まつもと やすのり 松本 保典 | |
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プロフィール | |
本名 | 松本 保典[1][2] |
愛称 | やっさん[3]、まっちゃん[3]、まつ[3]、ほてん[3] |
性別 | 男性 |
出身地 | 日本・千葉県松戸市[3] |
生年月日 | 1960年2月7日(64歳) |
血液型 | O型[4] |
職業 | 声優、舞台俳優、ナレーター |
事務所 | シグマ・セブン |
配偶者 | 佐久間純子(声優、2011年死別) |
公式サイト | 松本 保典|株式会社シグマ・セブン |
公称サイズ(時期不明)[5] | |
身長 / 体重 | 170 cm / 67 kg |
声優活動 | |
活動期間 | 1987年 - |
ジャンル | アニメ、ゲーム、吹き替え、ナレーション |
デビュー作 |
上田(『マンガ日本経済入門』) (『へーい!ブンブー』)[6] |
俳優活動 | |
活動期間 | 1982年 - |
ジャンル | 舞台 |
松本 保典(まつもと やすのり、1960年2月7日[2][5][7] - )は、日本の声優、舞台俳優、ナレーター[8]。千葉県松戸市出身[3][7]。シグマ・セブン所属[9]。
千葉県立薬園台高等学校卒業。元々SF好きだったことから、高校生の頃までは理系一筋だったが、ある時からテレビで政治番組を見てからは世の中の動きに興味を持ち始め、官僚を志して中央大学法学部政治学科[10]に入学[11]。「政治に関わる方面に進めたら」と思いつつも厳しい現実に直面して、進路に迷走する学生時代を送っていた[11]。学生時代は競輪部のキャプテンを務め、国体出場経験もあった。しかし、腰を痛めたために退部した。
そんな中、映画『サウンド・オブ・ミュージック』を観たことで感銘を受け、下宿先の友人が全員映画好きだったこともあり、自分も「映画の制作スタッフをやろうかな」と思い立ち、映画製作を目指すようになった[11]。しかし、松本が大学を卒業する当時は日本映画界は縮小ムードに入っており、あまり良いスタッフ募集もやっておらず、その上当時は制作会社も少なく映画製作への道は険しかったため、何か取っ掛かりはないかと考えた末に「まず役者の世界に入り込めば、スタッフにつながるかもしれない」と考え、劇団に入ることを決意[11]。
卒業を間近に控えていた時に、友人から「ここ、募集しているよ」と「劇団がらくた工房(現:劇団すごろく)」を紹介してもらい、付属養成所に4期生として入所する[12][11]。そこはたまたま声優の仕事をしている役者が数多くいたが、当時は声優志望というわけでもなかったので「今から応募して間に合うなら」という意識で応募した。当初はそんな足掛かり前提でやっていけるような甘い考えが通用するような世界ではなかったことを思い知らされたが、劇団で芝居をするうちに演じることが楽しくなったという[11]。
劇団に入りたての頃は、既に大学を卒業しており就職も決まっていたことから、会社勤めと劇団通いの二足の草鞋を履く生活を送っていた。しかし、会社と劇団を両立している内に「どちらも腰掛けじゃできない。どちらかに決めてちゃんとやらなきゃいけない」ということに気付き、覚悟を決めて会社を退職し役者として生きていくことを決意[11]。入社してすぐに辞めてしまった会社には申し訳なかったとも語っている[11]。
劇団としての最初の仕事は顔出しの撮影が多く、企業が研修ビデオを作る際に「新入社員に見える年齢の人」という条件でのオファーから、当時若手だった松本がよく出演したという[11]。
当初は声の仕事はあまり縁がなかったものの、声優のアフレコ収録のスタジオ見学に行った時に、今でこそ事前にリハーサルの素材をもらったりするものの、当時は現場にいるキャスト全員でその場で一回だけ作品を観て、すぐに録音していく様子を見て驚いたという。見学者の松本も台本を借りて見てみたものの、出演者の仕事のスピードに目が追いつかず「今、どこをやっているの?」という感じでついていけなかったという[11]。その現場には野沢雅子、キートン山田を初め、錚々たるベテランが数多くおり、彼らの姿は松本からは「超人に見えた」と語っている。松本も一回だけ出演したが、本人曰く「相当ドヘタだったんでしょうね」とのことで、それ以降はしばらく声がかからなかったいう[11]。
その後も何度か声の仕事のオーディションを受けたものの、何の作品のオーディションに行っているのか分からない状態だった。そんな中、「この原稿を、この絵の感じで読んでください」と言われてその通りに読んだら、初めてオーディションに合格した。それがデビュー作となる、石ノ森章太郎原作のアニメ『マンガ日本経済入門』であった[11]。
1988年に『超音戦士ボーグマン』の響リョウ、『鎧伝サムライトルーパー』の闇魔将悪奴弥守やOVA『機甲猟兵メロウリンク』のメロウリンク・アリティと同年に放映された3つの作品で主要な役柄を演じてブレイク、その後はアニメ・吹き替え・ナレーションと多くの分野で幅広く活動している。
『サザエさん』では波野ノリスケ、『ドラえもん』では野比のび太の父親である野比のび助と2つの国民的アニメの脇役を演じている[11]。
かつてはぷろだくしょんバオバブに所属していた[1][2]。また、緒方賢一主宰の劇団すごろくにて副座長を経て、緒方が引退した後は2代目の座長を務めた。サイト「劇団すごろく」のプロフィールには「2月7日生 19歳」と表記されている。その後、2016年に退団[13]。
速水奨が企画した『Super Stylish Doctors Story(S.S.D.S)』のメンバーのひとり。
ヒーローから悪役、コミカルなキャラクターまで幅広い役柄をこなしている[11]。
吹き替えではクリスチャン・スレーターやデヴィッド・アークエット、フランク・ホエーリー、ルーク・ウィルソンなどを担当している。また過去にはライアン・レイノルズやアダム・サンドラー、トニー・レオン、ブラッド・ピット、レスリー・チャンなども担当していた。
バオバブ時代、松本の同期だった子安武人は「やっさんはね、本当に緻密なボケを飛ばすんですよ。台本が本番前にやっさんに渡ると、凄いんですよね。書き込みでいっぱいなんですよ。ストーリーには関係ないけど邪魔にならない、オリジナルのセリフで!」と評している。
番組関係で船に乗っていた時に鼻を怪我し、同乗していた看護師免許を持つ林原めぐみが手当てした。それが二人の出会いらしい。彼女は「芝居好き、酒好き、子供好き、女房好き」と評している。林原の相棒役だった『スレイヤーズ』シリーズでは、食事バトルを2人のアドリブで演じていたが特に打ち合わせはしていなかった。ラジオ番組にゲスト出演することは減っているものの、不定期に『林原めぐみのTokyo Boogie Night』と『林原めぐみのHeartful Station』の本編内で録音メッセージ告知(主に劇団すごろくの舞台告知)をすることもある。
凝り性であり、音楽を聴くにも性能のいいオーディオ機器を集めるなど、お金がかかるという。また前述の競輪に関しても、乗るとしたら自転車の部品から集めて自分で組み立てたくなりそうだから、うかつに始められないと語ったこともある[12]。
『サザエさん』のマスオの声が近石真介から増岡弘に変わった時、「マスオさんの声が変わった」と自身の中で少し違和感があったという。そのため自身がノリスケを演じることになって、見ている人がどう感じるんだろうと気になったという。自身の前にノリスケを演じた荒川太朗とは友人同士だが、荒川から継承するにしても、何をどう継承するのかわからないし、何かフワフワして自分でも定まらかった。そのため「もう自分でできることをとにかくやるのみ!!」と開き直ったと語っている[14]。
『ドラえもん』ののび助(のび太のパパ)の場合は、キャストが総入れ替えになったこともあり、前任者のことは考えず、ただ”お父さん”という部分を大事に演じていると語っている。「どう演じたってキャストが変わると違和感をもたれてしまう。ならば自分側に寄せていこうと。『サザエさん』の時にそう言う考え方になっていたし、『ドラえもん』の時にはある程度覚悟を決めてやっていた」と語っている[14]。
妻は同じく声優の佐久間純子(2011年に死別)。妹がいる[15]。
太字はメインキャラクター。
発売日 | 商品名 | 歌 | 楽曲 | 備考 |
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1996年9月21日 | VS騎士ラムネ&40炎 超天然♥未来形アルバム2 『パラレル・バケーション』 | 松本保典、根谷美智子 | 「世界は二人のためにある」 | テレビアニメ『VS騎士ラムネ&40炎』関連曲 |