プロフィール | |
---|---|
別名義 | 松山 基栄(本名)[1] |
愛称 | 彩様、彩姐さん |
生年月日 | 1968年7月19日 |
現年齢 | 56歳 |
出身地 | 日本・京都府京都市東山区 |
血液型 | AB型 |
公称サイズ(時期不明) | |
身長 / 体重 | 168 cm / ― kg |
スリーサイズ | 88 - 63 - 88 cm |
カップサイズ | E |
靴のサイズ | 24.5 cm |
活動 | |
デビュー | 1986年 |
ジャンル | タレント、女優 |
モデル内容 | ヌード、水着 |
他の活動 | ダンサー、小説家、歌手、作詞家、作曲家 |
事務所 | オフィス彩 |
モデル: テンプレート - カテゴリ |
杉本 彩(すぎもと あや、1968年7月19日 - )は、日本のタレント、レースクイーン、女優、グラビアアイドル、歌手、ダンサー、小説家、実業家、動物愛護活動家[2]、作詞家、作曲家である。株式会社オフィス彩所属で代表取締役[1]。公益財団法人動物環境・福祉協会Eva理事長。
京都市東山区出身。本名は、松山 基栄(まつやま もとえ)[1]。事業活動などに際しては、本名を使用している。
身長168cm、B82cm、W58cm、H86cm(1987年5月、18歳時)[3]。
東山区祇園出身で、当時は両親と妹と祖母と暮らしていた[2]。京都市立有済小学校[4] 、京都市立弥栄中学校卒業。京都府立北稜高等学校中退。
幼い頃は祇園に今ほど観光客はおらず、新門前通や新橋通などを遊び場にして毎日元気に走り回っていた。子供の頃はおばあちゃん子で、夏場は祖母が仕立てた浴衣を着て祇園祭に訪れるのが楽しみだった[2]。母方の祖父母が着物関係の仕事をしていて母はテーラー、父は洋服の生地を扱うサラリーマンだったが、杉本が中学生の時に父が脱サラして、母もテーラーを辞め小料理屋を始める。
しかし、父が知人の借金の保証人になっていて、その知人が借金を返済しないまま失踪してしまう。悪徳金融業者に借りた借金は、法外な利子で雪だるま式に増えていったという。住んでいた家は差し押さえられ、金融業者の執拗な催促が連日続いた。杉本は両親と共に悪徳金融会社に連れて行かれ、一緒に頭を下げさせられたこともあったという。
杉本は高校受験をひかえていたが、進学費用の捻出もままならないほど杉本家の経済状況はひっ迫し、母親はそんな父親に愛想をつかし新しい恋人に走り、家庭は崩壊する。精神的に追い詰められた杉本は15才の時に刃物で手首を切り、自殺を図るが、母親が早く発見したために一命を取り留めた。高校入学直前に祇園から京都市内に引っ越したが、その後両親は離婚した[2]。
家庭内がゴタゴタしたことから「早く自立したい」と強く思うようになり、その後16歳の時にスカウトされた[2]。モデルの仕事を始めたことでほどなくして高校を中退し、勉強は通信教育に変えた[2]。モデルとして必死に働き、17歳の頃に自立できるぐらいの収入が得られたことからアパートで一人暮らしを始めた[注釈 1][注釈 2]。
モデルやキャンペーンガールなどの経験を重ねる中、彼女の大人びた容姿に興味を持ち話しかけてきた芸能事務所スターダストプロモーションのスカウトにより全国区のデビューを持ちかけられ、芸能界入りが決定した[5]。当時、芸能界は憧れて入ったわけではなく、「自分が自立して生きていくための一番の近道だった」と語っている[6]。
1987年に東レキャンペーンガールとしてデビュー[3][7]。日本人離れしたプロポーションで[3]、大胆なハイレグ水着を着こなし話題を呼んだ[3]。以後、ダンサー、作家など幅広い分野で活躍。現在は、公益財団法人動物環境・福祉協会Eva理事長。動物愛護活動家として、日本の動物福祉の向上を目指している。
興味本位でタバコを吸ってみたことがあったが、おいしいと感じることもなかったため吸わなくなった[8][9]。以来、本人曰く「基本的に」タバコが嫌いで会社の芸能部のスタッフには、給料以外に1万円の“禁煙手当て”を出している。外見から喫煙者に見られることが多く、レストラン等では黙っていても灰皿を出されてしまうと語っている[10]。(なお、彼女の出演した「愛の新世界」や「君といつまでも」などのように、演じる役柄によっては、実際にタバコを吸う場合もある。)。しかし、葉巻はたまに酔った勢いで吸うことがあると、「月刊 杉本彩」のメイキングDVDにて発言している。夫は元々は喫煙者であったが、杉本の説得により禁煙した。
東京でも当初はモデルとしてデビュー。スタイルの良さから水着やボディコンシャスな服を着用するキャンペーンガールなどに起用される。
19歳当時には『オールナイトフジ』で中村あずさのアシスタント役に抜擢。堂々とした立ち居振る舞いや媚びのないセクシーさから、女性からの支持も多く集めた。また、音楽活動にも活躍の場を広げ、特に学祭出演が多かったことから「学祭の女王」の異名も持った。この頃から、「Sha-La-La」や「愛が知りたい」など自分の歌唱曲の作曲も、自身で行うようになる。
当初は京都から東京に通って仕事をしていたが、その後スケジュールの都合で通うのが難しくなったため、20歳の頃に本格的に上京[2]。上京後から世田谷区桜新町で暮らし始めた[2]。
1991年(平成3年)、24歳の時に個人事務所株式会社 オフィス彩を設立。
1993年(平成5年)の『ENFIN』を皮切りにヘアヌード写真集を多数発表。官能小説を執筆したり、団鬼六の代表作『花と蛇』の映画化の主役に抜擢されるなど「エロスの伝道師」を標榜し[11]、バラエティ番組の出演も増えた。
「運命に逆らう」という意味をもつスキンケアブランド『アンデスティノ』を立ち上げたが、2010年(平成22年)8月31日、経営陣に加えていた妹との経営方針をめぐる対立により株式会社アンデスティノの取締役及びプロデューサーを退任(詳細は後述)。同年9月、新たなブランド「リベラータ」を設立しプロデューサーに就任。
2023年、YouTubeチャンネル『Aya sugimoto TV』を開設。
趣味・特技は社交ダンス。『ウッチャンナンチャンのウリナリ!!』がきっかけでハマったという。『ウリナリ芸能人社交ダンス部』などの番組企画で社交ダンスを特訓した際には、バラエティ番組の域を超えて心身ともに徹底的に打ち込んだ。ペアの相手は南原清隆で1級を獲得している。練習中、激しい転倒などもあり肋骨と鼻骨を骨折している[19]。担当のプロデューサーは最終目標の大会に出場しなくても、すでにその準備の映像で十分ドキュメンタリーとして成立することを理由に、杉本の辞退・静養をすすめたが、本人は「一緒に努力してきたチームメイトや南原に申し訳が立たない」と激痛に耐えて、痛み止めを打ちながらついに大会の最後まで踊り通した[19]。番組終了後も続けていると『徹子の部屋』で語っている。
恵昇院の檀家で、本能寺が菩提寺。高祖父はドイツから来た医者であり、16分の1ドイツの血が流れている[20]。
容姿や外見からサディストに見られやすいが、本人はむしろマゾヒストと語っている[21]。
芸能人で唯一尊敬し、影響を受けた人はイタリアの歌手ミルバ[21]。
60代70代になる頃には、「愛に溢れた女性でありたい」「将来的には社会に貢献できる仕事をしていきたい」と語っている[21]。
大切にしている事は「愛すること」「情熱を傾けること」「許す(赦す)こと」の3つである[21]。
方向音痴である(2020年9月9日放送、『ホンマでっか⁉︎TV』より)。
詳細な番組名は不明だが、ラジオ番組の初のレギュラーが名古屋の放送局で、初主演ドラマ[注釈 5]も愛知県内で制作された作品だった[2]。このため本人は、「(女優、タレントとしての)“杉本彩”の始まりの場所は、名古屋」と位置づけている[2]。
和洋、ジャンル問わずとにかく踊ることが大好きで、子供時代はバレエを習っていたり、夏場に隣町の盆踊りを踊るのが特に好きだった[注釈 6]。
先述の通り長年桜新町で暮らしたことから、本人は「桜新町は、第二の故郷」と評している[2](ただし2022年現在も居住しているかは不明)。桜新町の住民からは水前寺清子、やくみつると並んで「桜新町3大有名人」と称されているという。また、桜新町で毎年4月に開かれる「さくらまつり」では、水前寺によるオンステージが定番だが、過去に一度だけ杉本がアルゼンチンタンゴを披露したことがある[注釈 7]。
枚 | 発売日 | タイトル | 規格品番 | 発売元 |
---|---|---|---|---|
1st | 1988年4月21日 | Boys | CWP-92 | クラウンレコード |
2nd | 1988年12月5日 | 13日のルナ | CWP-98 | |
3rd | 1989年4月12日 | 日曜はだめよ | CWP-104 | |
4th | 1990年1月21日 | B&S | ZLS-31 | |
5th | 1990年6月5日 | うさぎ | CRDP-2 | 日本クラウン |
6th | 1990年11月5日 | ゴージャス | CRDP-7 | |
7th | 1991年10月21日 | 輝いてて… | BVDR-68 | BMGビクター |
8th | 1992年5月21日 | 愛が知りたい | BVDR-103 | |
9th | 1993年1月8日 | Le SOIR 〜永遠の別れ〜 | BVDR-157 |
枚 | 発売日 | タイトル | 規格品番 | 名義 | 発売元 |
---|---|---|---|---|---|
1st | 1991年9月25日 | ナイスチョット | PIDL-1032 | 夜も一生けんめい'S(逸見政孝・杉本彩) | パイオニアLDC |
2nd | 2006年11月22日 | 逆にそれって愛かもね | BVDR-19699 | 純一&彩 | BMGジャパン |
枚 | 発売日 | タイトル | 規格品番 | 発売元 |
---|---|---|---|---|
1st | 1988年07月21日 | 彩 | ZA-501 | クラウンレコード |
2nd | 1988年12月16日 | 水の中の小さな太陽 | ZL-120 | |
3rd | 1989年6月21日 | 灼熱伝説 | SHD-1 | |
4th | 1990年1月21日 | BODY&SOUL | CRCP-173 | |
5th | 1990年11月21日 | Japanese Dream | CRCP-20009 | 日本クラウン |
6th | 1991年11月6日 | 私生活 | BVCR-63 | BMGビクター |
7th | 1995年7月1日 | Femme Fatale | COCA-12700 | 日本コロムビア |
8th | 2005年4月27日 | decadence 杉本彩ヨーロピアン・セレクション | VIZP30 | ビクターエンタテインメント |
枚 | 発売日 | タイトル | 規格品番 | 発売元 |
---|---|---|---|---|
1st | 1991年9月6日 | all of me | CRCP-20023 | 日本クラウン |
2nd | 2004年9月17日 | ゴールデン☆ベスト | CRCP-20359 |