本朝文粋

本朝文粋
正保5年(1648年)刊本, 国立公文書館

編集者 藤原明衡
原題 本朝文粹
日本の旗 日本
言語 漢文
分野 漢文集, 漢詩
出版日 康平年間(1058年 - 1065年)頃[1]
巻数 14 (書籍一覧)
次作 本朝続文粋

本朝文粋』(ほんちょうもんずい)は、平安時代後期に編まれた漢詩文集[2]。全14巻[2]藤原明衡[2]嵯峨天皇から後一条天皇までの時代に生きた68人の漢詩文427編を収める[2]。書名は宋の姚鉉(ようげん)が編んだ『唐文粋』に依ったものと見られる[2]。読み方は「ぶんすい」とする書物もあるが、「もんずい」と呼ぶのが一般的である[2]

概要

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公的な文章が漢文で書かれた平安時代において、文章作成の上で模範となる文章を編纂することを目的とした書物である[2]。作品は賦、雑詩、詔、勅書、勅答、位記、勅符、官符、意見封事、策問、対冊、論奏、表、奏状、書状、序、詞、行、文、讃、論、銘、記、伝、牒、祝、起請、奉行、禁制、怠状、落書、祭文、呪願、表白、発願、知識、廻文、願文、諷誦文の39種類に分類されている[2]。分類は『文選』に倣ったものであるが、日本独自の仏教関連の願文や文章・和歌等もあり、日本の社会情勢に適したものに改めようとした意図が感じられる[2]。収録作品の多くは四六駢儷文の美文調である[2]

本書には多くの公文書が使用されている点から、編者の藤原明衡が文章博士や東宮博士の要職に就いた晩年期の編纂と考えられ、成立年代は康平年間(1058-1065年)と推定されている[2]

主な作者は、大江匡衡大江朝綱菅原文時紀長谷雄菅原道真源順大江以言兼明親王都良香紀斉名などで、菅原家・大江家の人物が多い[2]。特に賦の兼明親王「菟裘賦」[注釈 1]、慶滋保胤「池亭記」や三善清行意見十二箇条」、羅泰「鉄槌伝」[注釈 2]などはよく知られた[2]

本作品には公文書を含めてあらゆる文例が含まれている事から、後世の文学にも大きな影響を与えた[2]例えば、『本朝続文粋(ほんちょうぞくもんずい)』は『本朝文粋』の続編にあたる漢詩文集で、後一条天皇から崇徳天皇までの時代の作品約230編を集めている(全13巻。成立は平安末期の保延6年(1140年)以降。藤原季綱の編とも言われるが未詳)。江戸時代に至り、駢儷文が否定されるようになると省みられなくなった[要出典]

内容

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巻1:賦・雑詩

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作品 作者
天象 纖月賦 菅原文時
纖月賦 源英明
清風戒寒賦 菅原道真
春雪賦 紀長谷雄
水石 秋湖賦 菅原道真
織女石賦 菅原文時
樹木 柳化為松賦 紀長谷雄
落葉賦 紀斉名
音楽 風中琴賦 紀長谷雄
居処 河原院賦 源順
衣被 未旦求衣賦 菅原道真
孫弘布被賦 源英明
幽隠 兎裘賦 兼明親王
視雲知隠賦 大江以言
婚姻 男女婚姻賦 大江朝綱

雑詩

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作品 作者
古調 傷野大夫 七言 菅原道真
慰小男女 五言 菅原道真
貧女吟 七言 紀長谷雄
観射寄左親衛将軍 五言 村上天皇
見二毛 五言 源英明
秋夜感懐 五言 橘在列
越調 山家秋歌八首 紀長谷雄
閑居詠庭前三物三首 源順
字訓 字訓詩 清原真友
字訓詩 源順
離合 時和年豊 橘在列
廻文 廻文詩 橘在列
雑言 詠女郎花 源順
三言 遠久良養生方 兼明親王
江南曲 憶亀山二首 兼明親王
無尾牛歌 源順
夜行舎人鳥養有三歌 源順
高鳳刺貴賤之同交歌 源順

巻2:詔・勅書・勅答・位記・勅符・太政官符・意見封事

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作品 作者 日付
改元 慶滋保胤 永観元年(983年)4月15日
令上封事詔 慶滋保胤 永観2年(984年)12月28日
九日宴十月行詔 大江朝綱 天暦4年(950年)9月26日
減服御常膳幷恩赦 菅原文時 天暦10年(956年)7月23日
二條前后復本位詔 菅原文時 天慶6年(943年)5月27日
菅右大臣太政大臣 巨勢為時 正暦4年(993年)閏10月20日
勅書 華山法皇外祖母恵子女王封戸年官年爵 慶滋保胤 永観(984年)12月13日
勅答 貞信公摂政表勅 大江朝綱 延長8年(930年)10月20日
答同公辞関白表勅 菅原文時 天暦2年(948年)2月27日
答同公致仕表勅 菅原文時 天暦3年(949年)3月11日
枇杷左大臣辞職表勅 大江朝綱 承平3年(933年)3月16日
六條右大臣辞職表勅 巨勢為時 正暦2年(991年)12月23日
入道前太政大臣辞大臣幷章奏等表勅 紀斉名 長徳4年(998年)3月12日
答諸公卿請減封禄表勅 菅原文時 天暦10年(956年)8月19日
位記 無位藤原朝臣時平正五位下 橘広相 仁和2年(886年)1月2日
賜無位藤原朝臣忠平正五位下状 紀長谷雄 寛平7年(895年)8月21日
(勅符出羽国[3] )応早速討滅夷賊 都良香 元慶2年(878年)4月28日[3]
新羅賊勅符 兼明親王
陸奥勅符
太政官符 応停止勅旨開田等幷諸院諸宮及五位以上買取田地舎宅占請閑地荒田事 延喜2年(902年)3月13日
応補文章生得業生復旧例事 都腹赤(引用)) 天長(827年)4年6月13日
応抜有殊功輩加不次賞事 尾張言鑑
源相職
天慶3年(940年)1月11日
意見封事 公卿意見六箇條 多治比今麻呂 天長元年(824年)8月20日
意見十二箇條 三善清行 延喜14年(914年)4月28日
封事三箇條 菅原文時 天暦11年(957年)12月27日

巻3:対冊

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作品 作者 問者 日付
神仙 都言道 春澄善縄 貞観11年(869年)6月19日)
漏剋
立神祠 藤原春海 三善清行
鳥獣言語 菅原淳茂 三統理平 延喜8年(908年)8月14日
論運命 大江朝綱 藤原博文 (延喜22年(922年))
弁山水 大江澄明 橘直幹
寿考 大江匡衡 菅原文時 天延4年(976年))
陳徳行 田口斉名 播磨淑信
詳春秋 弓削以言 藤原惟貞
松竹 藤原広業 弓削以言 長徳4年(998年)12月26日[4]
弁旧儒 大江挙周 菅原輔正 長保3年(1001年)12月25日
詳脩吏
散楽 秦氏安 村上天皇 応和3年(963年)6月

巻4:論奏・表上・表下

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論奏

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作品 作者 日付
太政官謹奏 多祢島大隅国 都良香
小野岑守(引用))
天長元年(824年)9月3日
正月七日節会依旧不停十六日踏歌依詔倒止十七日射礼改月被行事 菅原文時 天暦9年(955年)12月25日

表上

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作品 作者 署名 日付
諸公卿賀朔旦冬至 菅原道真 藤原基経 元慶3年(879年)11月1日
摂政関白辞職 為昭宣公辞摂政上太上皇第一表 菅原道真 藤原基経 貞観18年(876年)11月1日
同第二表 菅原道真 藤原基経 貞観18年12月
為貞信公辞摂政第一表 大江朝綱 藤原忠平 延長8年(930年)10月13日
同第二表 大江朝綱 藤原忠平 延長8年(930年)10月16日
同第三表 大江朝綱 藤原忠平 延長8年(930年)10月9日〔ママ
貞信公天皇元服後辞摂政表 大江朝綱 藤原忠平 天慶元年(938年)8月15日
同公辞摂政准三宮等表 大江朝綱 藤原忠平 天慶3年(940年)5月27日
為貞信公辞関白第三表 大江朝綱 藤原忠平 天慶9年(946年)9月4日
為入道前内大臣辞関白表第二表 大江匡衡 藤原道隆 正暦6年(995年)2月5日
同入道表第三表 大江匡衡 藤原道隆 長徳元年(995年)2月~4月)
入道大相国謝官文書内覧 大江匡衡 藤原道長 長徳4年(998年)3月12日
同公重上表 藤原道長 長保2年(1000年)5月9日
復重上表 大江匡衡 藤原道長 長保2年(1000年)5月18日
太政大臣 為貞信公辞太政大臣第三表 大江朝綱 藤原忠平 承平6年(936年)9月15日
為清信公〔ママ〕辞職五度第二表 菅原文時 藤原実頼 康保4年(967年)12月25日
為忠義公辞職第一表 菅原文時 藤原兼通 天延2年(974年)2月10日
為入道前太政大臣辞職幷封戸准三宮第二表 大江匡衡 藤原兼家 永祚2年(990年)3月17日
同第三表 大江匡衡 藤原兼家 永祚2年(990年)4月21日
同第四表 大江匡衡 藤原兼家 永祚2年(990年)5月5日

巻5:表下・奏状上

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表下

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作品 作者 署名 日付
右大臣 為昭宣公辞右大臣第一表 菅原道真 藤原基経 貞観14年(872年)10月13日
辞右大臣第一表 菅原道真 昌泰2年(899年)2月27日
同第二表 菅原道真 昌泰2年(899年)3月4日
同第三表 菅原道真 昌泰2年(899年)3月28日
為清慎公辞右大臣第一表 大江朝綱 藤原実頼 天慶7年(944年)6月10日
同第二表 大江朝綱 藤原実頼 天慶7年(944年)6月23日
同第三表 大江朝綱 藤原実頼 天慶7年(944年)6月28日
為富小路右大臣辞職第一表 菅原文時 藤原顕忠 天徳4年(960年)9月21日
為小一條左大臣辞右大臣第一表 菅原文時 藤原師尹 康保5年(968年)1月5日
為一條左大臣辞右大臣第三表 菅原文時 源雅信 貞元2年(977年)6月14日
為入道太政大臣辞左大臣幷章奏随身等表 大江匡衡 藤原道隆 長徳4年(998年)3月12日
為同太政大臣辞左大臣第二表 大江匡衡 藤原道長 長保2年(1000年)5月9日
同第三表 大江匡衡 藤原道長 長保2年(1000年)5月18日
致仕 為貞信公請致仕表 大江朝綱 藤原忠平 天暦3年(949年)1月3日
同第二表 大江朝綱 藤原忠平 天暦3年(949年)3月16日
為清慎公請致仕表 菅原文時 藤原実頼 安和2年(969年)1月8日
為同公乞身表 菅原文時 藤原実頼 康保4年(967年)10月25日
封戸 請減封戸 菅原道真 昌泰2年(899年)12月5日
為九條右大臣請減職封 菅原文時 藤原師輔 天暦元年(947年)閏7月29日
為入道前太政大臣出家後辞封戸幷准三第二表 大江匡衡 如実(藤原兼家 永祚2年(990年)6月
随身 為貞信公返随身表 大江朝綱 藤原忠平 延長8年(930年)12月
女官 内侍源朝臣全姫請罷職表 菅原道真 源全姫 元慶4年(980年)
辞状 請被停職中務省卿状 兼明親王 寛和2年(986年)1月25日
為清慎公請罷左近衛大将状 菅原文時 天暦9年(955年)9月17日
為四條大納言請罷中納言左衛門督状 大江匡衡 藤原公任 寛弘(1~2年(1004年~1005年))
請罷蔵人頭状 菅原道真 寛平3年(891年)2月

奏状上

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作品 作者 署名 日付
建学館 為在納言建奨学院 高丘五常 在原行平
仏事 請被以私稲三千束加挙正税給観音寺灯分料状 兼明親王 兼明親王
請被以施無畏寺為定額寺状 兼明親王 兼明親王
請被以私稲各三千束加挙正税充給施無畏寺三昧料 兼明親王 兼明親王 天暦7年(953年)2月
関白太政大臣請以積善寺為御願寺状 大江匡衡 藤原道隆 正暦5年(994年)2月7日
請特蒙天恩被恤給度者四人状 大江朝綱 天暦7年(953年)3月

巻6:奏状中

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作品 作者 署名 日付
申官爵 請殊蒙鴻慈拝任温職状 大江朝綱 延長2年(924年)2月15日
請被特蒙天恩兼任民舞大輔欠状 橘直幹 天暦8年(954年)8月9日
請殊蒙天恩被遷山城守兼任近江権介状 菅原文時 小野道風 天徳2年(958年)1月11日
請殊蒙天裁依勤績及儒労叙従三位 菅原文時 天延2年(974年)11月11日
請特蒙天恩依当省幷儒学労被叙従三位状 菅原文時 天元3年(980年)1月5日
請殊蒙鴻恩被拝勘解由次官図書頭等欠状 菅原文時 平兼盛 天徳4年(960年)7月26日
請被特蒙天恩以有労格勤諸司遷任遠江駿河等国守欠状 平兼盛 平兼盛等 天元2年(979年)7月22日
請被殊蒙天恩拝大内記紀伊輔木工頭源方光申他宮所幷淡路国守欠状 藤原篤茂 天禄4年(973年)1月15日
請特蒙天恩諸国受領吏秩満幷臨時欠旧吏新叙任相半被拝任状 藤原倫寧 源順
藤原為雅
橘伊輔
藤原倫寧
天延2年(974年)12月17日
請殊蒙天恩因准前例依和泉国功補淡路国守欠状 源順 天延4年(976年)1月28日
請殊蒙天恩依和泉国所済幷別功散位労次第被拝任伊賀伊勢等国守欠状 源順 天元3年(980年)1月23日
請特蒙鴻慈因准先例兼任弁官左右衛門権佐大学頭等申陀官替状 大江匡衡 正暦4年(993年)1月11日
請殊蒙天恩依検違使労兼任越前尾張等国守欠状 大江匡衡 長徳2年(996年)1月15日
請殊蒙天恩因准先例兼任備中介欠状 大江匡衡 長徳2年(996年)4月2日
請特蒙天恩依尾張国所済功幷侍読労被拝美濃守欠状 大江匡衡 寛弘6年(1009年)1月15日
請被殊蒙天恩依殿上旧労拝任諸司助欠状 紀斉名 大江成基 正暦5年(994年)
請特蒙天恩因准先例依儒学労被兼任弁官欠左右衛門権佐申他官替状 大江以言 寛弘4年(1007年)2月22日
請被殊蒙天恩因准先例拝任安房能登淡路等国守欠状 大江以言 宮道義行 長徳3年(997年)1月21日
請特蒙天恩因准先例兼任式部大輔欠状 文室如正 寛弘9年(1012年)10月20日
請被殊蒙天恩依遠江国所済功幷成業労任美濃加賀等国守欠状 源為憲 長徳3年(997年)1月23日
請被特蒙温恤因准先例挙達弁官右衛門権佐欠状 三善道統 天元2年(979年)1月20日
申譲爵 請殊蒙天恩以所帯栄爵譲親父正六位上忠行 大江朝綱 賀茂保憲 天暦6年(952年)4月27日
請殊蒙天恩因准前例被停所所帯爵令男右少弁佐時加一階状 源順 藤原明子(藤原敦忠妻) 天延4年(976年)2月1日
学問料 請殊蒙天恩被給学問料男無位惟煕状 菅原文時 天暦10年(956年)
請殊蒙天恩被給学問料男無位輔照 菅原文時 康保2年(965年)
請被給穀倉院学問料令継六代業男蔭孫無位能公条 大江匡衡 長保4年(1002年)5月27日

巻7:奏状下・書

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奏状下

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作品 作者 署名 日付
左降人請帰京 請被殊蒙哀哀憐聴帰京且加病身治療且訪老母晨昏状 高階成忠 藤原隆家 長徳2年(996年)10月7日
省試詩論 請特蒙天裁召問諸儒決是非今月十七日文章生試判違例不穏雑事状 大江匡衡 長徳3年(997年)7月20日
文事弁申文章博士大江朝臣匡衡愁申学生同時棟省試所献詩病瑕瑾状 紀斉名 長徳3年(997年)8月15日
請重蒙天裁弁定大内記紀斉名称有病累瑕瑾所難学生大江時棟奉試詩状 大江匡衡 長徳3年(997年)8月29日
依宣旨言上犯平頭及第不及第幷犯蜂腰落第例等状 紀斉名 (長徳3年(997年))

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作品 作者 差出 宛名 日付
醍醐天皇奉答法皇請停尊号書 紀長谷雄 醍醐天皇 宇多上皇 10月14日
法皇請停封戸書 紀長谷雄 宇多上皇 醍醐天皇 延喜5年(905年)7月21日
法皇賜渤海裴遡〔ママ〕書 紀長谷雄 宇多上皇 裴頲 延喜8年(908年)5月12日
為清慎公報呉越王加沙金送文 大江朝綱 藤原実頼 銭弘佐 天暦元年(947年)閏7月27日
為右丞相贈大唐呉越公書状 菅原文時 藤原師輔 銭弘俶 天暦7年(953年)7月
奉右大臣 小野篁 藤原三守
奉菅右相府書 三善清行 菅原道真 昌泰3年(900年)10月11日
奉左丞相書 三善清行 藤原時平 昌泰3年(900年)2月9日
秀才菅原輔正状 大江朝綱 菅原輔正
送以言 藤原行成 大江以言 長保3年(1001年))7月1日
大江以言 藤原行成 長保3年(1001年)7月1日
返納貞観政要十巻 大江匡衡 藤原行成 長保2年(1000年)2月6日
同返事 藤原行成 大江匡衡 (長保2年(1000年))
奉行成状 大江匡衡 藤原行成 長保3年(1001年)3月3日
報頼光書 大江匡衡 源頼光 長保3年(1001年)3月28日
可被上啓挙周明春所望事 大江匡衡 登州刺史 長保4年(1002年)11月14日

巻8:序甲

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書序

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作品 作者 日付
令義解 小野篁
清原夏野(署名)
天長10年(833年))
弘仁格 藤原冬嗣 弘仁11年(820年)4月21日)
貞観格 藤原氏宗 貞観11年(869年)4月13日)
延喜格 藤原時平 延喜7年(907年)11月)
延喜以後詩序 紀長谷雄
沙門敬公集序 源順 天暦8年(954年)3月28日

詩序1

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作品 作者
天象 賦冬日可愛 橘広相
七月三日陪第七親王読書閣賦弓勢月初三日応教 源順
仲秋陪中書大王書閣同賦望月遠情多応教 紀斉名
八月十五夜同賦映池秋月明 幷序可注 三善清行
八月十五夜同賦天高秋月明各分一字応製 探得水字 紀長谷雄
八月十五夜陪菅師匠望月亭同賦桂生三五夕 紀長谷雄
八月十五夜侍亭子院同賦月影満秋池応太上法皇 菅原淳茂
八月十五夜於文章院対月同賦清光千里同 都在中
仲秋三五夕於江州野亭対月言志 大江匡衡
冬日陪藤相公亭子同賦消酒雲中天各分一字 藤原篤茂
九日侍宴賦喜晴応製 菅原道真
時節 早春侍宴賦陽春詞応製 都良香
早春侍宴同賦春暖応製 菅原道真
早春侍宴同賦無物不逢春応製 菅原道真
早春同賦春生逐地形 慶滋保胤
早春於奨学院同賦春生霊色中各分一字 源順
三月三日陪左相府曲水宴同賦因流泛酒 大江匡衡
三月尽林亭春已晩各分一字応教 紀斉名
後三月陪都督大王華亭同賦今年又有春各分一字応教 源順
夏日於左親衛源相公河陽別座同賦何処堪避暑 慶滋保胤
夏夜守庚申侍清涼殿同賦避暑対水石応製 大江匡衡
七夕女惜暁更応製 小野美材
七夕陪秘書閣同賦織姫雲為衣応製 大江以言
九月尽日於仏性院惜秋 源順
閏九月尽灯下即事応製 菅原道真
山水 秋日於河原院同賦山晴秋望多 藤原惟成
晩秋遊淳和院同賦波動水中山 源順
九日後朝侍朱雀院同賦閑古楽秋水応太上法皇 菅原道真
夏日与王才子過貞上人禅房翫庭前水石叙 源順
夏日陪左相府書閣同賦水樹多佳趣応教 大江匡衡
夏日陪員外端尹文亭同賦泉伝万歳之声応教 大江以言

巻9:序乙

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詩序2

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作品 作者(日付)
帝道 早春侍内宴賦聖化万年春応製 大江朝綱
扈従雲林院不勝感歎聊叙所観 菅原道真
人倫 早春内宴侍仁寿殿同賦春羽娃無気力応製 菅原道真
白箸翁 紀長谷雄
見遊女 大江以言
人事 七言北堂文選竟宴各詠句得遠念賢士風 菅原文時
早夏陪宴同賦所貴是賢才各分一字応製 大江以言
仲春釈奠聴講孝経同賦資事父事公 菅原道真
仲春釈奠聴講古文孝経同賦夙夜匪懈 大江澄明
九日侍宴同賦天錫難老応製 菅原道真
早春観賜宴宮人同賦催粧応製 菅原道真
暮春南亜相山庄尚歯会 菅原道真
暮春藤亜相山庄尚歯会詩 菅原文時
祖餞
蕃客餞別
暮春於文章院餞諸故人赴任同賦風月一朝阻各分一字 菅原雅規
暮春於文章院餞諸故人赴任同賦別方山水深各分一字 慶滋保胤
暮春於文章院餞諸故人赴任同賦別路花飛白 大江以言
春日於右監門藤将軍亭餞能州刺史赴任勧酔惜別 慶滋保胤
暮春陪員外藤納言書閣餞飛州刺史赴任応教 大江以言
仲冬餞聴奝上人赴唐贈以言各分一字 探得軽字 慶滋保胤
夏夜於鴻臚館北客 大江朝綱(延喜8年(908年))
夏夜於鴻臚館餞北客帰郷 紀在昌
論文 陪左丞相東閣聴源皇子初学周易 都良香
秋日聴第八皇子始読御注孝経応製 菅原文時
七言冬日於飛香舎聴第一皇子初読御注孝経応製 大江以言
七言冬日陪東宮第一皇孫初読御注孝経応令詩一首 大江匡衡
夏日陪右親衛源将軍初読論語各分一字 源順
春日侍前鎮西都督大王読史記応教 大江朝綱
北堂漢書竟宴詠史得蘇武 紀在昌
後漢書竟宴詠史得龐公 紀長谷雄
八月十五日巌閣尚書授後漢書畢各詠史得黄憲 菅原道真
八月廿五日第四皇子於飛香舎従吏部橘侍郎広相始受蒙求使引人命宴賦詩 都良香
七言夏日於左監門衆次将文亭聴講令詩一首 大江以言
仲春釈奠聴講周易同賦学校如林一首 大江朝綱
仲春釈奠毛詩講後賦詩者志之所之 菅原文時
初冬於都督大王書齎唯同賦唯以詩為友応教 大江匡衡
居所 元慶三年孟冬八日大極殿成命宴詩序一首 三善清行
別業 七言暮秋陪左相府宇治別業即事 大江以言
布帛 雅禄綿 源順
灯火 賦雨夜紗灯応 于時九月十日 菅原道真

巻9:序丙

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詩序3

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作品 作者(日付)
聖廟 三月尽日陪吉祥院聖廟同賦古廟春方暮 大江以言
七言九月尽日侍北野廟各分一字 高階積善
法会 慈恩院初会序 小野篁承和11年(844年)5月7日)
七言暮春於六波羅蜜寺供花会聴講法華経同賦一称南無仏 慶滋保胤
五言暮秋勧学会禅林寺聴講法華経同賦聚沙為仏塔 慶滋保胤
七言暮春勧学会聴講法華教同賦摂念山林 紀斉名
七言暮秋勧学会於法興院聴講法華経同賦世尊大恩 高階積善
九月十五日於予州楠本道場擬勧学会聴講法華教同賦寿命不可量 大江以言
山寺
付僧房
冬日遊園城寺上方 源英明
晩秋過参州薬王寺有感 慶滋保胤
七言晩秋於禅林寺上方眺望 紀斉名
七言暮春施無畏寺眺望 大江以言
七言晩秋於天台山円明房月前閑談 大江以言
夏日侍左相府池亭諸道講論後同賦松声常夏寒応教 大江以言
九日後朝侍宴朱雀院同賦秋思入寒松応太上皇 紀長谷雄
晩冬過文郎中翫庭前早梅 菅原道真
春日陪第七親王風亭同賦繞簷梅正開応教 橘正通
春夜陪第十親王書斎同賦梅近夜香多応教 橘正通
仲春釈奠聴講礼記同賦桃始華 紀長谷雄
春惜桜花応製 菅原道真
紅桜花下作応太上法皇製 大江朝綱
就花枝応製 田口達音
三月三日同賦花時天似酔応製 菅原道真
三月三日於西宮池亭同賦花開匝樹応製 源順
晩春上州太王臨水閣同賦香乱花難識応教 大江朝綱
春日同賦隔花遥勧酒応太上皇製 菅原輔昭
仲春於左武衛将軍亭同賦花白湿 藤原篤茂
暮春侍宴冷泉院池亭同賦花光水上浮応製 菅原文時
暮春於浄闍梨洞房同賦花光水上浮 源順
後二月遊白河院同賦花影泛春池応教 源順
暮春遊覧同賦逐処花皆好 紀斉名
暮春於右大丞亭子同賦逢花傾一盃 大江匡衡
落花詞応製 紀長谷雄
暮春同賦落花乱舞衣各分一字応太上皇製 大江朝綱
暮春陪上州大王池亭同賦度水落花来各分一字応教 源順
暮春侍宴左丞相東三條第同賦亘水落花舞応製 大江匡衡
暮春於尚書右中丞亭同賦閑庭花自落 大江以言
初冬翫紅葉応太上法皇製 大江朝綱
初冬於栖霞寺同賦霜葉満林紅応李部大王 源順
初冬過源才子文亭同賦紅葉 源順
冬日遊雲林院西洞玩紅葉 大江以言
冬日於神泉苑同賦葉下風枝疎 源順
冬日陪左相府少僕書閣同賦落葉波上舟 慶滋保胤
冬日於極楽寺禅房同賦落葉声如雨 慶滋保胤
初冬同賦紅葉高窓雨 橘正通
初冬於長楽寺同賦落葉山中路 高岳相如

巻10:序丁

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詩序4

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作品 作者
早春内宴侍清涼殿同賦草樹暗迎春応製 紀長谷雄
早春侍内宴同賦晴添草樹光応製 大江朝綱
夜守庚申同賦修竹冬青応教 藤原篤茂
三月尽日遊五覚院同賦紫花落鳥関関 源順
秋日遊白河院同賦秋花逐露開 源順
暮秋陪左相府書閣同賦寒花為客栽応教 大江匡衡
暮秋陪左相府書閣同賦菊潭花未遍各分一字応教 紀斉名
九月侍宴観賜群臣花応製 紀長谷雄
九月侍宴同賦寒菊戴霜抽応製 大江朝綱
九月侍宴清涼殿同賦菊是花聖賢応製 大江匡衡
惜残菊各分一字応製 菅原道真
対残菊侍寒月 紀長谷雄
惜秋翫残菊各分一字応製 紀長谷雄
秋尽日翫菊応令 菅原道真
同諸才子九月卅日白菊叢辺命飲 各加小序不過五十字 菅原道真
同前 紀長谷雄
九月尽日惜残菊応製 紀長谷雄
初冬陪菅丞相廟同賦籬菊有残花 源相規
五言仲春釈奠聴講毛詩同賦鶴鳴九皐 藤原雅材
重陽後朝同賦秋雁櫓声来応製 菅原道真
重陽日侍宴同賦寒雁識秋天応製 大江朝綱
仲春内宴侍仁寿殿同賦鳥声韻寛元応製 菅原文時
早春侍宴清涼殿玩鴬花応製 小野篁

和歌序

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作品 作者 日付
古今和歌序 紀淑望 延喜5年4月15日
新撰和歌 紀貫之 延長8年(930年)~承平4年(934年))
奉賀村上天皇四十御算和歌序 藤原後生 康保2年(965年))
一條院御時中宮御産百日和歌 藤原伊周 寛弘5年(1008年)12月20日
後一條院御時女一宮著袴翌日宴和歌序 藤原斉信 長元3年(1030年)11月21日
左丞相花亭遊宴和歌序 菅原文時
太上法皇賀玄宗法師八十之齢和歌序 紀長谷雄
法華経廿八品和歌序 藤原有国
春日野遊 和漢任意 橘在列
暮秋泛大井河各言所懐和歌序 大江匡衡
初冬泛大井河詠紅葉芦花和歌序 源道済

巻12:辞・行・文・讃・論文・銘・記・伝・牒・祝・起請文・奉行文・簡文・怠状・落書

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辞・行・文・讃・論文

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作品 作者(日付)
髪落詞 兼明親王
老閑行 菅原文時貞観2年(860年)秋)
詰眼文 善居逸(三善清行, 延喜13年(913年))
西方極楽 具平親王
普賢菩薩幷序 具平親王
学生藤原有章讃 菅原文時
同源元忠讃 藤原行葛
良馬讃 都良香
論文 弁香蕕論 都良香

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作品 作者(日付)
銚子回文 都良香
右大臣 菅原道真
銘剣 回文 菅原文時
回文 紀長谷雄
回文 紀長谷雄
累代宝 紀長谷雄(寛平8年(896年)冬)
座右銘 幷序 兼明親王
施無畏寺鐘銘 兼明親王
金鼓幷序 菅原文時

記・伝

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作品 作者 日付
富士山記 都良香
書斉〔ママ〕記
(書斎記[5]
菅原道真 寛平5年(893年)7月(1日[5]
亭子院賜飲記 紀長谷雄 延喜11年(911年)6月15日
池亭記 兼明親王 天徳3年(959年)12月2日
池亭記 慶滋保胤 天元5年(982年)10月
道場法師伝 都良香

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作品 作者 日付
渤海国中台省牒 紀長谷雄 元慶6年(882年))
呉越報書大寄)答新羅返牒却帰使人等事 菅原淳茂 延喜(901年~923年)
太宋国杭州奉先寺伝天台智者教講経論和尚 大江匡衡
覚慶(署名)
長保2年(1000年)~3年(1001年))
勧学会所牒送日州刺史館下 被分月俸建立仏堂一宇状 慶滋保胤 天延2年(974年)8月10日
勧学会所来牒一紙 橘倚平 天延3年(975年)5月11日

祝・起請文・奉行文・簡文・怠状・落書

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作品 作者 日付
第三皇子元服祝文 紀長谷雄 昌泰元年(988年)11月21日)
起請文 山亭起請 兼明親王
奉行文 侍中亜将撰和歌所別当御筆宣旨奉行文 源順 天暦5年(951年) )
簡文 禁制䦨入事 源順 天暦5年(951年)10月
怠状 東丹国入朝使裴璆等解申過進状事謬奉臣下使入朝上国怠状 裴璆 延長8年(930年)3月2日[6]
落書 桜島忠信落書 桜島忠信
秋夜書懐呈諸文友兼南隣源処士 藤原衆海

巻13:祭文・呪願文・表白文・知識文・廻文・願文上

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祭文・呪願文・表白文・知識文・廻文

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作品 作者 署名 日付
祭文
有供物
祭亀山神文 源兼明 天延3年(975年)8月13日
為員外藤納言請修飾美福門額字告弘法大師 大江以言 藤原行成 寛弘4年(1007年)1月1日
北野天神供御幣幷種種物文中原長国献上 大江匡衡 中原長国 寛弘9年(1012年)6月25日
呪願文 臨時仁王会呪願文 大江朝綱 天慶2年(939年)2月22日
浄妙寺塔供養呪願文 大江以言 寛弘4年(1007年)12月2日
表白文 天皇御筆法華経供養講説日問者表白 兼明親王 天暦9年(955年)1月4日
発願文 二條 兼明親王 白衣弟子 天徳2年(958年)8月)
知識 観学会ママ〕所欲被故人党結同心合力建立堂舎状 慶滋保胤 天延3年(975年)9月10日
廻文 勧学院仏名廻文 慶滋保胤

願文上

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作品 作者 署名 日付
神祠修善 賽菅丞相廟願文 慶滋保胤 寛和2年(986年)7月20日
尾張国熱田神社供養大般若願文 大江匡衡 寛弘元年(1004年)10月14日
供養塔寺 村上天皇供養雲林院御塔願文 大江維時 応和3年(963年)3月19日
為左大臣供養浄妙寺願文
木幡山浄妙寺被修法華三昧願文)
大江匡衡 藤原道長 寛弘2年(1005年)10月19日
供養同寺塔願文
(左大臣家被供養浄妙字〔ママ〕塔願文)
藤原道長 寛弘4年(1007年)12月3日
僧真教供養卒塔婆願文 大江匡衡 真教 永延3年(989年)7月23日
雑修禅 朱雀院被修御八講願文 大江維時 天慶10年(947年)3月17日
朱雀院平賊被修法会願文 大江朝綱 藤原師輔 天慶10年(947年)3月28日
供養自筆法華経願文 源兼明 貞元元年(976年)9月19日
奉書写供養金字大般若経一部 三善道統 空也 応和3年(963年)8月22日
為仁康上人修五時講願文 大江匡衡 仁康 正暦2年(991年)3月18日)
奝然上人入唐時為母修善願文 慶滋保胤 奝然 天元5年(982年)7月13日
懺悔 懺悔拝頌源信僧都御自〇〇 源信 N/A

巻14:願文下・諷誦文

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願文下:追善

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作品 作者 追善者 被追善者 日付
陽成院四十九日御願文 大江朝綱 別当前大納言源朝臣 陽成天皇 天暦3年(949年)11月18日
朱雀院四十九日御願文 大江朝綱 藤原師尹 朱雀天皇 天暦6年(952年)10月2日
朱雀院周忌御願文 大江朝綱 藤原師尹 朱雀天皇 天暦7年(953年)8月7日
円融院四十九日御願文 菅原輔正 藤原朝光 円融天皇 正暦2年(991年)閏2月27日
華山院四十九日御願文 大江以言 花山天皇 寛弘5年(1008年)3月22日
一條院四十九日御願文 大江匡衡 藤原道長 一条天皇 寛弘8年(1011年)8月2日
村上天皇為母后四十九日御願文 大江朝綱 村上天皇 藤原穏子 天暦8年(954年)3月20日
為二品長公主四十九日願文 慶滋保胤 尊子内親王 寛和元年(985年)6月17日
為左大臣息女女御四十九日願文 大江朝綱 藤原実頼 藤原述子 天暦元年(947年)12月20日
為大納言藤原卿息女女御四十九日願文 慶滋保胤 藤原為光 藤原忯子 寛和元年(985年)閏8月2日
為謙徳公修報恩善願文 菅原文時 藤原伊尹 藤原実頼
藤原安子
天禄2年(971年)4月29日
重明親王為家室四十九日願文 大江朝綱 重明親王 藤原寛子 天慶8年(945年)3月5日
為亡息澄明四十九日願文 大江朝綱 大江澄明 天暦4年(950年)6月20日
為右近中将源宣方四十九日願文 大江匡衡 女弟子 源宣方 長徳4年(998年)10月12日
為覚運僧都四十九日願文 大江以言 懐寿 覚運 寛弘4年(1007年)12月10日

諷誦文

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作品 作者 追善者 被追善者 日付
宇多院為河原左相府没後修諷誦文 紀在昌 宇多上皇
秦有時(主典代)
源融 延長4年(926年)7月4日
清慎公奉為村上天皇修諷誦文 菅原文時 藤原実頼 村上天皇 康保4年(967年)7月7日
在原氏為亡息員外納言四十九日修諷誦文 大江朝綱 在原棟梁 藤原敦忠 天慶6年(943年)4月22日
為石清水検校四十九日修諷誦文 慶滋保胤 石清水検校
左相府為寂心上人修四十九日修諷誦文 大江匡衡 藤原道長 寂心(慶滋保胤 長保4年(1002年)12月9日
同請文 請噠親者事 寂照?
大江匡衡?
寂照 (長保4年(1002年)12月)

本朝文粋附録

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作品 作者
鉄槌伝 羅泰(藤原明衡?[7]

『本朝文粋 : 正続 (国書刊行会本)』, 国立国会図書館デジタルコレクションを基に作成

版本

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刊本
  • 『本朝文粋 正続』(国書刊行会、1918年)[1]
  • 黒板勝美 編 新訂増補 国史大系 第29巻下(『本朝続文粋』と合刊)
吉川弘文館、1999年) ISBN 4-642-00332-0
(吉川弘文館、オンデマンド版2007年) ISBN 978-4-642-04031-0
注釈

脚注

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注釈

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  1. ^ 兼明親王は臣籍降下して源兼明となり左大臣にまで昇任したが、藤原頼忠を左大臣に就けるため、親王に復帰させられ中務卿(名誉職)になった。この人事に憤慨した兼明親王による漢詩。
  2. ^ 男性器を擬人化した「鉄槌」を主人公にした戯文。羅泰は仮名で、藤原明衡の作(『新猿楽記』にも「鉄槌」の語がある)とも言われるが不明。

出典

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  1. ^ ジャパンナレッジ
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n 日本古典文学大辞典編集委員会『日本古典文学大辞典第5巻』岩波書店、1984年10月、495-496頁。 
  3. ^ a b 都氏文集
  4. ^ 公卿補任
  5. ^ a b 菅家文草
  6. ^ 日本紀略
  7. ^ 鉄槌』 - コトバンク

関連文献

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関連項目

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