性別 | 男性 |
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国籍 | 日本 |
母語表記 | 柳川重信 |
名 | しげのぶ |
読み仮名 | やながわ しげのぶ |
生年月日 | 1787 |
出生地 | 江戸 |
死亡年月日 | 1832、18 1 1833 |
親族 | 二代目 柳川重信 |
職業 | 浮世絵師、芸術家 |
弟子 | 二代目 柳川重信、柳川信貞、柳川国直 |
師匠 | 葛飾北斎 |
活動地 | 日本、江戸、大阪 |
活動開始 | 1804 |
活動終了 | 1845 |
主要作品 | 南総里見八犬伝、春色梅児誉美 |
コレクション所蔵者 | ミネアポリス美術館、オークランド美術館、国立世界文化博物館、ゲント美術館、ニューヨーク公共図書館版画コレクション |
作者の著作権状態 | 著作権保護期間満了 |
柳川 重信(やながわ しげのぶ、天明7年〈1787年〉 - 天保3年閏11月28日〈1833年1月18日〉)とは、江戸時代後期の浮世絵師。
葛飾北斎の門人。本姓は鈴木、名は重兵衛。雷斗、琴斎、鈴斎、雨蕉斎と号す。江戸の生まれで本所柳川町に住んでいたことから柳川を称した。北斎の門人となり師の画法を極め、北斎の長女お美与と結婚し養子となって一男をもうけるが、この息子が放蕩息子であったといわれており、後に離縁となる。このとき実家に帰ったとも伝わる。「雷斗」の号は北斎から譲られたものである。
作画期は文化から天保の頃にかけてで、作は錦絵と読本の挿絵が多いが肉筆美人画も残す。文政5年(1822年)から翌年(1823年)春ごろまで大坂に行き、「東都柳川重信」という署名で浪花名所の風景画を描いた。また役者絵も描き、上方絵の絵師らに影響を与え大坂の地で門弟を育てている。重信の美人画は葛飾派というより、同時期の歌川派や渓斎英泉の影響の強い独自の画風を持って知られたが、詰屈な点が多かった。享年46、墓所は台東区下谷坂本の宗慶寺。江戸の門人に二代目柳川重信、大坂での門人に柳川信貞(雪信)、柳川国直がいる。
作品名 | 技法 | 形状・員数 | 寸法(縦x横cm) | 所有者 | 年代 | 落款 | 印章 | 備考 |
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縁先美人図[1] | 絹本着色 | 1幅 | 89.6x31.7 | 東京国立博物館 | 「柳川」 | 「子羽氏」朱文方印 | ||
湯上がり美人図[2] | 絹本着色 | 1幅 | 111.7x33.7 | 東京国立博物館 | 1818 - 32年(文政年間後期-天保3年) | |||
美人立姿図(見返る芸妓図) | 絹本着色 | 日本浮世絵博物館 | ||||||
絵を描く美人図[3] | 絹本着色 | 1幅 | 70.1x31.7 | 島根県立美術館(永田生慈コレクション) | 1818 - 30年(文政年間)頃 | 「琴齋重信筆」 | 「宗司」朱文方印 | |
花魁図 | 絹本着色 | 個人 |