柳幸典 | |
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生誕 |
1959年5月2日 福岡県 |
国籍 | 日本 |
教育 | イェール大学大学院美術学部彫刻学科終了 |
著名な実績 | 現代美術、犬島アートプロジェクト、アートベース百島・広島アートプロジェクト |
代表作 | ザ・ワールドフラッグ・アントファーム、犬島精錬所美術館 |
受賞 | 第45回ベニス・ビエンナーレ アペルト部門受賞 |
公式サイト | 1.http://www.yanagistudio.net 2.https://yanagi-artbase.com |
柳 幸典(やなぎ ゆきのり、1959年(昭和34年)5月2日 - )は、福岡県生まれの現代美術作家。[1]
1986年から蟻を使った作品、フンコロガシのように土の玉を転がす作品など、美術のシステムの外で〈移動〉を切り口に発表を開始。北川フラムに見いだされ代官山のヒルサイドギャラリーをメインに煙によるパフォーマンス『I Feel Yellow』などを発表。 栃木県立美術館でのアート・ドキュメントでは優秀賞を受賞する。
1988年、イェール大学スクール・オブ・アート・アンド・アーキテクチャー大学院彫刻科に奨学金を得て渡米、ビト・アコンチ 、フランク・ゲーリー等に師事する。修了制作で制作した『ワンダリング・ミッキー』(1990)が優秀賞となる。大学院修了後の1990年にニューヨークのストアフロント・フォー・アート・アンド・アーキテクチャー、1991年にはロサンゼルスのLACE(ロサンゼルス・コンテンポラリー・エキシビジョンズ)で個展。この際、砂絵の万国旗を蟻が壊して行く作品『ザ・ワールドフラッグ・アント・ファーム』(1990)を発表し、アメリカの代表的美術雑誌の一つである『Art in America』の表紙になる。以降、ニューヨークにスタジオを構え国際的な活動を始める。
1993年、第45回ベニス・ビエンナーレのアペルト部門にて『ザ・ワールドフラッグ・アント・ファーム』が受賞。1996年には、サンフランシスコ湾に浮かぶ元連邦刑務所アルカトラズ島でのアートプロジェクトを実現。
湾岸戦争直前に行ったニューヨークのストアフロント・フォー・アート・アンド・アーキテクチャーでの個展「Hi-no-maru 1/36」、そしてヒルサイドギャラリーでタミヤのプラモデルの戦車を使った『セルフ・ディフェンス』(1990)、細見画廊でのウルトラマンとウルトラセブンのフィギュアを大量に並べた『バンザイ・コーナー』(1991)を発表、日本のポップ・アイコンを使用したこの『ヒノマル・シリーズ』は、日本の社会、政治、経済を分析し国家や民族のイデオロギーの問題を捉えた作品として注目を集め、村上隆や中村政人など同世代の作家に大きな影響を与える。
1992年より、Asian Cultural Councilの助成を得てPS1スタジオプログラムに招待される。同年、フジテレビ・ギャラリーで行った個展で巨大なネオンの日本国旗『ヒノマル・イルミネーション』を発表し、1992年に開館したばかりの直島コンテンポラリー・アート・ミュージアム(現在のベネッセアートサイト直島のベネッセハウス)での個展に招待される。この直島での滞在の際に瀬戸内海の離島でのライフワークを思い立ち、3年の島探しの末に明治時代の銅の精錬所廃墟がある岡山市犬島に出会い『犬島プロジェクト』を構想。ニューヨークと犬島を行き来するようになる。
1995年に犬島の精錬所遺構をアートと自然エネルギーで再生し島全体が芸術となる柳の構想による計画『犬島プロジェクト』を、株式会社ベネッセコーポレーション代表取締役社長(当時)の福武總一郎が支持し、プロジェクトの実現に動き出す。2008年、三島由紀夫が住んだ家と近代化産業遺産が一体となった犬島アートプロジェクト『精錬所』(当時)現在の『精錬所美術館』が公開。13年の歳月を要したプロジェクトとなった。後の離島を舞台とした瀬戸内国際芸術祭の先駆けとなる。
2000年のホイットニー・バイアニュアルにニューヨーク在住の外国人アーティストとして初めて蔡國強と共に選出され、ジャスパー・ジョーンズの『Three Flags』をモチーフとした『スタディー・フォー・アメリカンアート』シリーズを発表。
同年の広島市現代美術館で初の回顧展の後、9.11のアメリカ同時多発テロ事件直前にニューヨークとサンフランシスコのスタジオを引き上げて福岡県糸島市の玄海灘に面した山の北斜面に自ら設計したスタジオを構える。後にこの太陽エネルギーを利用した設計思想が犬島のプロジェクトにも引き継がれる。
日本帰国後、2005年より広島市立大学芸術学部准教授(2015年辞職)として現代表現領域を立ち上げ、広島市内にある被曝遊休施設のアートによる有効利用を目的とした広島アートプロジェクトを立ち上げる。
2010年の第1回瀬戸内国際芸術祭での犬島『家プロジェクト』では、建築家の妹島和世とのコラボレーションで柳の作品が犬島集落の3か所のサイトに展示された。
犬島でのプロジェクトの完成後、現在は広島県尾道市の離島「百島」の廃校となった旧中学校を拠点に、2012年『ART BASE 百島』を立ち上げ、尾道水道をフィールドに活動している。
2016年に横浜のBankART1929の全館を使って30年の作家活動を回顧する大掛かりな個展を開催。福島第一原子力発電所事故を取材した新作『Project God-zilla』を発表し、毎日新聞と読売新聞で年間ベスト展覧会に選ばれる。
韓国の安佐島で2025年に柳の美術館「FLOATING MUSEUM」が開館予定。設計は柳幸典率いる「YANAGI + ART BASE」が担当している。[2]
柳の活動の特徴として、長期計画によるのアートプロジェクトが挙げられる。
2008年に完成した犬島アートプロジェクト「精錬所」(現・犬島精錬所美術館)は、1995年に瀬戸内海の犬島にある銅の精錬所遺構と柳が出会ったことから始まった、アートと建築が融合した美術館を生み出すアートプロジェクトである。日本の近代化に警鐘をならした三島由紀夫をモチーフとした柳のアートは、既存の煙突やカラミ煉瓦、太陽や地熱などの自然エネルギーを利用した環境に負荷を与えない構造と一体化して、現代の日本にメッセージを発している。[3][4]
犬島アートプロジェクト発案と同時期に進められた「Field Work on Alcatraz」プロジェクトでは、かつて連邦刑務所であったサンフランシスコ沖のアルカトラズ島を舞台に、第二次世界大戦中に冤罪で国家反逆罪で収監、死刑を宣告された日系アメリカ人の川北友彌が1963年にジョン・F・ケネディによって恩赦を受けた背景と、1969年のネイティブアメリカンによる占拠などの歴史的事件に触れるサイトスペシフィック・インスタレーションを展開した。[5]
2012年、広島県尾道市の離島「百島」の旧中学校の廃校を改修し、「アーティストと協働者達による芸術を手段ではなく目的とする真剣な遊びの前線基地」というコンセプトのアートセンター「ART BASE百島」をオープン。2018年にNPO法人化して、離島の創造的な再生を目指して大型作品の常設展示、展覧会やイベントの企画、空き家再生などを継続的に行っている。[6]
2019年、韓国の南西部の全羅南道にある新安郡で「安佐島プロジェクト」が始まる。新安郡の安佐島の湖に浮かぶ美術館「FLOATING MUSEUM(仮称)」を中心に地域全体をアートディレクションを行う長期プロジェクトである。柳幸典が建築からアートまで手がけるこの美術館は、7つのキューブ型建物から成り、多島美の自然とユーラシアそして朝鮮半島の歴史を反映する柳の代表的作品が展示される。2025年に公開が予定されている。[7]
犬島アートプロジェクト「精錬所」(現・犬島精錬所美術館)を具現化した2008年以降、建築家、デザイナーや職人と協働する機会が増えたことから、柳の構想やアイデアを具現化するアートプロジェクトチームを YANAGI+ART BASE と命名。国内外の美術館の構想や設計、産業遺構や遊休施設のアートによる再生など、アートを通じて社会に貢献できるプロジェクトを展開している。 主なプロジェクトには、安佐島プロジェクト(新安郡、韓国)、入魂の宿(津奈木、熊本)、すみや亀峰庵「百代」「呼風」(亀岡、京都)、ART BASE 百島(尾道、広島)、尾道水道プロジェクト/Gallery Cafe ULTRA(尾道、広島)、小鷺島Bio-isle計画(三原、広島)などがある。[8]