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アニメーターの「本多敏行」とは別人です。 |
本多 俊之(ほんだ としゆき、1957年4月9日[2] - )は、日本のジャズサクソフォーン奏者[2]、作曲家[2]、編曲家、音楽プロデューサー。東京都出身。父はジャズ奏者・評論家の本多俊夫(モンティ本多)[3][4][5]。
成蹊中学校・高等学校、成蹊大学経済学部卒業。
大学在学中に初のリーダー・アルバムをリリース。
その後は国内外問わず数多のミュージシャンと共演、数々の栄光を残した。サクソフォーン奏者で、ライブ活動に意欲的で各地で頻繁に演奏を重ねる。
作曲家としても有名であり、映画音楽、ドラマ音楽、CM音楽を多数手がける。
中でも、テレビ朝日系『ニュースステーション』の3代目・4代目オープニング・テーマや映画『マルサの女』シリーズを始め、伊丹十三監督映画のテーマ曲・映画音楽を多数手がけたことでも知られている。
1988年には尾崎豊のバックバンドも務めた。
近年では演劇の音楽も手掛け、また自らも出演するなど多才ぶりを発揮している。
- 1978年 バーニング・ウェイブ
- 1979年 オパ!コン・デウス
- 1980年 イージー・ブリージング
- 1980年 スパニッシュ・ティアーズ(「本多俊之&Burning Waves」名義)
- 1981年 ブーメラン(「本多俊之&Burning Waves」名義)
- 1987年「Wind Flight」(上記Best)
以上「ELECTRIC BIRD」レーベルより
- 1982年 シャングリラ
- 1983年 セプテンバー
- 1984年 ドリーム
- 1984年 モダン
- 1985年 サキソフォン・ミュージック
- 1986年 スーパーカルテット
- 1986年 デイ・ドリーム
- 1986年 ナイト・ソングス
- 1987年 マルサの女
- 1987年 ラジオ・クラブ(RADIO CLUB)
- 1988年 ガディス・マルサの女2(RADIO CLUB)
- 1988年 Something Coming On(RADIO CLUB)
- 1989年 Foot Prints(Best)
- 1989年 東方見聞録(RADIO CLUB)
- 1990年 CHAMELEON(RADIO CLUB)
- 1990年 シンバイオシス
- 1991年 Live Chameleon(RADIO CLUB)
- 1991年 reLAX
- 1992年 Best Now.本多 俊之(Best)
- 1992年 REED MY LIPS
- 1994年 COOL JEWEL
- 1996年 SAX・HOLIC
以上「東芝EMI」より
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1970年代 | |
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1980年代 | |
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1990年代 | |
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2000年代 | |
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2010年代 | |
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2020年代 | |
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2020年代 | |
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歴代出演者 |
メインキャスター(メインアンカーマン) | |
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サブキャスター | |
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スタジオサブキャスター | |
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コメンテーター | |
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スポーツキャスター | |
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お天気キャスター | |
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リポーター | |
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スポーツキャスター(メイン以外) | |
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歴代テーマ曲の アーティスト・作曲家 | |
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前身番組 | |
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後身番組 | |
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関連番組 | |
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関連人物 | |
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関連項目 | |
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1 1998年4月 - 9月までは金曜日のみの出演に移行。 2 番組終了後『報道ステーション』に同時間帯続投。 3 金曜日のみの出演。 4 当初は木曜日のみ、後に金曜日も出演。 5 就任当初から1988年3月までは『ミュージックステーション』を兼務。 6 『ミュージックステーション』のテーマ曲も担当。 7 日韓W杯開催にちなみ、2002年4月 - 大会終了までの期間限定で担当。 8 久米宏の夏季休暇・不在時のメインキャスター代理。 9 小宮悦子の夏季休暇・不在時のサブキャスター代理。 |