まつおか きっこ 松岡 きっこ | |
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![]() 『映画情報』1967年10月号より | |
本名 | 岩谷 紀公子(いわたに きくこ) |
生年月日 | 1947年2月11日(78歳) |
出生地 | 兵庫県 |
国籍 |
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民族 | 日本人 |
職業 | 女優・タレント・司会者 |
ジャンル | テレビドラマ・バラエティ番組 |
配偶者 | 谷隼人 |
主な作品 | |
映画 『武士道残酷物語』/『007は二度死ぬ』 『吸血髑髏船』/『眠狂四郎 卍斬り』 『クレージーの大爆発』 テレビドラマ 『アイフル大作戦』/『バーディー大作戦』 バラエティ番組 『巨泉・前武ゲバゲバ90分!』/『11PM』 『シャボン玉こんにちは』 『スター家族スタジオ』 | |
松岡 きっこ(まつおか きっこ、1947年〈昭和22年〉2月11日[1] - )は、日本の女優、タレント、司会者。本名は岩谷 紀公子(いわたに きくこ)[1]、旧姓は松岡[1]。
東京都出身[1][2]。池坊短期大学卒業[1][3]。テアトル・ド・ポッシュ[4]、ノンプロを経て[1]、グッドフェローズに所属。
夫は俳優の谷隼人。3人姉弟の長女(妹1人、弟1人)。身長158cm。B85cm、W58cm、H87cm(1968年8月)[4](1969年7月)[5]。
兵庫県に生まれ[6]、その後東京に移り[6]、東京と神奈川県川崎市で育った[6]。幼少の頃より劇団若草に在籍、子役として活躍。1958年、東映児童演技研修所に入所[6]。風間杜夫や本間千代子らが同期[7]。
1963年、和光学園高等部1年在学中に東映大作『武士道残酷物語』のさと役を探していた今井正監督に見出され初めて大役をつかんだ[6]。さとの許婚、野田数馬役の山本圭も初の大役[6]。その後『吸血髑髏船』やクレージーキャッツの映画などに出演。
男性誌のグラビアでは水着で巨乳を披露し、在日アメリカ軍向け新聞である星条旗新聞社発行の新聞に美貌の日本人女性として写真入りで紹介されたことがある。また1966年には、イギリス/アメリカ映画の『007は二度死ぬ』にも出演した。
レギュラー出演した『アイフル大作戦』と続編の『バーディー大作戦』では、それまでエキゾチックな美女を演じることが多かったのとは対照的にコミカルな演技を見せている。女優業の合間に『巨泉・前武ゲバゲバ90分!』『11PM』『スター家族スタジオ』や、司会者として『シャボン玉こんにちは』などのバラエティ番組にも出演してきた。1969年7月の新聞に松竹所属と記載されている[5]。
1981年に、ドラマで共演していた谷隼人(当時は「岩谷隆広」に改名していた)と結婚。以後、女優業を休業するが、バラエティー・旅番組に「おしどり夫婦」として出演。全日本女子プロレス中継の解説では「女子プロレスの母」とも呼ばれていた。
広島東洋カープの大ファンとしても知られ[8]、『11PM』の巨人・広島の録画中継の際には巨泉のフレーズをもじって「野球はカープ、司会はきっこ」で導入。1975年のカープ初優勝時には日本テレビなのに歴史上初めて他球団の優勝を祝う番組を作った[8]。またしばしば広島を訪れ、広島テレビのカープ戦のゲストとして出演した[9]。1981年秋頃には『独占!!スポーツ情報』内の芸能人模擬ドラフト会議企画にカープファンとして出演し、後に同球団へ入団する津田恒実(当時は本名の「津田恒美」)を抽選で引き当てたことがある。この時代、広島に縁のない著名芸能人でカープファンといえば、高橋慶彦と仲良しだった秋野暢子と松岡の二人ぐらいだった。
現在では通販番組に多数出演している。特技は日本舞踊[1][2]、ゴルフ[2]。