生誕 |
1971年5月9日(53歳)![]() |
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時代 | 現代思想 |
地域 | 日本思想 |
出身校 |
東京大学教養学部(学士) 東京大学大学院総合文化研究科(修士、博士) |
学派 |
大陸哲学 デリダ派[注釈 1] 唯物論[1] |
研究機関 |
東京大学 国際大学GLOCOM 経済産業研究所 東京工業大学 早稲田大学 |
研究分野 | 形而上学、存在論、倫理学、言語哲学、コミュニケーション論、科学史、科学哲学、表象文化論、大衆文化、文学理論、文芸評論、社会哲学、社会思想、情報社会論 |
主な概念 | 二元論[注釈 2]、否定神学批判、単数的超越論性 / 複数的超越論性、誤配、郵便空間、郵便的脱構築、動物化、データベース消費、萌え要素、セカイ系、ゲーム的リアリズム、規律訓練型権力 / 環境管理型権力、人間的公共性 / 動物的公共性、一般意志2.0、弱いつながり、村人 / 旅人 / 観光客、郵便的マルチチュード、憐れみ、家族、不能の父 / 偶然の子供たち、喧噪、訂正可能性 |
博士課程指導教員 | 小林康夫、湯浅博雄、高橋哲哉、増田一夫、鵜飼哲 |
1971年5月9日 -)は、日本の批評家、哲学者、作家[注釈 3]。株式会社ゲンロン創業者[2]。専門は現代思想、表象文化論、情報社会論。学位は博士(学術)(東京大学・1999年)。
(あずま ひろき、在学中の1993年に批評家としてデビュー、東京工業大学特任教授、早稲田大学教授などを経て、2015年より批評誌『ゲンロン』を創刊・主宰。著書に『存在論的、郵便的』(1998年)、『動物化するポストモダン』(2001年)、『一般意志2.0』(2011年)、『観光客の哲学』(2017年)、『訂正可能性の哲学』(2023年)など。
1971年、東京都三鷹市で生まれる。小学生時代に三鷹市中原から神奈川県横浜市青葉区に転居。三鷹市立東台小学校(現:鷹南学園三鷹市立東台小学校)、横浜市立みたけ台小学校を経て、筑波大学附属駒場中学校に入学。小学校低学年でカッパ・ノベルス、高学年からは小松左京を好んで読む[8]。高校時代は、新潮文庫の海外文学を端から端まで読み、ドストエフスキーやカミュに親しむ。
1990年、筑波大学附属駒場高等学校卒業、東京大学文科Ⅰ類入学。教養課程(学部1~2年)では佐藤誠三郎のゼミに所属、『フォーリン・アフェアーズ』など英語圏の社会科学系論文に触れる[8]。教養学部に進み、科学史・科学哲学を専攻。在学中の1993年4月、『批評空間』第1期第9号に「ソルジェニーツィン試論:確率の手触り」を掲載し、評論家としてデビュー。1994年3月、東京大学教養学部教養学科科学史・科学哲学分科卒業。1994年10月より5年間に渡り、『批評空間』にて「デリダ試論」を連載。1996年の『エヴァンゲリオン論』(『郵便的不安たち』所収)以来、オタク系サブカルチャーへの批評活動も行うようになる。
1996年、コロンビア大学の大学院入試に失敗し米国留学を断念[8][9]。1998年、ほしおさなえと学生結婚。1999年3月、東京大学大学院総合文化研究科超域文化科学専攻博士課程修了。博士(学術)。学位論文は「存在論的、郵便的:後期ジャック・デリダの思想と精神分析」[10]。
博士号取得後、日本学術振興会特別研究員(PD、1999年3月 - 2002年3月)、慶應義塾大学文学部非常勤講師(2002年4月 - 2004年3月末)として大学に籍をおきつつ、2000年代以降の社会思想の潮流として、インターネット・情報社会・サブカルチャーに関心を寄せる。2000年3月、公式サイト「hirokiazuma.com」を開設。2001年11月、『ユリイカ』誌上での連載をまとめた単著『動物化するポストモダン』を発表[11]。「データベース消費」「動物化[注釈 4]」といった概念を提起。2003年、経済産業研究所のリサーチアシスタントに就任し、「デジタル情報と財産権」に関する研究会に参加[12]。2003年5月から2006年までスタンフォード日本センター(SJC)リサーチフェロー[注釈 5]を務める。
2003年4月国際大学グローバル・コミュニケーションセンター(GLOCOM)に主任研究員・助教授として就任。GLOCOMの東浩紀研究室にて「ised」(情報社会の倫理と設計についての学際的研究)[13]を立ち上げ、情報社会に関する研究に取り組む[14]。2004年9月、GLOCOM主幹研究員。11月、同教授に就任。2006年4月から6月までGLOCOM副所長。2004年4月から翌年3月まで、東京大学大学院情報学環・学際情報学府客員助教授を兼任。2006年7月末、国際大学グローバル・コミュニケーションセンター教授・主幹研究員を辞任[15]。
2005年10月、東京工業大学世界文明センター人文学院特任教授に就任。2007年4月からは東京工業大学世界文明センター人文学院ディレクターも兼務。2007年3月、それまでのエッセイや論考をまとめ、3つの論文集(東浩紀コレクション)を講談社「講談社BOX」から相次いで刊行。2008年4月、北田暁大と共編で『思想地図』(NHK出版)を創刊。2010年から2011年4月まで朝日新聞誌上にて「論壇時評」を毎月担当。
2010年4月、早稲田大学文学学術院客員教授(任期付き)に就任、同時に合同会社コンテクチュアズ(後の株式会社ゲンロン)を創立。同年5月には、自身初となる長編SF小説『クォンタム・ファミリーズ』(新潮社)で第23回三島由紀夫賞を受賞。同年10月には、合同会社コンテクチュアズより第2期『思想地図β』を刊行。翌2011年1月末、合同会社コンテクチュアズの代表に就任。2012年、自らが編集する『思想地図』(『日本2.0』)において、新憲法草案「新日本国憲法ゲンロン草案」を共同執筆し、インターネット上に公開[16][17]。
2012年4月、合同会社コンテクチュアズを株式会社ゲンロンに社名変更。2013年3月末、早稲田大学文学学術院教授を自主退職。2013年以降、活動の主軸を、自身が創業した株式会社ゲンロンにおく。2015年3月、批評家の佐々木敦と共に「ゲンロン 佐々木敦 批評再生塾」を始動[18]。同年12月、批評誌『ゲンロン』を創刊、責任編集を務める。
アカデミズムの自閉を逃れ、かといってジャーナリズムになりきることもない、そのような両義的な言葉──ミハイル・バフチンであればポリフォニーと呼んだであろうもの──は、かつてこの国では「批評」と呼ばれていた。(中略)本誌は、その復活を目的として創刊されている。—東浩紀、批評誌『ゲンロン』創刊にあたって、2015年[19]
2017年、『ゲンロン0―観光客の哲学』で第71回毎日出版文化賞受賞[20]。2018年12月より、代表取締役を上田洋子に交代し、株式会社ゲンロンの代表を退く。2017年10月、あいちトリエンナーレ2019の企画アドバイザーに就任するが、2019年8月に辞任。2019年6月、映像配信プラットフォームを提供・運営する合同会社シラスを設立、同代表取締役就任[21]。
東浩紀はフランス現代思想の研究者として出発し、大学在学中より批評活動を行っていた。『批評空間』に連載されていたジャック・デリダに関する論文は1998年に『存在論的、郵便的―ジャック・デリダについて』として新潮社より単行本化され、翌1999年、東はそれを博士論文として東京大学へ提出した。 デリダを研究するきっかけとして、そもそも教科書や童話を除くフランス語文献として初めて読み通した書物がデリダの『Khôra』(フランス、1993年出版)だったという[60][61]。以降もデリダ論を扱い、自身をデリディアンとすることもある[62]。デリダの作品において、東浩紀が高く評価している書物は『グラマトロジーについて』である[63]。デリダという哲学者について、東浩紀はTwitter上で次のように述べたことがある。
【デリダとは】仏哲学者。20世紀のすぐれた哲学者の常として「哲学なんていみなくね?」というのをすごく哲学的に言って、ややこしくなってしまったひと。でも基本の着想はいいので哲学の呪縛から解き放たれればいい仕事できた可能性がある。東浩紀はその可能性を「郵便的」と呼んだ。以上。」[64]
東大教養学部時代は科学史・科学哲学に属し、分析哲学に関する勉強もしていた[65]。東浩紀のデリダ論は、博士論文が有名であるが、学部の卒業論文から、修士論文、博士論文まで一貫してデリダを扱っている[66]。ただし、修士論文はジャック・デリダとともにミハイル・バフチンを取り上げて比較検討する論文を書いている[67]。大学院時代の専門は、一般に現代思想という言葉で理解されているが、厳密に示すならば、言語哲学とコミュニケーション論である[65]。
大陸哲学系の現代思想は、しばしばソーカル事件の影響から、科学および数学領域の専門家から批判を受けることがあるが、東浩紀は、必要に応じて、そうした指摘への配慮も行っている。そもそも東浩紀は、東大教養学部時代、科学史・科学哲学分科で過ごしていた。そこで東浩紀は、後に自身が博士論文で引用することになる、柄谷行人のゲーデルの不完全性定理に対する解釈の誤り(先走り)についてよく教えられ、件のソーカル事件についても、ソーカルの指摘の正当性に同意し、文書にしている。前述の通り、東浩紀は、後の博士論文『存在論的、郵便的』において件の柄谷のゲーデル解釈に着想を得て柄谷行人を引用しているが、そのことについては、そもそも1980年代から1990年代の日本の現代思想そのものが柄谷たちの数学的誤りを認め受け入れた上でそれでもなお有効な柄谷たちの思想構造の有用性を肯定し引用することによって成り立っているという歴史的文脈があり、その歴史的延長線上で研究活動をしている東浩紀は、あくまでもその歴史的文脈の中において柄谷行人を引用しているに過ぎない。さらに同書においては、東浩紀が直接的にクルト・ゲーデルを引用したことはなく、あくまでも柄谷行人を引用する中において柄谷が引用したゲーデルが登場しているのみである。ただし、脱構築はデリダの中核的思想であり、柄谷は脱構築を不完全性定理そのものとしている訳で、それらを脇に置くことはできないという再批判もありうる。さらに、ヒルベルトのプログラムがゲーデルによって実行不可能と分かったという、広く共有されているストーリーがそもそも誤りで、ゲーデル自身は「すべての数学的命題の真偽は決定可能」という信念を捨てなかったという田中一之による根本指摘がある[68]。(以上、数学、科学的基礎に関する指摘について)
近代の哲学者ルソー(18世紀)を主題とした著書『一般意志2.0』は、「一般に学問の世界では許されない」蛮勇であることを自覚して書いたものである(後述#哲学を参照)。その上で、東浩紀は、自身のそのような「蛮勇」を読んだ後続の若手研究者の中から、ライプニッツ(17・18世紀)、スピノザ(17世紀)、デカルト(17世紀)などの近代哲学の古典を「おれなりに乱暴に読み直す」、自身のような蛮勇を継承する人物が生まれることを期待している。18世紀以前の思想を読み返す試みには、東浩紀の思想史観に依拠した理由がある。19世紀から20世紀にかけて哲学の主流にあって、ヘーゲルの思想からマルクスの思想を基調とする理性主義というある種のオカルトが破綻したため、21世紀の思想は、18世紀に回帰していると考えている。また、思想史的にはマルクスやニーチェがヘーゲルを批判し、東浩紀自身が研究していたポストモダニズムは思想史の系譜から見てそのマルクスやニーチェの直系に位置するのだが、東浩紀は、マルクスとニーチェがヘーゲルを乗り越えられていたかどうかについては疑問が残るとした上で、当事者意識として、ポストモダニズムの無力さを感じるとしている。東浩紀は、徹底した唯物論者である。
自身について、「本当に好きなものは何ですか」と問われれば、「ドストエフスキーです」とか「ソクラテスです」と答える人であるとしている[60]。ギリシア哲学のソクラテス、プラトン、アリストテレスについては、ツイッター上で以下のように説明した。
國分功一郎との対談[69]では、その発言を前提として、プラトンやアリストテレスのことはよく分からず、一貫してソクラテスのことだけが分かるとした上で、自身もソクラテス(ふらりと飲み屋に現れて引っ掻き回して帰っていく男)のように生きていきたいと語っている[60]。
中学生の頃、新潮文庫に収められているノーベル文学賞受賞者の作品を読んでいくというプログラムを立て、そこでアレクサンドル・ソルジェニーツィンと出会う。ロシア文学に強く影響を受ける[70]。
ぼくはもともとロシアが好きだった。高校時代はドストエフスキーとソルジェニーツィンを愛読し、タルコフスキーの映画を好んで見ていた。大学入学時には第2外国語として迷わずロシア語を選んだ。修士論文ではデリダと並べてバフチンを読んだ。—東浩紀、ゲンロン6 特集:ロシア現代思想I
2009年に発表し三島由紀夫賞を受賞した『クォンタム・ファミリーズ』では、小説の作品世界を通して、哲学の問題を反映させ、可能世界論の問題などを扱っている。東自身はその哲学の主著の一つである『存在論的、郵便的』の続編だと述べ[71]、國分功一郎(哲学者)と千葉雅也(哲学者)との鼎談などにおいて、同書と哲学について言及している[72]。
オカルト、神秘体験、超能力などの類は一切信じず否定するものの、神だけは「信じている」とする[73]。その神は、世界と運命の無限回の施行の中で「今回」こそがトゥルーエンドに繋がるはずだという確信を与えてくれるもの、すなわちライプニッツ的な神であるとしている[74]。
哲学や文学は神を召喚するための言葉であるとした上で、神を必要としない人たちにとってそれらは意味がないと指摘している。それと同時に、神(超越)を信じない人と一緒に仕事をすることはできないと表明している。東浩紀曰く「神を信じるというのは、この卑俗な現実を超える人間の能力を信じるということ」である。また、神は「コミュニケーションツール」であるとも発言している。神を信じるか信じないかについては、「見えるか見えないかだ。見えない連中がなにを言おうが知ったことか」と言う[75]。
なお、以上のように東の語る「神」は当然、宗教的な人格神のことではなく、あくまでも形而上学という学問を成立させている概念としての「超越」である。留意の上、そちら(超越)の記事も参照されたい。重ねて、先述の通り東が徹底した「唯物論者」を自認していること、また人間が見出す超越論性について、ハーバート・サイモンの「認知限界」を例示しながら経験的なネットワークが超越論性を見出すという考えを述べている[76]ことにも留意の上、東の形而上学と超越性、超越論性の理解の詳細については、東の専門である言語哲学とコミュニケーション理論の観点から論じられた主著『存在論的、郵便的』を参照されたい。
自らの哲学の原点を二元論であるとする。その二元論は、東の哲学の主著である『存在論的、郵便的』において、「誤配」という概念を提示し語られた、二つの超越論性に示される。またその二元性は、『一般意志2.0』において、人間の人間性の原理における言語的コミュニケーション(熟議)による「人間的単数的公共性」とともに、動物性の原理を介して憐れみの海から「誤り」により起こる「動物的複数的公共性」の議論が展開されていることに直結する(#哲学を参照)。また『動物化するポストモダン』で語られた「動物化」も、その二元論の議論による概念である。東は、著書『一般意志2.0』を、非常にコンセプチュアル(概念的)な書物だとしている[60]。「誤配」は、東にとって、『存在論的郵便的』以降『一般意志2.0』なども含めたあらゆる仕事において、その二元論の中核となる、非常な重要な概念である。
「誤配」を重要な概念として語られる、単数的な超越論性に対する複数的な超越論性の議論は、無論『存在論的、郵便的』の目的であるジャック・デリダの哲学に対する読解から導き出されたものであるが、同時に東浩紀は、フェリックス・ガタリの著作を非常に重要視している。それは、ガタリの有名な著作である『分裂分析的地図作成法』への言及である。東はガタリが著作内に示した「四つの存立性の区域」に関する図表[77]を重要視する。そこでは、「現実的」対「可能的」の対立と「実在的」対「潜在的」の対立という二つの対立の交差により構成される四区域が示されている。
私たちは前章より一貫して、「不可能的なもの」、非世界的存在、つまり超越論的対象を複数的に捉える思考の可能性について考察してきた。ガタリの図式がその観点から注目されるのは、そこで彼が超越論的な区域をも「現実的」と「可能的」の二つに分けていたからである。 — 東浩紀、『存在論的、郵便的』新潮社、1998年、202頁
……ガタリの「分裂分析」が、現実的でないもうひとつの超越論性の区域を提案していたことはきわめて示唆的である。それはまさに本書がいままで示唆してきた領野、「不可能的なもの」が複数的に構成される、いわば複数的な超越論性の領野を指示すると思われる。 — 東浩紀、『存在論的、郵便的』新潮社、1998年、203頁
ガタリの「分裂分析」が東浩紀に与えた影響は大きく、國分功一郎との対談では、『存在論的、郵便的』から十三年後に発表した自身の著作『一般意志2.0』において言及している「動物的公共性」と「人間的公共性」、そして「動物的市場」と「人間的市場」(最後の「人間的市場」については『一般意志2.0』において言及されているものではなく、『震災ニッポンはどこへいく』の中で「あるかもしれない」と述べられているのみ)などの区分は、ガタリの「分裂分析」を捉え直したものだと明言した[60]。また、東浩紀が編集している『思想地図』の誌名は、ガタリの『分裂分析的地図作成法』に由来している[78]。
東は、「合理性と欲望のあいだに張り渡された綱としての人間」という自らの哲学における人間観について、「ニーチェは「人間とは動物と超人のあいだに張り渡された綱である」とどこかで書いているけど、ぼくはその箴言に忠実に哲学をやっているつもり」と説明したこともある[79]。
2012年、國分功一郎との対談の中で、今日この時代における「哲学の自己証明」の必要に言及した。哲学の有用性を市民に対し証明し続けていた古代の哲学者ソクラテスを取り上げ、彼のような人物が哲学者のスタート地点だとしつつ、「今、哲学がなぜ必要なのか」、「哲学の自己証明が必要だ」と述べた。また、言論人としての姿勢と物書きとしての欲望の大きさについて言及し、10年や20年の社会変化だけを見て話をする「つまらない」論壇にはもう興味が無いとし、500年や1000年、2000年単位で歴史を見ながら物事を考えたいとしている。また、自らの仕事については「消費社会と情報化社会が可能にした新たな社会思想を作りたい」と表明しつつ、そのことを著書の『一般意志2.0』と絡めて語った。その後行われた梅原猛(哲学者)との対談の中でも、歴史の話がなされている。梅原との対談の中で、2011年の東北地方太平洋沖地震に伴う福島第一原子力発電所事故を「文明災」と位置付けた梅原の議論に対し、特に文明の長い歴史から考えるという点に賛同し、現代の文明を創り上げてきた西洋哲学の歴史的な再検証の必要性と、西洋哲学を超克した先に日本においてだからこそできる新しい哲学というものへの展望について期待と意欲を示した。このことについてはこの対談をする以前に、先述した2月時点の國分との対談でも既に言及しており、エジプト文明では太陽が神であったにもかかわらずギリシア以降太陽が忘れ去られてきたその長い歴史にまで言及して太陽エネルギーを語る梅原猛を賞賛し、やはり長い歴史から物事を考える必要があることを強調している。また、どちらの対談においても、「人間の欲望」の重要性について言及している。(國分との対談について[60])
上述のような経緯もあり、日本の哲学界における梅原の存在を非常に高く評価し、尊敬している[80][81]。
東浩紀はフランス哲学の研究者として知られるが、社会思想については、ローティ『偶然性・アイロニー・連帯』、ピーター・シンガー『実践の倫理』、ノージック『アナーキー・国家・ユートピア』など、英語圏の思想に傾倒する。東浩紀は自身の社会思想について、そういった英語圏の伝統がフランス現代思想系ポストモダンの「上」に載っかっているとしている[82]。
また、高橋哲哉や鵜飼哲などの研究者がジャック・デリダの思想を援用しつつ左派系の社会思想を展開していることについて、デリダ研究者でもあった東浩紀は、そういった社会思想や社会運動そのものは良いとしながらも、それらとデリダ哲学を結びつけることには論理的な飛躍があるとし、非難している[83]。
また東浩紀は、ジル・ドゥルーズに関する研究を踏まえて社会運動を展開する國分功一郎についても、社会運動そのものは良いがそれとドゥルーズ哲学は結びつかないのではないかとし、同様の指摘をしている[83]。
社会思想に関わる東浩紀の哲学概念の中で、一貫して非常に重要な概念となる「動物化」は、その著書『動物化するポストモダン』(2001年)において提示されたものである。アレクサンドル・コジェーヴが著書『ヘーゲル読解入門』において示した欲望と欲求の差異に基づく人間と動物の定義を引用しつつ、東浩紀は、独特の行動様式を持つと考えられていたおたく文化圏を分析素材にしつつ、現代社会における人間の様態を、「動物化」、「データベース消費」といった概念を提示することで論じた。人間性と動物性の二項対立は、『動物化するポストモダン』以降東浩紀の人間観における中核をなし、他のあらゆる議論に通底している。東浩紀を引用しながら同じく「動物化」を論じた國分功一郎(『暇と退屈の倫理学』を参照)との対談の中で、東浩紀は、その人間観において「常に人間の原理と動物の原理は同時に動いている」、「人間と動物、両方あるのが本当の人間である」と発言し、二元論を強調している。これは、一元論で思考する國分が、一元的秩序の中に動物と人間を並べ、人間の生成を論じているため、その哲学の原理的な差異を説明した発言である。人間の原理と動物の原理の二項対立によって語られる「動物化」の議論は、後に『一般意志2.0』(2011年)において語られる人間的公共性と動物的公共性の対に受け継がれるものであり、遡れば『存在論的、郵便的』(1998年)において語られた単数性と複数性の対としての二つの超越論性の二項対立に通底するものであり、このように、東浩紀の議論は、一貫して二元論に従っている。東浩紀は、「哲学的に言えば、弁証法が生み出す単数的人間的公共性に対抗して、<「誤配」が作り出す「動物的複数的公共性」を考える>というのが「一般意志2.0」の構想で、これは存在論的郵便的と動物化するポストモダンの完全な延長にあるプロジェクトです。」と発言し、『存在論的、郵便的』、『動物化するポストモダン』、『一般意志2.0』の三つの仕事の関連について説明している[84]。
2002年、「情報自由論」[85][86]と題する論考を『中央公論』(2002.7~2003.10)に連載していた。当初、東は、同書を「『動物化するポストモダン』と対をなし、東浩紀の現代社会論の中核」であるとし、規律訓練型権力(人間の「人間的」「主体的」部分に焦点を当てた管理手法)は近代の時代を、環境管理型権力(「動物的」「身体的」部分に焦点を当てた管理手法)はポストモダンの時代を特徴づける歴史的な概念としていたが、情報社会論と社会思想における東自身の立場の転換から、自由に関する議論自体の再考を余儀なくされ、「情報自由論」の単独での書籍化は断念された。同論考は、『情報環境論集東浩紀コレクションS』に掲載されている。書籍化の断念については、波状言論「情報自由論」において東自身の説明と、論文の全文が掲載されている。
「情報自由論」での挫折を経て以降約十年の歳月をかけ、東は2011年に『一般意志2.0』を出版した。出版後の國分功一郎との対談の中で東は、1998年に『存在論的、郵便的』を出版して以来十数年が経ち、様々な経験を経た上で、そもそも自身の哲学の原点である『存在論的、郵便的』で構想していたもの、「誤配」の概念や二つの超越論性など、自身の哲学の原理が、再びそのまま社会思想として立ち返ってきているという感覚があると語っている。そして、『存在論的、郵便的』の内容を翻訳していくとそのまま『一般意志2.0』になるとも語っている[60]。國分功一郎も、『一般意志2.0』には、『存在論的、郵便的』で語られた「郵便」、『動物化するポストモダン』で語られた「データベース消費」というものがそのまま受け継がれ、また「情報自由論」での失敗の経験が反映されていると、書評において分析している[87]。『一般意志2.0』は、前節「哲学の自己証明」にも述べた通り、『動物化するポストモダン』以降彼が構想していた、消費社会と情報化社会が可能にした社会思想の一つの例でもある。そこで語られていることは、ジャン=ジャック・ルソーの時代には全く知られ、または想定されていなかった哲学的概念や科学技術(ジークムント・フロイトの集合的無意識やクリストファー・アレグザンダーの都市計画理論など、あるいはインターネットとそこに展開されているSNSなど)を用いて、ルソーのテクストとそこに示される一般意志の解釈を試みている。このことについて、東は同書本文中に「そのような蛮勇は、一般に学問の世界では許されない」ことを自覚する旨を記し、「本書はあくまでもエッセイである」としている[88]。また東は、このように古典を「現代的」に読み直すという取り組みについては、かつての師である柄谷行人から学んだものであり、『一般意志2.0』は柄谷から受けた宿題への回答のつもりでもあるとしている[89]。
『一般意志2.0』において、東は、自身の二元論哲学と動物化の概念から、動物的な「憐れみ」によるセーフティーネットを公共性(動物的公共性、誤配によって起こる公共性)と解釈し、動物的公共性なるものを提示している。これまで社会哲学や政治哲学が専ら対象としてきた人間的公共性とともに、それと同時に動物的公共性も活用していくべきだという主張を行う。そこで、公共圏の生成には人間的な言語的コミュニーケションが欠かせないとしているアーレントとハーバーマスを批判的に引用している(東の視点では、アーレントやハーバーマスは、公共性の議論において、人間的公共性のことしか考えていない。動物的公共性についても同時に考察するところが、東のオリジナリティとなる)。また社会道徳、倫理について、東は、カント主義のような「普遍的」な道徳ではなく、「あくまでも目の前の存在に対する個別の憐れみ」を重視するべきだという議論を、ルソーやローティを引用しながら展開している[90][91]。東は『一般意志2.0』の第一三章において、ルソーの「憐れみ」とローティの「アイロニー」を引用し、両者の議論について、非常に近い社会形成観があるとした。また、東自身も、ルソーやローティの議論と同じく、実践的な倫理は、目の前の存在に対する憐れみ、想像力であるべきだと主張する[90][91]。また、ヘーゲルが想定していたような「絶対精神の具現化としての国家」は実践的に機能しないとも、東は発言している[60]。
『一般意志2.0』は以上のような内容を持つが、一般にルソーはロールズの政治哲学[92]に繋がると解されるものであり、東浩紀のようにローティに接近させることは独自性のある特異な解釈である。東は主流の思想史解釈に対し自覚的かつ意図的にカウンターをあてているのである[93]。
21世紀初頭における、Twitterというメディアと、そのコミュニケーション(あるいはコミュニケーション不全)の形態の登場を、東浩紀は、思想史的、特に言語哲学的に非常に重大な事件と捉えている。『一般意志2.0』においても、「憐れみのネットワーク」の具体例として、Twitterというツールについて度々言及している。同書出版より少し前(2011年初頭)に東浩紀は、もしも自分がいま大学院生であればデリダ、ウィトゲンシュタイン、クリプキなどの理論を用いてTwitterと言語哲学に関する論文を書いていただろうという旨の発言をしている[94]。また、「討議的理性とか近代的公共性とかの権化」のようなユルゲン・ハーバーマスがもしもTwitterを一瞬でも触ったならば、その事実だけを以て十分に思想的事件だろうとも発言している[95]。
2017年、東は『存在論的、郵便的』、『一般意志2.0』などで展開した議論を踏まえ、『観光客の哲学』を自らの出版社ゲンロンから刊行した[96]。
東浩紀は、『弱いつながり』の序文に当たる「はじめに」において、次のように説いている。
ぼくたちは環境に規定されています。「かけがえのない個人」などというものは存在しません。ぼくたちが考えること、思いつくこと、欲望することは、たいてい環境から予測可能なことでしかない。あなたは、あなたの環境から予測されるパラメータの集合でしかない。……しかしそれでも、多くのひとは、たったいちどの人生を、かけがえのないものとして生きたいと願っているはずです。……ここにこそ、人間を苦しめる大きな矛盾があります。……それは哲学的に言えば「主観」と「客観」……の違いということになりますが、……みないちどは感じたことがある矛盾ではないかと思います。その矛盾を乗り越える……有効な方法は、ただひとつ。……環境を意図的に変えることです。 — 東浩紀、『弱いつながり』幻冬舎、2014年、「はじめに」9~11頁
東は、『弱いつながり』において、「観光客」という概念を提出し、「観光客」という生き方を提案する。人間は、環境の産物に過ぎない。Googleが、その人物の過去の検索履歴や閲覧履歴から、思考や行動を予測しているように、その人物の人生は環境から予測可能であり、その上、その環境に閉じ籠もっている限り、その人物は、その環境の規定から外れた人生に移行することができない。そこで、東は、「観光客」として旅に出ることで環境を意図的に変え、「非日常」たる観光の中、自分が「村人」として暮らしている「日常」では得ることのできないノイズに晒され、新しい検索ワードを得ることを説く。「観光客」になることによって、自分が自分の属する場所の「村人」であることを忘れないながらに、しかし「村人」であることから一時的に自由になることができる。「観光客」は「旅人」でもない。ある一箇所に留まる「村人」と、留まることなく移動する「旅人」と、その二つの間を「無責任に」往復する人間を、東は「観光客」と定義する。そして、その旅にも決して過剰な期待はせず、あくまでも偶然性に身を委ねることを説く。
東浩紀の哲学は先述のように二元論を基礎としている。『存在論的、郵便的』では「郵便空間」と「誤配」の概念、二つの超越論性について説かれ、『動物化するポストモダン』では二つの原理にかかわる「動物化」について説かれ、『一般意志2.0』では「人間的公共性」と「動物的公共性」について説かれた。人生論と明記された『弱いつながり』では、東が旅先で思索した人間についての考察を軸に話を進めながら、「記号」と「記号にならないもの」、「言葉」と「モノ」、「必然性」と「偶然性」、「強い絆は計画性の世界」と「弱い絆は偶然性の世界」等々の二項対立が書き出されていき、その間を移動する存在として「観光客」が説かれる。その要所要所では、先行する著書に説かれた哲学の問題意識とのかかわりを説明している。東は「弱さ」や「偶然性」の大切さを確認した上で「偶然性に身を曝せ」と書いている。記号のみによって作られているインターネットへの接続を維持したまま、観光旅行という形で一定以上の時間をかけて体を移動させ、記号にならないものに触れよう、という『弱いつながり』の内容は、そのための行動について述べているものである。また、ある親からある子が生まれる偶然性について語り、人生の基礎にある偶然と、弱い絆としての親子関係についても述べられている[97]。
『弱いつながり』の思想について、紀伊國屋じんぶん大賞受賞時の次のようなコメントを発表している。
本書でぼくが訴えたかったのは、ひとことで言えば、「哲学とは一種の観光である」ということです。観光客は無責任にさまざまなところに出かけます。好奇心に導かれ、生半可な知識を手に入れ、好き勝手なことを言っては去っていきます。哲学者はそのような観光客に似ています。哲学に専門知はありません。哲学はどのジャンルにも属しません。それは、さまざまな専門をもつ人々に対して、常識外の視点からぎょっとするような視点を一瞬なげかける、そのような不思議な営みです。ソクラテスの対話編には、哲学のそんな本質がすでに明確に刻まれています。しかし、そのような観光客的な知のありかたは、現実の観光産業の隆盛とは対照的に、いまの日本ではもっとも蔑まれ、憎まれるものになってしまっています。メディアは専門家に支配されています。そして大衆はつねに答えを求めています。日本をよくするのはどうすればいいのか、いつ結婚しいつ子どもをつくればいいのか、格差社会で生き抜くにはいくら貯金すればいいのか、無数の専門家が無数の答えを提供しています。けれどそのような答えに疑問を投げかけ、立ち止まらせる言説は必要とされない。
……(中略)……
哲学は役に立つものではありません。哲学はなにも答えを与えてくれません。哲学は、みなさんの人生を少しも豊かにしてくれないし、この社会も少しもよくはしてくれない。そうではなく、哲学は、答えを追い求める日常から、ぼくたちを少しだけ自由にしてくれるものなのです。観光の旅がそうであるように。 — 東浩紀、紀伊國屋じんぶん大賞2015受賞コメント
自身の半生については2019年に振り返って以下のように述べている。
ぼくは平成の批評家だった。それは、平成の病を体現する批評家であることを意味していた。だからぼくは、自分の欲望に向きあわず、自分にはもっと大きなことができるはずだとばかり考えて、空回りを繰り返して四半世紀を過ごしてしまった。ぼくは新元号では、そんな空回りを止めて、社会をよくすることなど考えず、地味にできることだけをやっていきたいと思う。それはおそらくは、批評家の資格をなくすことを意味している。敗北主義で冷笑主義で現状肯定だと批判されることを意味している。おまえらがそんなヘタレだから日本はこうなったんだと、若い世代からは非難されることも意味している。けれども、もう偽りの希望はうんざりだと、平成という病を生き抜いた四七歳のぼくは心の底から思っている。
そして、その疲労は、きっと、ぼくと同世代の多くの日本人が共有しているはずだとも思うのだ。ひとの人生は無限ではない。 — 東浩紀、[32]
2002年7月に『新現実』(大塚英志と共編)、2003年9月には『ファウスト』(太田克史編集)、といったサブカルチャー系、あるいはライトノベル系文芸誌の創設に関わり[98]「これからは、アニメがオタク的想像力の中心を占める時代は終わり、ライトノベルとゲームの交差点にある新しいタイプの小説がその位置を占めることになる」と述べた[99]。
東浩紀は、サイエンス・フィクションのファンであり、SF作家小松左京を特に敬愛している。東が小説家活動と平行して行っている思想家としての活動にも、小松からの大きな影響がある[100]。例えば、社会思想・社会哲学の論考『一般意志2.0』には、小松左京作品である『神への長い道』からの引用がある[101]。そして、自身もSF小説家としての道を進むことになった。同時に文芸批評家としては、著書『セカイからもっと近くに』において、小松左京についての論考を書いている。
また、東浩紀は、新井素子も敬愛している。特に中学生時代にのめり込み、作家として同じ仕事に携わるようになってからもまともに顔を見て話すことができないほど尊敬しているという[102]。東浩紀は、新井素子について、「新井素子という作家はぼくにとっていささか特別な存在で、彼女の作品を高く評価しているのかそうでもないのか、自分でもよくわからない。(中略)合理的判断を超えた影響力をぼくにもっている感じがする」と語っている[103]。小松左京とともに、東は、著書『セカイからもっと近くに』において、新井素子についての論考を書いている。その他、様々なサイエンス・フィクションからの影響がある。
1990年代から2000年代前半に流行していた美少女ゲームのファンでもあり、泣きゲー作家の麻枝准を非常に高く評価し、これを批評する同人誌『美少女ゲームの臨界点』も制作した。東浩紀最初の単著長編小説であり、三島由紀夫賞を受賞した『クォンタム・ファミリーズ』は、麻枝准率いるKeyの諸作品がなければ存在しなかったとまで言う[104]。文芸批評家としての側面も持つ東浩紀は、麻枝准と美少女ゲーム文化を文学史に残す試みに意欲を見せることもあった[105]。美少女ゲーム作家において、文学史的に価値のある作家として、麻枝准と竜騎士07の2人を特に高く評価している[106]。
2007年10月には『新潮』に桜坂洋との共作で『キャラクターズ』を発表。これが、東浩紀の処女小説作品となる。『キャラクターズ』は、筒井康隆の『大いなる助走』のパロディ作品として構想されたものである[107]。その後、2009年には『クォンタム・ファミリーズ』を刊行し、前述のとおり2010年第23回三島由紀夫賞を受賞した。『クォンタム・ファミリーズ』は平行世界を扱ったサイエンス・フィクションであった。『クリュセの魚』は、火星を舞台にしたサイエンス・フィクションである。『パラリリカル・ネイションズ』は、高校生が7世紀頃の飛鳥浄御原宮にタイムスリップするサイエンス・フィクションである。平安時代以前の日本史に関心を持った東浩紀は、梅原猛の著作などを読んだ上で、この作品を構想した[108]。
東浩紀の小説作品は、非常にスペキュレイティブ・フィクション的であり、本人もそのことを自覚し、できるだけ幻想的で現実性のない「思弁小説」を書いていきたい旨を表明している[109]。
猪瀬直樹を支持し、2012年東京都知事選挙の街頭演説では応援に立った[110][111]。東は、猪瀬直樹が、「政治家」としてではなく、あくまでも「作家」であり、「文学者」の立場として、その活動として、政治の場にいるという態度を表明している点について、思想的に評価し、また好意を寄せている[112][113]。2013年、猪瀬が徳洲会から資金提供を受けていたこと(虚偽記載による公職選挙法違反)が発覚した際にも、東は「本丸は石原と徳州会の関係であり、猪瀬問題は目眩ましにすぎないわけで、むろんそんなのに巻き込まれちゃった猪瀬氏が政治経験が浅く未熟だったのはたしかかもしれないけど、都知事としては手腕あったんだからこんなところで辞任させるのは都政にとって百害あって一利なしだとぼくは思います」と発言し、前知事石原氏の資金関係をこそ問題視すべきとするとともに、彼を擁護していた[114]。ただし、猪瀬は議会で追及された末、その後まもなく辞職に追い込まれている。
現行の日本国憲法に関しては改憲論者である。第9条についても、自衛隊の必要性を自明とし、自衛隊の違憲性を解消するべく明確な記述を求めて、改憲派の立場をとっている[115]。
2012年には、自らが編集する『思想地図』(『日本2.0』)において、白田秀彰、境真良、楠正憲、西田亮介らとともに新憲法草案を執筆し発表した。その「新日本国憲法ゲンロン草案」は、書籍掲載だけではなくインターネット上にも公開されている[17][注釈 13]。
改憲を主張する一方で、自由民主党などの保守勢力による改憲案には明確に反対しており、右派の、自衛隊を超えて「国防軍」に傾倒するタカ派的性格や伝統的家族論を条文に盛り込もうとする姿勢に、東は反対している[116]。「両性の合意」の文言で婚姻を異性婚に限定している日本国憲法第24条なども含めて家族のあり方や個人の生活のあり方を国家が規定するような条項は憲法からなくすべきだとし、家族形態や、ライフスタイル、価値観などについては国家が介入すべきではなく個人の自己決定を尊重するべきだとしている[117]。東らによる「ゲンロン憲法草案」においては、婚姻などについて一切触れていない。リベラルな勢力が護憲に固執する硬直的な現状に苛立ち、リベラル側が積極的かつ柔軟に改憲案を出していく必要性を説いている。
憲法学者の小林節は東浩紀発案の「新日本国憲法ゲンロン草案」を高く評価し、「事実上の大統領と天皇制の両立、侵略戦争の放棄と自衛隊の両立、住民代表議会に対する真の賢人会議による牽制、広範囲な人権保障と人権制約の基準の明確・厳格化、真に実用的な地方自治制度の提案等、まさに、目から鱗が落ちる試案である」と述べている[16]。
2017年、第48回衆議院議員総選挙では、自民党の安倍内閣による解散を解散権の乱用とみなし、「今回の総選挙は民主主義を破壊している」「今回の選挙はくだらなさすぎる」として「積極的棄権」を行うよう訴えた[118]。そもそも東は、それ以前にも、2014年に「……選挙前になると毎回繰り返される「白票とか棄権には意味がない」的な話ってのは本当なのかどうか、…(中略)…いちど政治思想史的にまじめに辿ってみたいと思う。ぼくの予感では、歴史的にも思想的にも意味はあるんじゃないかと思う」と表明するなど、積極的棄権の政治思想的意義について言及している[119]。
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