銀座木村家の店内(2008年5月11日撮影)
かつて本社事務所が置かれていた西新宿木村屋ビル。売り上げ不振が続いた2010年代に有明に移転[1]
木村屋總本店(きむらやそうほんてん、登記社名: 株式会社木村屋総本店、英: Kimuraya Sohonten.,Ltd.)は、日本の製パン会社である。
本社は東京都江東区有明。中央区銀座にある銀座本店と呼ばれる店は、同じルーツを持つ別会社「銀座木村家」の経営(2009年〈平成21年〉に分離)[2][3]。
- 明治2年(1869年)創業の老舗パンメーカーである。2018年(平成30年)現在、1日約30万個の袋パンを製造する製パンメーカーであり[4]、その事業構成は、デパートなどで伝統的なあんぱんを中心に販売している「直営店事業」と、袋パンを製造・販売している「スーパー・コンビニ向け事業」に分かれ、後者が売上全体の80%を占める[3]。銀座にある関連会社の株式会社銀座木村家(銀座本店)は、明治時代からの同地に店を構え、7・8階にある工場で焼いたパンを1階で販売するインストアショップ形式をとっている[5]。
- 1874年(明治7年)には、創業者の木村安兵衛とその次男で2代目の英三郎が、あんぱんを考案し、翌年には明治天皇に献上された(この時に木村屋の特徴でもある桜の塩漬けが、英三郎のアイデアで取り入れられた)。また、1900年(明治33年)には3代目・儀四郎がジャムパンを考案した。これらのパンは現在でも同社で人気の看板商品として親しまれている。
- 「むしケーキ」とは従来の蒸しパンを改良したもので、これも同社が元祖の商品である。
- 千葉県柏市の直営所併設工場に加え、東京都江東区の東京工場を合わせた2工場で製造を行っている。
- かつて神奈川県綾瀬市にあった「藤沢工場」は、2002年(平成14年)に三芳工場へ統合され、操業を終了した。
- その三芳工場も業務を柏工場へ移管し、2021年11月をもって操業を終了した。
- 首都圏の百貨店を中心とする21ヵ所の直営店舗を運営するほか、コンビニエンスストアやスーパーマーケット等で製品が販売されている。前者の直営店舗で販売される商品には「銀座木村家」、後者で販売される商品には「木村屋總本店」のブランドが使用されている。
- カフェ事業として東京麹町に「Don Meister(ドンマイスター)」を、有明に「Don Meister+(プラス)」を展開。
- 株式会社木村屋総本店所属の他店舗とは独立した運営をしており、株式会社銀座木村家が下記の事業を展開。
- 階はベーカリー、2階はカフェ、3階と4階はレストランとして営業。上層階にはパン工場がある。
- 過去に多くののれん分けをしていることから、この建物を指して「木村屋總本店」と呼ばれることもある。
- 本社 / 東京工場 - 東京都江東区有明1-6-18
- 直営店で販売する酒種あんぱんなどを製造。
- スーパーマーケットやコンビニエンスストア向けの商品を製造。
- 藤沢工場 - 神奈川県綾瀬市上土棚北5-10-20 (2008年12月にマルハン綾瀬上土棚店が開店)
- 三芳工場 - 埼玉県入間郡三芳町大字竹間沢381(2022年4月時点で解体工事中・マンションの開発計画有り)
明治末期から大正初期にかけての東京のパン業界では、木村屋系と三河屋系が2大勢力であり、その暖簾分けでなければ絶対繁盛しないと言われたほどだった[6]。木村屋3代目の木村儀四郎は1902年(明治35年)に木村屋系の店の集まりである「木村屋世襲会」を作ったが、日露戦争(1906年)ころまでは10軒程度だった木村屋名のパン屋が大正初期には100軒以上となって混乱状態となったため、直接の暖簾分け以外の孫店やひ孫店とは関係を絶ち、正統な木村屋系統店にのみ認可証を出し、月に1回30名程度の関係者が総本店に集まって研究を重ねた[6]。これをもとに、1949年(昭和24年)には木村屋睦会が結成された[6]。
- 株式会社銀座木村家 - 銀座本店の運営を行う。代表取締役社長に木村美貴子(6代目木村周正の弟:信義の娘)[18]。
- 株式会社キムラヤフレッシュライン
- 都不動産管理株式会社
- 株式会社木村屋ダイヤモンドヒルズ - 不動産賃貸業
- 株式会社ブーランジェリーエリックカイザージャポン
- 木村屋總本店の6代目社長周正の長男・周一郎が叔母の資金援助により起業したフランスパン専門のパン屋[19]。フランスの有名パン職人エリック・カイザーの店「メゾンカイザー」と同じ店舗名で展開。ちなみに「メゾンカイザー」はフランスパン専門店であるため、キムラヤの看板商品である「あんぱん」や「メロンパン」などの菓子パンは置いていない。
- 東都のれん会
- 筑波山
- 山岡鉄舟 - 旧幕臣。山岡は能書家として知られた上に、木村屋のあんパンを毎日の様に食べるほど好んでいたことから、同社の屋号の揮毫を行っている。