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この項目では、埼玉県北葛飾郡にある町について説明しています。その他の杉戸町については「杉戸町 (曖昧さ回避)」をご覧ください。 |
杉戸町(すぎとまち)は、埼玉県の東部に位置し、北葛飾郡に属する町。
人口は約4万6千人。
関東平野の中央からやや南寄りにあり、町域の大部分は海抜8m前後の中川低地に属する。西部の古利根川沿いに残る自然堤防地域や、東部の江戸川沿いの地域(江戸川開削によって切り離された下総台地)など海抜15m前後の台地状の地域も散在する[1]。
- 1977年(昭和52年)
- 3月 - 杉戸町内田のペトリカメラ埼玉工場跡地に日本住宅公団杉戸内田団地[15]が開設される。
- 4月1日 - 北小学校および杉戸小学校学区のうち清地・倉松地区を併せ、杉戸第二小学校が開校する。
- 埼玉県立杉戸高等学校が開校する。
- 救急業務が開始される。
- 1979年(昭和54年)
- 東小学校および南小学校が統合され、杉戸第三小学校が開校する。
- 東和大付属昌平高等学校が開校する。
- 4月1日 - 杉戸町の町民憲章・木(杉)・花(菊)が制定される。
- 1980年(昭和55年)
- 中央公民館が開館する。
- 西地区特定土地区画整理事業が認可される。
- 第1回町民体育祭が開催される。
- 1981年(昭和56年)
- 泉公民館が開館する。
- 杉戸駅が東武動物公園駅へと改称される。
- 第2次町総合振興計画が開始される。
- 1982年(昭和57年)
- 広島中学校が開校する。
- 消防庁舎が竣工する。
- 万年橋が開通する。
- 1983年(昭和58年) - 東公民館および南公民館が開館する。
- 1984年(昭和59年)3月 - 国道4号春日部古河バイパス開通。
- 1985年(昭和60年) - 保健センターが開設される。
- 1986年(昭和61年)
- 1987年(昭和62年) - 西地区特定区画整理事業が完了する。
- 1988年(昭和63年)
- 杉戸消防署泉出張所が開設される。
- 清地橋が改築される。
- 1989年(平成元年)
- 町制施行100年を迎え、記念式典などの催しが行われる。
- 宮東橋が改築される。
- 都市計画道路が決定される。
- 1990年(平成2年)
- 4月1日 - 倉松公園が開園する。
- 4月1日 - 2代目となる現行の町章が制定される。
- 西公民館が開館する。
- 杉戸町の人口が4万人を数える。
- 第3次町総合振興計画が開始される。
- 万願寺橋が改築される。
- 公共下水道の一部供用が開始される。
- 国土利用計画がまとまる。
- 1991年(平成3年) - 第一回敬老まつりが開催される。
- 1992年(平成4年) - 第一回子ども議会が開催される。
- 1993年(平成5年)
- 1994年(平成6年)
- すぎとピアが開設される。
- 高野台小学校が開校する。
- 第3次町総合振興計画が改定される。
- 市民農園が開設される。
- 1995年(平成7年)
- 大島新田調節池が整備される。
- 平和都市宣言がなされる。
- 環境センターの建設が着工される。
- 1996年(平成8年)
- 1997年(平成9年)
- 1998年(平成10年)
- 高野台保育園が開園する。
- 町民サービスコーナーが開始される。
- オーストラリア・バッセルトンシャイヤーに日本庭園が整備される。
- 全町図書館ネットワークサービスが開始される。
- 田園都市づくり協議会による公共施設の相互利用が開始される。
- 農業公園整備計画が策定される。
- 1999年(平成11年)
- 子ども憲章「すぎの子憲章」が制定される。
- 都市計画道路東武動物公園駅東口通り線(第一期)が完成する。
- 倉松公園橋が開通する。
- 東部中央都市連絡協議会による公共施設の相互利用が開始される。
- 幸手市との広域屎尿処理が調印される。
- 日光街道杉戸宿みなみがわ散策道(南側用水路)にポケットパークが開園する。
- 2000年(平成12年)
- 深輪工業団地が開設される。
- 埼玉ふるさと自慢100選に「古利根川流灯まつり」が選出される。
- 杉戸町非行防止教育サミットが開催される。
- エコ・スポいずみの来場者が40万人を超える。
- オーストラリア姉妹都市賞、姉妹都市ユース賞を受賞する。
- 第4次町総合振興計画および第2次杉戸町国土利用計画が策定される。
- 2001年(平成13年)
- 4月 - 学校給食センターを旧・桜井小学校跡地の杉戸町椿349に移転[17]。
- 4月28日 - 埼葛広域農道にまちの駅「アグリパークゆめすぎと」が開駅。
- 第4次町総合振興計画が開始される。
- 模擬女性会議が開催される。
- 埼玉県植樹祭が開催される。
- オーストラリア姉妹都市国際会議に参加する。
- 上原会館を解体する。跡地付近に上原会館記念碑が設置される[9]。
- シルバー人材センターが法人化。
- 2002年(平成14年)8月13日
- 「アグリパークゆめすぎと」が道の駅に登録される。
- 可燃ごみ処理の事務委託が幸手市と調印される。
- 幼児園構想基本計画が策定される。
- 生涯学習センター整備事業にPFI手法が導入される。
- 起業支援のためのソプレ・SUGITOが開設される。
- エコ・スポいずみの来場者が70万人を超える。
- 2003年(平成15年)
- 杉戸深輪産業団地地区センターが開設される。
- 杉戸町環境基本計画が策定される。
- 姉妹都市バッセルトンシャイヤーとの交流コンサートが開催される。
- 杉戸町ミニ国体(グラウンドゴルフおよび少年少女ソフトテニス)が開催される。
- 2006年(平成18年)
- 生涯学習センター・町立図書館「カルスタすぎと」が開設される。
- 2012年(平成24年)
- 2013年(平成25年)
- 2016年4月1日 - 旧・給食センターと杉戸町老人憩いの家の跡地に杉戸町立中央第二幼稚園・東幼稚園・南幼稚園を統合した複合施設「杉戸町立すぎと幼稚園・すぎと保育園」(杉戸町大字清地1768-3)が開園する[18]。
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杉戸町 |
杉戸 |
高野 |
堤郷 |
田宮 |
桜井 |
豊岡 |
昭和30年代後半 |
4大字 |
4大字 |
2大字 |
7大字 |
3大字 |
5大字 |
平成19年 |
4大字22町 |
4大字13町 |
2大字 |
7大字 |
3大字 |
5大字 |
当町では、春日部市と周辺の町との市町村合併が予定されていた。現在、住民投票(後述)の結果を受けて、合併協議は凍結となっている。
- 当初隣接する春日部市と宮代町、庄和町(当時)を加えた1市3町と共に、県東部の中核市を目指すために2005年3月31日より新設合併、新たな「春日部市」となる予定であった。2003年4月1日に法定合併協議会を杉戸町役場内に設置、協議は順調に進んでいき、あとは住民の意思を問うため、1市3町で一斉に住民投票を執行、結果を待つだけとなった。ところが、2004年7月11日に執行されたその結果、春日部市と当町、庄和町(当時)は「賛成」が上回ったが、宮代町は「反対」が上回った。結果を尊重とするとしたため、宮代町はこの結果を受けて「単独でやる」と表明した。そのため2004年9月30日をもって法定合併協議会を廃止、1市3町での合併は白紙となった。その後、春日部市や庄和町(当時)から宮代町を除いた1市2町の合併を要望されていたが、議員の賛同が得られないことを理由に拒否された。また宮代町から2町の合併を目的に合併協議会の設置を求められ、2町で行われた合併協議案設置議案の採決で、杉戸町議会では賛成多数で可決となったが、宮代町議会では反対多数で否決となり、実現することはなかった。結果的に当町は現時点において、これ以上の合併協議が進めることが出来ないため、宮代町とともに単独で行うこととなった。一方で春日部市と庄和町(当時)は、2005年10月1日に新設合併し、新たな「春日部市」となった。
- 合併協議が暫く行われていなかったなかで2007年に執行された杉戸町長選挙では、春日部市との合併を推進する候補が、現職(当時)を破って当選した。しかし、就任4ヶ月後である2007年8月26日に執行された春日部市と合併することについて町民の意思を問う住民投票で、2004年の住民投票の結果と反して「反対」が上回った。結局合併協議は休止されることとなった。
- 宮代町は2008年9月29日に町民が春日部市・杉戸町の枠組みでの合併の請願を賛成多数で可決し、三度合併に向けて再び動き始めた。春日部市と当町、宮代町の1市2町で研究会を設置し、2010年3月31日までに編入合併、「春日部市」となる予定であった。しかし、2009年5月17日に当町で行われた杉戸町が春日部市及び宮代町と合併することの是非に関する住民投票 で、前回に次いで「反対」が上回った。この結果を受けて、当町は研究会を離脱することになった。その後研究会は廃止され、1市2町での合併は再び白紙となった。当町では、当面は引き続き単独で行うこととなり、春日部市、宮代町と広域的な連携を進めていく予定である。なお町長(当時)は、この結果の責任をもって退職することを発表した。人口が5万人を超えた場合は単独で市制施行し、杉戸市になることも検討している。
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杉戸町と全国の年齢別人口分布(2005年)
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杉戸町の年齢・男女別人口分布(2005年)
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■紫色 ― 杉戸町 ■緑色 ― 日本全国
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■青色 ― 男性 ■赤色 ― 女性
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杉戸町(に相当する地域)の人口の推移
1970年(昭和45年)
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20,244人
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1975年(昭和50年)
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28,072人
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1980年(昭和55年)
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34,546人
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1985年(昭和60年)
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37,005人
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1990年(平成2年)
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40,419人
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1995年(平成7年)
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45,056人
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2000年(平成12年)
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47,336人
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2005年(平成17年)
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46,646人
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2010年(平成22年)
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46,883人
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2015年(平成27年)
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45,495人
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2020年(令和2年)
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43,845人
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総務省統計局 国勢調査より
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- 歴代町長
※現在の杉戸町設置後のみ記載
代 |
氏名 |
就任 |
退任 |
備考
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初代 |
高島熊次郎 |
1955年2月11日 |
1955年3月31日 |
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2 |
白石梅吉 |
1955年4月1日 |
1959年3月31日 |
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3 |
永塚勇助 |
1959年4月1日 |
1963年3月31日 |
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4 |
今井金太郎 |
1963年4月30日 |
1983年4月29日 |
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5 |
平井滋通 |
1983年4月30日 |
1987年4月29日 |
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6 |
矢島正男 |
1987年4月30日 |
1991年4月29日 |
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7 |
小川伊七 |
1991年4月30日 |
2007年4月29日 |
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8 |
野口勝久 |
2007年4月30日 |
2009年6月25日 |
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9 |
古谷松雄 |
2009年7月27日 |
2022年7月31日 |
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10 |
窪田裕之 |
2022年8月7日 |
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富山県富山市出身。
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- 職務代理者(町長入院中の職務代理)
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- 野口珎彦(総務財政調整幹、2007年6月14日 - 2007年7月23日)
- 倉持正雄(副町長、2009年4月23日 - 2009年7月26日[19])
- 一部事務組合
- 事務委託
- 幸手市(ひばりヶ丘桜泉園し尿処理施設) - し尿の処理を幸手市に委託している。
- 協議会
- 田園都市づくり協議会 - 久喜市・蓮田市・幸手市・白岡市・南埼玉郡宮代町・北葛飾郡杉戸町で構成している。
- 埼玉利根保健医療圏医療連携推進協議会(とねっと) - (利根保健医療圏(行田市・加須市・羽生市・久喜市・蓮田市・幸手市・白岡市・宮代町・杉戸町)内の医師会・自治体、「地域医療再生計画」への提案を行った実施事業者、埼玉県加須保健所・埼玉県幸手保健所で構成し、複数医療施設にまたがる医療情報を共有化して、住民(患者)を中心とした一貫性のある医療サービスを提供している。
本社・本店が存在
その他
ケーブルテレビ
- 平均年齢:40.7歳(男 40.0歳、女 41.4歳)
- 小学校
- 中学校
- 高等学校
- 広域利用(図書館ほかの各市町の施設)の相互利用により、当町が指定する施設を下記の住民も利用が可能である。
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- 東部中央都市連絡協議会(春日部市、蓮田市、白岡市、南埼玉郡宮代町、北葛飾郡杉戸町)の住民。
- 田園都市づくり協議会(久喜市(旧久喜市、旧南埼玉郡菖蒲町、旧北葛飾郡栗橋町、旧北葛飾郡鷲宮町)、蓮田市、幸手市、白岡市、南埼玉郡宮代町、北葛飾郡杉戸町)の住民。
-
杉戸県土整備事務所・越谷建築安全センター杉戸駐在
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東部環境管理事務所
市外局番は町内全域が「0480」。同一市外局番の地域との通話は市内通話料金で利用可能(久喜MA)。収容局は杉戸別館局、杉戸椿局。
郵便番号は、町内全域が「345-00xx」である。
当町中心部の最寄駅は東武動物公園駅(東武伊勢崎線・日光線)である。同駅の所在地は南埼玉郡宮代町であるが、開業当時の駅名は杉戸駅であった。また、かつての東武鉄道杉戸工場も宮代町の所在であった。
タクシーの営業区域は県南東部交通圏で、春日部市・草加市・越谷市・久喜市・八潮市などと同じエリアとなっている。
- 一般国道
- 県道
- その他主要道路
- 町章(1990年4月1日制定)
- 地図上の町の形が鷲(ワシ)の形に似ていることから、ワシをテーマにしたデザインとなっている。埼玉県章に用いられている勾玉、町の木である杉も意匠に組み込まれている[21]。
- Vリーグ
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