理事会で議論を重ねた結果、植村正久が提案した明治学院を採用することに決定した[2][3]。
「明治学院」の意味するところは「明けき政治の時代の学問の学校、即ち明けき政治の学校」[4]であり、後年編纂された『明治学院九十年史』は「明治の時代における学問の殿堂の意で『明治学院』はまさに明治文化の中に輝くキリスト教教育の代表的学園」と評している[5]。
建学の精神として「キリスト教主義教育」を掲げ、キリスト教による人格教育を実践している。
また、教育の理念として Do for Others(他者への貢献)を掲げている。これは、新約聖書の Do for others what you want them to do for you. という部分から引用されたもので、創設者であるヘボンの信念をよく表す言葉とされている。
ボランティア、海外でのフィールドワーク、長期の協定留学、就業インターンシップなどの講座やイベントが充実している。毎年11月頃に開催される学園祭『白金祭』では、ミス・コンテストが催される。
明治学院大学では社会との関係をより深めるため 2004年10月にブランディングプロジェクトを発足した。
スクールカラーは黄色である。2005年1月に「ブランディングプロジェクト」の一環として、チャペルのステンドグラスやインブリー館内部の壁色として古くから学生などに親しまれている黄色を、アートディレクター佐藤可士和の提案により制定する。黄色の持つ明るさ、優しさ、生命力、自立、希望のイメージに、他者を照らす光のような存在として "Do for Others" を実践する意志と願いが象徴[6]され、構内のゴミ箱、掲示板、学生証、大学グッズなどが統一色である。
ロゴマークは英文ロゴタイプ同様、ジョナサン・バーンブルックによってチャールズ・マンソンをイメージして作られたMansonフォント[7]により構成されている。佐藤は「伝統の精神に、現代の息吹を吹き込んだイメージを表現している」としている。
1906年に島崎藤村作詞、前田久八作曲による校歌を制定した。THE ALFEEが記念行事で歌った校歌(高見沢俊彦編曲)を収めたCDが、明治学院にて限定発売され、THE ALFEEのベストアルバム「THE ALFEE SINGLE HISTORY VOL.VI 2002-2008」にも収められている。
白金キャンパス構内には明治から大正にかけて建築された3棟の建物が残されており、文化財に指定されている[8][9]。
(沿革節の主要な出典は公式サイト[12])
明治学院の起源は1863年にジェームス・カーティス・ヘボンが横浜に開いた「ヘボン塾」である(のちに男子部は明治学院、女子部はフェリス女学院となる)。ヘボン塾は1880年に築地へと移転し、「築地大学校」と改称されてカレッジ・コースが設置された。1883年には横浜の先志学校を併合して「一致英和学校」と改称され、大学と予備科を整える学校となった。後に予備科は神田淡路町へ移転し、「英和予備校」となった。
1877年にアメリカ長老教会、アメリカ・オランダ改革派教会、スコットランド一致長老教会の3会派が協力して「東京一致神学校」を設立。
1886年には、一致英和学校、英和予備校、東京一致神学校の3校が合併して「明治学院」となることを決定、1887年に設立が正式に認可された。これにより、東京一致神学校が「明治学院邦語神学部」に、一致英和学校・英和予備校はそれぞれ「明治学院普通部本科・予科」へと名前を変え、キャンパスは荏原郡白金村(後に芝区白金今里町・現在の港区白金台)に設けられた。その後1902年に東山学院神学部を併合し、翌年神学部と高等学部が専門学校令により認可された。その一方で神学部教授植村正久と柏井園が教科書問題によって明治学院を去り、米国南長老ミッションも1901年以来の明治学院との関係を断って神戸神学校を設立するという出来事もあった。
第2代院長井深梶之助は明治末から大正初期にキリスト教主義連合大学の必要性を訴え、東京学院との合併前提の合同授業を行ったこともあったが、各校間の意見の隔たりは大きく、連合大学構想は実現しなかった。
1930年に神学部を分離し、東京神学社との合併により日本神学校を設立。太平洋戦争中の1944年には青山学院高等商業学部・文学部および関東学院高等商業部を併合して明治学院専門学校を設立した。
1949年、新制大学設置の認可を受けて明治学院大学が発足し、翌年廃校となった日本商科大学と善隣専門学校の学生を受け入れた。
1997年の明治学院創立120周年までは、明治学院の創立年を東京一致神学校の設立年である「1877年」と定めており、校史編纂などの周年記念事業も全てそれに従って実施していた。その後、学院長提案によって、創立年をヘボン塾の開設年である「1863年」に改めた。
教育連携・ボランティア・サティフィケイト・プログラム
敷地内に明治学院高等学校が併設されている。
かつて、近隣に桂坂校舎(法科大学院専用)が存在したが、法科大学院の学生募集停止に伴い2014年度末をもって使用を終了した。
グラウンドや体育館など体育施設を有し、体育系サークルの多数が拠点としている。
2004年よりキャンパス内の禁煙キャンペーンが展開されている。運動としては禁煙経験の紹介、「禁煙チャレンジ学生の募集」「パンフレットの配布」「禁煙バッチの配布」などを行っている。キャンパス内の分煙化推進も行っているが、学生の自主性を尊重する趣旨から、喫煙の全面的禁止などは見送られている。
各校舎ごとに、「白金祭」(50年以上の歴史を持つ。白金校舎・例年11月初旬)、「戸塚まつり」(1997年に誕生。横浜校舎・例年5月中旬~下旬)が開催されている。 「戸塚まつり」はエコがテーマである。
大学当局は学生スポーツに対する直接的な支援は避けてきたが、2005年より「明学スポーツを強くするプロジェクト」と銘打ち、特定のクラブに指導者の招聘を行うなどの支援を行っている[37]。 強化クラブは以下に参照。
学内選考(外国語能力、単位取得状況、面接等)および留学先の学力基準を満たすことにより、協定締結校と相互留学が可能。また一部の学科ではダブルディグリー(二重学位)の取得が可能。
学校法人明治学院の設置する学校であり、大学の「附属学校」ではない。
明治学院大学への推薦入学制度がある。
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