根本 敬 | |
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根本敬(2017年3月26日撮影) | |
生誕 |
1958年6月28日(66歳) 日本・東京都目黒区 |
国籍 | 日本 |
職業 |
漫画家 エッセイスト |
活動期間 | 1981年 - |
ジャンル |
ガロ系 鬼畜系 電波系 因果系 ヘタウマ 不条理漫画 |
代表作 |
『生きる』 『天然』 『因果鉄道の旅』 『タケオの世界』 『ミクロの精子圏』 『未来精子ブラジル』 『怪人無礼講ララバイ』 『人生解毒波止場』 『豚小屋発犬小屋行き』 |
受賞 | 第11回みうらじゅん賞(2008年) |
公式サイト |
根本敬公式ホームページ 因果鉄道の旅とマンガ |
根本 敬(ねもと たかし/けい、1958年6月28日 - )は、日本の漫画家、エッセイスト、映像作家、コレクター、人物研究家、歌謡曲研究家、幻の名盤解放同盟員、蛭子劇画プロダクション・チーフアシスタント。
東京都出身。東洋大学文学部中国哲学文学科中退。「ガロ系」と呼ばれる、日本のオルタナティブ・コミックの作家のなかでも最も過激な作風の漫画家である。 「特殊漫画家」「特殊漫画大統領」を自称する。漫画雑誌『ガロ』を牽引していた一人であり、因果者・電波人間探訪の権威にして名実ともにサブカル界の大御所に位置する。
「因果者」「イイ顔」「電波系」「ゴミ屋敷」「特殊漫画」などといったキーワードを作り出し、悪趣味系サブカルチャーへ与えた影響は大きい。主著に『生きる』『因果鉄道の旅』『怪人無礼講ララバイ』『豚小屋発犬小屋行き』等多数。
名前は正しくは「たかし」だが「けい」と読まれることもあり、本人も許容している[1]。
1958年東京都目黒区生まれ。東洋大学文学部中国哲学科を6年かけて中退する。『月刊漫画ガロ』1981年9月号掲載「青春むせび泣き」で漫画家デビュー。以来「特殊漫画」の道を突き進み、漫画界の極北に位置する。漫画界のみならず、音楽界やアート業界にも熱烈な支持者やフォロワーを持つオルタナティブ界の最重要人物でもある。
またエッセイストとしても活躍し、因果者遍歴を記した『因果鉄道の旅』(KKベストセラーズ)を1993年に刊行、漫画以外に新たな読者を開拓する。漫画に限らず文筆や映像、デザイン、講演、装幀、出版プロデュースなど多岐にわたり活動(依頼された仕事は原則的に断らない)。幻の名盤解放同盟のチーフとしてアクの強すぎる昭和歌謡の発掘活動も行っていた。
『ガロ』1989年2・3月号より1992年4月号にかけてに連載した‟大河精子ロマン三部作”「タケオの世界」「ミクロの精子圏」「未来精子ブラジル」で精子漫画の火蓋を切る[2]。近年は、漫画よりも文章の仕事が多かったが、現在執筆中断中の作品である「未来精子ブラジル」の完成に向け、作業を再開。さらにその準備作業として『生きる2010』を執筆、青林工藝舎より上梓した。
また、近年は絵画の制作も手掛けるようになり、2016年からピカソの『ゲルニカ』と同サイズの巨大絵画を描くプロジェクト「根本敬ゲルニカ計画」をクラウドファンディングで集めた資金により行い、2017年9月に『樹海』として完成。制作の経緯はニコ・ニコルソンによるルポルタージュ漫画『根本敬ゲルニカ計画』(美術出版社)として刊行された。
東京都目黒区鷹番で小学校生活を送る。小児喘息で病弱な少年時代を過ごす。少年期から、アウトサイダー的で下品な人々に惹かれる性格であった。
漫画マニアであったが、なかでも古本屋で購入した水木しげるの『墓場の鬼太郎』に衝撃を受ける。15歳から漫画雑誌『ガロ』を読むようになり、「この雑誌になんらかの形で参加したい。それには漫画家になるしかない」と思いつめる。そんな根本の崇拝も構わず、猥雑な絵柄や陰鬱としたストーリーが持ち味の根本の作風から、当の水木は「ありゃあクソですよ、クソ!」などと受け付けようともしなかった。
大学時代、半自伝的な著書『因果鉄道の旅』にある通り、友人の中で、非常に自分勝手で下品な人物を発見。そのあまりの悪行ぶりに、のちに「幻の名盤解放同盟」を結成する船橋英雄らと、その友人宅に勝手に入り込むなどして、その悪行ぶりを「研究」してミニコミにまとめる。以後、「因果者」「電波人間」などの異常な人物や物件を「取材」することをライフ・ワークとするようになる。
糸井重里と湯村輝彦が共作した漫画「ペンギンごはん」シリーズに刺激され、『ガロ』に漫画を持ち込み一作目で一発入選、この入選作は『月刊漫画ガロ』1981年9月号に「青春むせび泣き」として掲載され、デビューを果たす。
当時のヘタウマブームに乗り『平凡パンチ』や『月刊現代』に連載を持つ。80年代での活動の場は、進研ゼミの学習誌からエロ本まで非常に幅広かった。
他にも、過去に売れなかった歌謡曲の発掘(アクの強い楽曲が多い)を湯浅学(音楽評論家)、船橋英雄と「幻の名盤解放同盟」と称して共同でおこない、P-VINEレーベルから復刻版が多数発売された。一方で、湯村輝彦の影響を受けた、ソウル・ミュージックのコレクターでもある。
1990年代以降は漫画の執筆が減り、嫌悪や憐憫を誘う、敬遠されがちな事柄を根本独自の観点で描くエッセイを執筆している。
1990年代前半に「電波系」という用語を案出し、奇妙な行動をとる人々のレポートを雑誌などに執筆、実際に「電波」を受信するという鬼畜系ライターの村崎百郎と対談を行い、『電波系』(太田出版)の共同執筆も行なった。
韓国や北朝鮮の文化にも造詣が深く、韓国では「下世話な音楽」と敬遠されているポンチャックを日本に紹介し、一時的なブームを呼んだ。
結婚後、パリ人肉事件の佐川一政の近所に引越し、友人として交流している。また、3子(下の2人は双子)の父でもある。
近年は、渋谷の「UPLINK・FACTORY」にて「根本敬の映像夜間中学」という、みずから撮影した特殊な映像を上映、解説するイベントを、毎月おこなっていたが、2020年3月で、20年間にわたった活動を終了。
根本は、著書『因果鉄道の旅』の中で「でも、やるんだよ!」という言葉を広めた[注釈 1]。これは周囲から無駄な事と思われようとも、無理だと分かっていて挫けそうになろうとも、その対象に人生を掛けて俄然と立ち向かう際の意気込みを込めたフレーズであり、1993年の『週刊SPA!』誌上にて流行語大賞を獲得した。映画評論家の町山智浩はこの言葉に影響を受け、自身の活動時に度々引用することがある。
ある意味さ、負け戦を承知で何かその大きなものに挑んでるっているようなさ、ものは感じていたわけね カウンターカルチャーでもサブカルでも何でも良いんだけれども自分たち周辺の人間たちが、それこそナリワイにしている悪趣味の連中にしても何にしても、どっか世間的な意味での成功者には成りにくいと思う 将来はもしかしたら本当に食えなくなったりとか、野垂れ死にするかもしれないけれども、でも、生きてる限りはやっぱりね、自分にはそれをやり続けるしかないんだっていう で、挫けそうになる時に「でもやるんだよ!」って言葉に支えられるんですよ、みんな
そういう人達によって、日本のね、それこそサブカルチャーは成り立ってるわけですから — 『ニッポン戦後サブカルチャー史Ⅲ』 サブカルチャーが迎えた「世紀末」より根本敬談
根本の作風は「便所の落書きが増殖したような漫画」と揶揄され、その見た目の異様さで嫌悪感を覚えるものも多く、猥雑すぎる絵柄と因果なストーリー展開で万人を全く寄せ付けない作風である。それゆえファン層も非常に限られているが、その強烈な個性を露出した表現はほかの追随を決して許さないものである。
一方で、ベネッセの進研ゼミの会員向け冊子に半年間掲載された「白馬くん」のように、少年向けの漫画も描いている。「白馬くん」の内容は掲載元が学習誌であるためか、過激な描写は控えられておりシュールなストーリーのみで展開されている。
作中には障害者や擬人化した精子が登場したり、古い死体写真をコラージュした漫画もある[注釈 2]。
スター・システムを導入しており、以下の定型キャラが存在する。
このうち、村田や吉田はパロディとして花輪和一『刑務所の中』、蛭子能収『村田の首』、山野一『四丁目の夕日』『どぶさらい劇場』などに客演したことがある。