まつおか ようこ 松岡 洋子 | |
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プロフィール | |
本名 | 村國 洋子(むらくに ようこ)[1](旧姓:松岡[2]) |
性別 | 女性 |
出身地 | 日本・東京都[3] |
生年月日 | 1954年10月20日(70歳) |
血液型 | O型[2][4] |
職業 | 声優、女優 |
事務所 | 81プロデュース[5] |
公式サイト | 松岡洋子 - 81プロデュースの公式サイト |
公称サイズ(時期不明)[8] | |
身長 / 体重 | 158[6][7] cm / 50 kg |
声優活動 | |
ジャンル | アニメ、ゲーム、吹き替え、ナレーション |
女優活動 | |
活動期間 | 1970年代 - |
ジャンル | 舞台 |
松岡 洋子(まつおか ようこ、1954年10月20日[2][3] - )は、日本の声優、女優。東京都出身[3][9]。81プロデュース所属[5]。
松岡の父は男の子が欲しかったが、女の子だったためガックリきて、「こいつは男の子みたいに育てるんだ」と決意し、松岡を「松岡家の長男」として育てあげていったという[2][10]。小学校入学までは、頭は男の子のように刈り上げ、スカートは履かせてもらえずズボンを履き、男の子の遊びを教えられていた[2][10]。当時のニックネームは「ボクちゃん」で、出生時からその調子だったためだんだんその気になり、近所の人物から「洋子ちゃんは男の子?女の子?」とからかわれた際には、大真面目に「ボク、男の子!」と得意になって答えていた[2][10]。そのため、当時はおままごとといった類の遊びとは無縁だったという[2]。それが後述のクプクプ少年役に配役されることにも繋がったという[10]。
幼少期から札つきの何とかで、警察沙汰もしょっちゅうあったという[2]。ヨチヨチ歩きのころから、朝に家を飛び出すと夜まで帰ってこなかったこともあった[2]。当時は東京都港区青山に住んでいたが、遊び場の青山墓地で一度迷ってしまい、朝から夜10時ぐらいまで、1人でぐるぐる歩きまわっていたという[2]。親は真っ青になり、警察に捜索願いを出すなど大騒ぎであったという。
子供の頃から人なつっこくて、誰にもトコトコついていく子供だったため、誘拐騒ぎも一度あった。ある時、家族全員で明治神宮外苑に出かけたところ、偶然ロケ隊に出会い、それを見物していた[2]。元々チョコマカしているほうだったことから、1人両親から離れ、人並みをくぐって前へ出ようとしていたところ、知らない男が「ボク、見えないんなら肩車してあげるよ」と言われ、「ウン」と肩に乗っていたところ、しばらくしてその男がロケ隊を離れ、トコトコ外苑通りを歩き出していた[2]。なんの不審も抱かず、肩車でいい気持ちだったが、両親の方は松岡がいないことに気づいて大騒ぎになり、大声で探しはじめていた[2]。500メートルぐらい離れていたが、両親の声が偶然耳に入り、無邪気に「ハーイ」と答えると、その男は慌てて松岡を降ろし、走って逃げ出した[2]。その時ちゃんと誘惑されていたら、大金持ちの家でお嬢さんとして育てられたりして、と冗談めかして語っている[2]。
小学校の頃から習い事が好きであり、合唱団等に入っていたが、当時は運動が好きでオリンピック選手志望で、「絶対、なんかの種目でオリンピックに出るんだ」と思っていたという[2]。
中学ぐらいから、ピアノや声楽を習っていた関係上、漠然と音楽関係に進もうと考えていたが、当時住んでいた東京都港区青山から東村山市に転居し、高校3年生のギリギリまで進学するつもりだった[2]。
東京音楽学院のスクールメイツに入り[11]、芸能界に入った経験があった[2]。
本格的には活動するきっかけは都心から西武線に乗り、落合駅で見つけた俳協養成所[11]の募集の看板を何回か見ているうちにフラフラーッと「お芝居かなんかかじってみようかナァ」と考えて、明星高等学校卒業[6]前後で同養成所の1期生として入所[2]。同期によこざわけい子がいる[2]。
たくさんの生徒の中から選ばれ、第一回俳協制作のミュージカルドラマ北杜夫原作『船乗りクプクプの冒険』の主役、クプクプ少年役に当てられ、全国を巡演することになり、主役の少年役にすることに誰からも反対意見は出なかったという[10]。
当初は舞台女優として活動していたが、1977年の『若草のシャルロット』以降は声優業を中心に活動[12]。一時、俳協ミュージカルのステージの仕事が多くなったり、テレビドラマに出演しており、アニメの仕事に集中できない時期もあったという[10]。初レギュラーは1978年の『おれは鉄兵』の小畑役[2]。この時、スタジオで鉄兵役の野沢雅子からコマゴマと親切に指導してくれたという[10]。このことがとても倖せだったといい、1981年時点では野沢を誰よりも尊敬しているという[10]。初主演は1979年の『まんが猿飛佐助』の佐助役となる[10]。
以前は東京俳優生活協同組合[13]に所属していた。
1996年から1998年まで放送された『ゲゲゲの鬼太郎(第4作)』にて、鬼太郎を演じた[14]。同作品のテレビアニメにおいては3代目の鬼太郎[15]。役が決まったのはオーディションで、マネージャーが「松岡洋子だけはどうしてもやらせてくれ」と千方に言っていた[16]。それ以前は作品の名前は知っていたが見たことはなかったといい、収録に入る前は前の声優に引っ張られるのも嫌で自分なりの鬼太郎をやりたかったため過去作品はチラッと見るだけだったという[16]。2008年12月20日に公開された『劇場版 ゲゲゲの鬼太郎 日本爆裂!!』の同時公開の『ゲゲゲまつりだ!!五大鬼太郎』でも第4作の鬼太郎を演じ、過去に鬼太郎を演じた野沢雅子(第1作・第2作)と戸田恵子(第3作)、公開当時放送されていた第5作で鬼太郎を演じた高山みなみと共演し、「『歴代の役者が集まってできたらいいな』とつねづね思っていたので話がきたときには鳥肌が立ち、一緒にやれてうれしかった」と語っている[17]。
声優としては、アニメ、外画吹き替えを中心に活躍している[18]。
演じる役柄は元気な少年、内向的な嫌味な少年など色々なタイプを演じ分けている[12]。1981年時点では声の仕事に関しては、男の子役ばかりで、女の子役はほとんど演じてくれなかった[2]。一度、オーディションで何人か一緒に受けており、「つぎ、女の子の声やってみようか。」、「私も当然受けられる」と思い、やりかけていたところ、「あ、きみはいい、やらなくていい」と言われてしまったという[2]。もっとも、男の子のキャラクターのほうが、松岡自身もスッと入っていけて演じやすいという[2]。男の子として育ったことから、子供の頃から、女の子ばかり数人グループ作っており、ああいう感じ、絶対、生理的にダメだったことから男の子の心理のほうがよくわかっていたという[2][10]。1981年時点では色っぽさにも挑戦しており、子供の頃から少し髪のばすと、すぐ切られていたが、はじめて、ここまでのばしていたという[2]。1981年時点では東京都新宿区下落合の俳協のレッスン場で、レオタード姿で、ジャズダンスを激しく情熱的におどったり、ゆかた姿でしなやかに色っぽく日本舞踊をおどっていたという[10]。
家族に妹がいる[2]。
太字はメインキャラクター。