えもと あきら 柄本 明 | |||||||||||||||
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2023年5月3日、横浜国際映画祭にて | |||||||||||||||
生年月日 | 1948年11月3日(76歳) | ||||||||||||||
出生地 | 日本・東京都中央区銀座(旧・木挽町) | ||||||||||||||
身長 | 175 cm[1] | ||||||||||||||
血液型 | B型 | ||||||||||||||
職業 | 俳優、演出家、タレント | ||||||||||||||
ジャンル | 映画、テレビドラマ、舞台 | ||||||||||||||
活動内容 |
1974年:自由劇場へ参加 1976年:自由劇場退団、劇団東京乾電池を結成 1992年:『空がこんなに青いわけがない』で映画監督デビュー | ||||||||||||||
配偶者 | 角替和枝(1981年 - 2018年、死別) | ||||||||||||||
著名な家族 |
長男:柄本佑 次男:柄本時生 義娘:安藤サクラ | ||||||||||||||
事務所 | ノックアウト | ||||||||||||||
公式サイト | 公式プロフィール | ||||||||||||||
主な作品 | |||||||||||||||
テレビドラマ 『太平記』 『WATER BOYS』 『功名が辻』 『妖怪人間ベム』 『坂の上の雲』 『とんび』 『戦力外捜査官』 『グッド・ドクター』 『相棒』シリーズ 『監察医 朝顔』 『絶対零度〜未然犯罪潜入捜査〜』 『半沢直樹』 『未来への10カウント』 映画 『セーラー服と機関銃』 『男はつらいよ 寅次郎あじさいの恋』 『疑惑』 『シコふんじゃった。』 『Shall we ダンス?』 『カンゾー先生』 『うなぎ』 『座頭市』 『ゴジラvsスペースゴジラ』 『悪人』 『太陽の家』 | |||||||||||||||
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柄本 明(えもと あきら、1948年〈昭和23年〉11月3日[2] - )は、日本の俳優、演出家、タレント。愛称は、えもっちゃん、エモアキ。 ノックアウト所属。
東京都中央区銀座(旧・木挽町)出身。東京都立王子工業高等学校機械科卒業。妻は角替和枝、息子は柄本佑、柄本時生。安藤サクラ(佑の妻)は義娘。
母方の祖父は東京・銀座で箱屋(芸妓斡旋業)を経営していた。生家が歌舞伎座の裏手にあったこと、映画や演劇好きの両親・家族に囲まれて幼少期を過ごしたことが俳優を志すきっかけとなる。工業高校卒業後は商社に就職したが、俳優に憧れ金子信雄が主宰する劇団「マールイ」の演劇教室の生徒となり、同じ教室にいた松田優作と知り合う。
NHKの大道具のアルバイトをしていた。当時の同僚に大杉漣、小林薫、秋田明大などがいた。1974年に自由劇場へ参加。笹野高史、吉田日出子などが在籍するなかで俳優として起用されるようになったものの、串田和美の作風が肌にあわず、1976年退団し、同年に自由劇場時代に知り合った、ベンガル・綾田俊樹と共に劇団東京乾電池を結成する。その後、やはり自由劇場時代に知り合った、高田純次、岩松了らが入団。同年4月から1978年3月頃までベンガル・綾田と『ひらけ!ポンキッキ』のお兄さんを務めたことがある。特異な容貌と独特の存在感で、テレビや映画等にも出演するようになる。24歳から下北沢に住み、本多劇場のこけら落しにも出演、下北沢ザ・スズナリでも活動した。そうした縁もあり下北沢の再開発に反対する住民運動のSave the 下北沢にも招かれている。
1992年、映画『空がこんなに青いわけがない』では監督を務めている。これ以降監督作は無く、「もう二度とやりません」と語っている[3]。
1998年、『カンゾー先生』で第23回報知映画賞主演男優賞や日本アカデミー賞最優秀主演男優賞などを受賞。2004年、『座頭市』などで第58回毎日映画コンクール男優助演賞を受賞。2011年、芸術選奨文部科学大臣賞受賞。
2006年、NHK大河ドラマ『功名が辻』で次男・柄本時生と親子共演を果たした。『スタジオパークからこんにちは』でゲストとして呼ばれたときには、豊臣秀吉役の格好のままで登場。その姿で東京乾電池30年の歴史などを語った。
2012年1月には下北沢ザ・スズナリにて、劇団東京乾電池35周年記念公演、『ハムレット』に出演。
2013年8月、NHKの番組『旅のチカラ』収録のためにスタッフとともにペルーの劇団を訪れていたところ、強盗事件に巻き込まれた。強盗団は銃で威嚇しながら放送機材などを奪って逃走したが、柄本や番組スタッフらに怪我はなかった[5]。
シリアスな演技だけではなく、笑いを呼ぶ演技も得意とする。『志村けんのだいじょうぶだぁ』や『志村けんのバカ殿様』などにおける志村けんとのコントについて本人は「コントは志村さんとしかやらない」と明言している。コントでは、柄本が強烈な個性を持つボケ役を演じ(婚期を逃した四十路女性、挙動不審なサラリーマン、年増の芸者など)、志村がツッコミに徹する形で笑いを誘発するパターンが一貫して取られている。2010年代になると刑事や寺の住職など癖のある初老の男性を演じるようになった[8]。当初は面識のない志村から突然オファーを受けた上、台本には冒頭の設定しか書かれておらず、「腕試しされているようで怖かった」と語っている。一方で志村は「笑いとかやるには得な顔」という理由で、直感的に柄本にオファーを出したと明かしている[9]。
笹野高史とは自由劇場時代からの30年来の親友で、両者とも『男はつらいよシリーズ』、『釣りバカ日誌シリーズ』で何度も共演しており、どちらかがバラエティに出演した際、互いの愚痴をこぼし合う仲である。
芸能関係者とプライベートの交流をほとんど持とうとしなかった渥美清と親交の深かった数少ない芸能人である。笹野を加えた3人で連れ立って芝居を見に行ったり、バーに飲みに行くこともあったという[10]。
映画『ゴジラvsスペースゴジラ』の監督を務めた山下賢章は、柄本について「茫洋たる人物」という印象であったが、核を持っているからこそ茫洋さが輝いていたといい、視線が揺れず輝きの深浅を芝居で制していたと述べている[11]。同作品で共演した橋爪淳は、柄本はそこにいるだけで雰囲気を作っていたと語っており[12]、吉川十和子は柄本が芝居について情熱的に語っていたことを証言している[13]。
アルバム
(曲目)1:その人はなぜ、2:わたしのボサノバ、3:サラリーマンはいつでもOK、4:無題、5:池袋悲恋、6:ホワッツ・ゴーイング・オン、7:トンヤレ・サラリーマン、8:悲しいほど普通