枝幸郡(えさしぐん)は、北海道(北見国)宗谷総合振興局の郡。
人口11,959人、面積1,915.72km²、人口密度6.24人/km²。(2024年11月30日、住民基本台帳人口)
以下の3町を含む。
1879年(明治12年)に行政区画として発足して以来、郡域は上記3町のまま変更されていない。
江戸時代の枝幸郡域は西蝦夷地に属し、松前藩によって開かれたソウヤ場所(宗谷郡の前身)に含まれた。
江戸時代後期になると南下政策を強力に進めるロシアの脅威に備え文化4年枝幸郡域は天領とされた。文政4年には一旦松前藩領に復したものの、安政2年再び天領となり秋田藩が警固をおこない、同6年の6藩分領以降は秋田藩領となっていた。戊辰戦争(箱館戦争)終結直後の1869年8月15日、大宝律令の国郡里制を踏襲して枝幸郡が置かれた。