東海自然歩道(とうかいしぜんほどう)は、東京都八王子市高尾の「明治の森高尾国定公園」から大阪府箕面市箕面の「明治の森箕面国定公園」までの11都府県約90市町村にまたがる長さ1,697 kmの長距離自然歩道である[1]。 自然遊歩道は、いくつも点在する関係自然公園のなかを通過しており、起点にある明治の森高尾国定公園や、終点にある明治の森箕面国定公園のほか沿線には、富士箱根伊豆国立公園(神奈川・山梨・静岡県)、丹沢大山国定公園(神奈川県)、天竜奥三河国定公園(長野・静岡・愛知県)、揖斐関ヶ原養老国定公園(岐阜県)、飛騨木曽川国定公園(岐阜・愛知県)、愛知高原国定公園(愛知県)、鈴鹿国定公園(滋賀・三重県)、室生赤目青山国定公園(三重・奈良県)、大和青垣国定公園(奈良県)、琵琶湖国定公園(滋賀県)がある[2]。
1969年(昭和44年)、厚生省(後に担当部局は環境省に継承)が長距離自然歩道を作る事を提案し、1970年(昭和45年)から関係自治体の協力のもとに整備が始められ、1974年(昭和49年)7月に完成した[3]。
東海自然歩道の構想は、1969年(昭和44年)の年頭において厚生省の施策として発表された。 各地方のインフラ整備や都市の過密化が急激に進められ、四大公害病等の高度経済成長の影の面が顕在化し始めた当時、憩いの場としての自然を見直そうというこの構想は、国民から絶大な支持を得て、以後これに倣って数々の自然歩道が整備された[4]。
東海自然歩道の企画と実現には、当時の厚生省国立公園部(後の環境庁国立公園局[4]。更に後の環境省国立公園課)に在籍していた大井道夫の尽力によるところが大きい[5]。 厚生省時代から国立公園に携わり、環境庁設立と共に入庁した大井は、アメリカのアパラチア山脈などで建設されていた自然歩道(アパラチアン・トレイル)をヒントに、日本初の自然歩道である東海自然歩道を企画し実現した[6]。 この二つの国定公園を歩道で結ぶという企画を契機として、道中の高原や湿原、峡谷等が、次々と国定公園に指定された[6]。 観光地でも僻地でもないが、自然の生態系が存在している区域を公園に指定したこの試みは、観光地としての意味あいが強かった国定公園に、保護林ネットワークとしての役割を持たせ、後の国定公園のあり方について示唆を与えることとなった[6][5]。
国土地理院の2万5千分1の地形図上には、「東海自然歩道」の表記が要所になされている[7]。
「1700キロ「東海自然歩道」が完成50年」 - 日本経済新聞2024年3月4日朝刊社会面