『星に輪ゴムを』 | ||||
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エディ・ブリケル&ニュー・ボヘミアンズ の スタジオ・アルバム | ||||
リリース | ||||
録音 | ウェールズ ロックフィールド・スタジオ[1] | |||
ジャンル | オルタナティヴ・ロック、フォークロック | |||
時間 | ||||
レーベル | ゲフィン・レコード | |||
プロデュース | パット・モラン | |||
専門評論家によるレビュー | ||||
チャート最高順位 | ||||
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エディ・ブリケル&ニュー・ボヘミアンズ アルバム 年表 | ||||
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『星に輪ゴムを』(原題:Shooting Rubberbands at the Stars)は、アメリカ合衆国のロック・バンド、エディ・ブリケル&ニュー・ボヘミアンズが1988年に発表した初のスタジオ・アルバム。
バンドは当初、単にニュー・ボヘミアンズと名乗っており、1986年に発表した自主製作のカセット・アルバム『It's Like This…』でメジャー・レーベルからの注目を得た[9]。そして、バンドはゲフィン・レコードと契約してエディ・ブリケル&ニュー・ボヘミアンズと改名し、本作のレコーディングに入るが、セッションの途中でドラマーのブランドン・アリーがゲフィンの判断により解雇され、クリス・ウィットンが後任を務めた[9]。なお、アリーは後の再結成には参加している[9]。
「リトル・ミス・S」は、イーディ・セジウィックの生涯をモチーフとした曲である[10]。
ジャケットの絵はエディ・ブリケル自身が描いた[1]。ブリケルは本作の音楽性に関して「このアルバムは音楽の万華鏡だと考えているの。バンドの全員がそれぞれ違った音楽的嗜好を持っていて、ある特定のサウンドを作るべきと言い出すようなリーダーはいないから」と語っている[11]。
バンドの母国アメリカでは54週にわたりBillboard 200入りし、1989年2月18日に最高4位を記録した[2]。本作からのシングル「ホワット・アイ・アム」はBillboard Hot 100で7位、続く「サークル」は48位に達した[12]。
ニュージーランドでは1989年2月19日付のアルバム・チャートで初登場25位となり、3月26日には10位に達して、合計20週トップ50入りした[3]。
Jon Parelesは1988年11月26日付の『ニューヨーク・タイムズ』紙において「リッキー・リー・ジョーンズやスザンヌ・ヴェガを思わせるアルバムである一方、演奏に関してはパット・メセニー、ウェザー・リポート、グレイトフル・デッドからの影響も表れている」「ニュー・ボヘミアンズは、多くのポップ・フォーク・バンドよりも押しが強い」と評した[10]。また、ケリー・マッカートニーはオールミュージックにおいて5点満点中4.5点を付け「22歳のブリケルは、ニュー・ボヘミアンズのオリジナル・メンバーを含む堅実かつ革新的なプレイヤー達に支えられて、キラキラとした歌詞と魅惑的なボーカル・パフォーマンスを大量生産してみせた」と評している[13]。
特記なき楽曲はエディ・ブリケル&ニュー・ボヘミアンズ作。12.はミステリー・トラック。
アディショナル・ミュージシャン