李鐘山 리종산 | |
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生年月日 | 1922年 |
出生地 | 中華民国 |
没年月日 | 2011年7月23日(89歳没) |
死没地 | 朝鮮民主主義人民共和国 |
出身校 | 中央保安幹部学校 |
所属政党 | 朝鮮労働党 |
称号 |
金日成勲章、共和国英雄 第1級国旗勲章 |
最高人民会議代議員 | |
当選回数 | 4回 |
在任期間 | 1990年4月 - 2011年7月23日 |
最高指導者 |
金日成(1948年 - 1994年) 金正日(1994年 - 2011年) |
その他の職歴 | |
軍需動員総局長 (1995年5月 - 不明) | |
朝鮮反帝闘士老兵委員会委員長 (2005年4月 - 2011年7月23日) |
李鐘山 | |
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各種表記 | |
チョソングル: | 리종산 |
漢字: | 李鐘山 |
発音: | リ・ジョンサン |
英語表記: | Ri Jong-san |
李 鐘山(リ・ジョンサン、朝鮮語: 리종산、1922年 - 2011年7月23日)は、朝鮮民主主義人民共和国の軍人、政治家。軍需動員総局長、朝鮮反帝闘士老兵委員会委員長、最高人民会議代議員などを歴任。朝鮮人民軍における軍事称号(階級)は次帥。金日成の副官として抗日パルチザン活動に参加したことから、「抗日パルチザン世代」に分類される[1]。
1922年に中国で生まれた[2]。11歳の時に抗日組織の東北抗日聯軍に入隊し[2]、金日成の副官を務めた[2]。中央保安幹部学校卒業[2]。1965年7月に朝鮮人民軍陸軍第2軍団参謀長に就任した[2]。1990年4月に最高人民会議第9期代議員に選出された[2]。1992年に大将に昇進し[2]、1995年に軍需動員総局長に就いた[2]。1997年に次帥に昇進し[2]、2005年4月に朝鮮反帝闘士老兵委員会委員長に就いた[2]。同年5月9日にロシア・モスクワで開催された対独戦勝60周年記念式典に北朝鮮代表団の団長として参加した[3][2]。
2009年3月8日に実施された最高人民会議第12期代議員選挙で、金正日総書記が立候補した選挙区で投票したことが報じられると、それから動静が途絶え[2][4]、2011年7月23日に死去[2][1]。金正日総書記から花輪が贈られた[1]。