ありえちょう 有家町 | |||||
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廃止日 | 2006年3月31日 | ||||
廃止理由 |
新設合併 加津佐町・口之津町・南有馬町・北有馬町・西有家町・有家町・布津町・深江町 →南島原市 | ||||
現在の自治体 | 南島原市 | ||||
廃止時点のデータ | |||||
国 | 日本 | ||||
地方 | 九州地方 | ||||
都道府県 | 長崎県 | ||||
郡 | 南高来郡 | ||||
市町村コード | 42374-2 | ||||
面積 | 23.34 km2 | ||||
総人口 |
8,847人 (国勢調査、2005年) | ||||
隣接自治体 | 深江町、布津町、西有家町、雲仙市 | ||||
町の木 | サクラ | ||||
町の花 | ツツジ | ||||
有家町役場 | |||||
所在地 |
〒859-2202 長崎県南高来郡有家町山川58番地 | ||||
外部リンク | 有家町(アーカイブ版) | ||||
座標 | 北緯32度39分57秒 東経130度18分18秒 / 北緯32.66572度 東経130.30511度座標: 北緯32度39分57秒 東経130度18分18秒 / 北緯32.66572度 東経130.30511度 | ||||
ウィキプロジェクト |
有家町(ありえちょう)は、長崎県の島原半島にあった町。南高来郡に属した。
2006年(平成18年)3月31日、周辺7町と合併し南島原市となり消滅した。
島原半島の南側に位置し、島原湾に面する。
江戸時代の初め頃までは、後の西有家町域とあわせて有家村を成していた[1]。『有馬原城兵乱記』などによれば、1637年(寛永14年)に起こった島原の乱では村民全員が参加したが、全て討死し無人の村となったとされる。現在の町民はその後の高力忠房の復興政策により、幕府領の小豆島や九州各藩から移住してきた人々の子孫であると云われる[1]。
有家村は1652年(承応元年)に有田村[2]・隈田村[3]・町村[4]の3村に分かれたが、1872年(明治5年)に再び有家村として1村に統合された[1]。その後村内を東部と西部に分け、1879年(明治12年)に東有家村・西有家村として正式に分村された。
名を行政区域とする。大字は設置していない。旧有家町・旧堂崎村時代は名の名称を十干に置き換えて表記していたが、1956年の合併以降は十干表記を廃止して本来の名の名称を表記し、さらに末尾の「名」の文字が削除された。
以下()内は旧町村時代の名および十干を表す。
町立
町立
島原鉄道線の同区間は合併後の2008年(平成20年)4月1日に廃止されている。