杉村信近(すぎむら のぶちか、1882年(明治15年) - 1973年(昭和48年)4月15日)は、日本の技術者、発明家、弁理士。日本弁理士会の初代理事長(現在の会長職相当)。
東京帝国大学を卒業後、芝浦製作所に技術者として入社。在職中に12件の日本国特許出願を行い[1]、米国でも特許を取得した。[2]
1920年(大正8年)に弁理士資格を取得し、日本初の企業内弁理士として芝浦製作所特許部に勤務する。
1923年(大正11年)に、芝浦製作所を退職し、杉村萬国特許事務所を創立する。
原子力エネルギー発生装置事件の出願及び審決取消訴訟の代理人を務める。
1961年(昭和36年)に藍綬褒章を受章する。墓所は多磨霊園(13-1-22)