くわの のぶよし 桑野 信義 | |
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本名 | 桑野 信義(くわの のぶよし) |
生年月日 | 1957年4月4日(67歳) |
出身地 |
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血液型 | B型 |
職業 |
トランペッター 歌手 作詞作曲家 タレント |
ジャンル |
ドゥーワップ・R&B・ジャズ テレビ番組 テレビドラマ |
活動期間 | 1980年 - |
活動内容 |
1980年:鈴木雅之らとシャネルズ(後のラッツ&スター)を結成 1986年:タレント活動を開始 |
配偶者 | 既婚(離婚歴あり) |
著名な家族 |
MASA(桑野将直)(長男) 桑野将春(次男) |
事務所 | ジャパン・ミュージックエンターテインメント |
公式サイト |
JAPAN MUSIC ENTERTAINMENT(桑野信義 タレントページ) 桑野信義&MASAオフィシャルブログ ボクらのじゆうけんきゅう おわらないなつやすみ |
主な作品 | |
テレビ番組 『志村けんのバカ殿様』 『志村けんのだいじょうぶだぁ』 | |
備考 | |
ラッツ&スターのメンバー | |
桑野 信義(くわの のぶよし、1957年4月4日[1] - )は、日本のトランペット奏者、歌手、タレント。ラッツ&スターのメンバー。愛称は桑マン(クワマン)。ジャパン・ミュージックエンターテインメント(エキサイティング・トリガー)所属。
長男はミュージシャンのMASA(桑野将直)、次男は俳優の桑野将春。
父親はプロトランペッターの先名信勝(本名・桑野信勝 1931〜2024)。祖父は軍隊でラッパ手をしていた人物で、桑野曰く「ある意味、親子3代ラッパを生業とした家」。
父は1963年に放送のテレビアニメ『エイトマン』主題歌の演奏にトランペットで参加しており、信義自身も30年後にリメイクされたOVA『エイトマンAFTER』で主題歌のトランペット演奏及び歌唱を担当している。
東京都大田区立大森第八中学校卒業。
正則高等学校卒業。ジャズのトランペッターとなった。その後、シャネルズ(後のラッツ&スター)に参加したのは、幼稚園から中学校まで一緒だったリーダーの鈴木雅之から「サックスが抜けたので手伝ってくれ」と言われたことがきっかけとなっている。
その頃、桑野は渋谷のグランドキャバレーでトランペットを吹いて月18万円ほど稼いでいたが、シャネルズはアマであり他メンバーが昼間働いていたため、桑野もそれにならってキャバレーを辞めて昼間の様々な仕事をしたが、トラックの配送業務は会社を出れば束縛されないことに気づき、凸版印刷や西濃運輸で仕事をしていた[3]。
1977年、YAMAHAの「EAST WEST'77」に出場し入賞。予選からサザンオールスターズと競い合う。
1978年にYAMAHAの「EAST WEST'78」に出場し、優秀グループ賞を受賞。
同年、大瀧詠一プロデュースによるNIAGARA FALLIN' STARSのアルバム『LET'S ONDO AGAIN』に2曲参加。
1980年2月25日、「シャネルズ」のメンバーとして『ランナウェイ』でデビューし、110万枚の大ヒット。その後に『街角トワイライト』、『トゥナイト』、『ハリケーン』など数々のヒットを生む。
1983年4月1日、グループ名を「ラッツ&スター」へ改名後に初のシングル『め組のひと』が60万枚を超える大ヒット。
1986年頃、ラッツ&スター活動休止。メンバーそれぞれがソロ活動を始める。
1987年、鈴木聖美のデビューに参加(鈴木聖美 with Rats&Star)。
1980年代後期、田代まさしと共にバラエティに進出し、1987年に放送開始した『志村けんのだいじょうぶだぁ』にて本格的なお笑いの仕事を行うようになった。
当初は「田代の付き添い」というイメージが先行したが、『だいじょうぶだぁ』の番組人気が上がると共に桑野個人としての人気も高まり、志村けんから実力を認められる仲にまでなった。『志村けんのバカ殿様』では、初代家老役を演じていた東八郎の逝去後、正式に二代目家老役として抜擢された[注釈 1]。
『ものまね王座決定戦』などで、ものまねタレントとしても活動(最初はラッツ&スターで出場、その後、田代とのコンビ出場を経て単独出場に)。
当初は田代の付き合い程度で、ものまね自体は全然似ておらず毎度一回戦敗退が当然の賑やかし的な存在だった[注釈 2]。単独出場になってからも当初は毎回、高島忠夫で出場しお決まりの「イエーイ」のポーズでフレーズを連呼するだけの賑やかし役のままだった。しかし、その進歩のなかった芸に行き詰まりを感じて考えを改め、岡千秋の唄い方を真剣に研究して『ものまね王座で披露して敗退したものの、過去最高の得点を記録し僅差勝負まで持ち込んだ。
以降、真剣に取り組むようになり、ラッシャー木村や和田勉などの代表作を生み出し、たびたび決勝まで進むなど上位争いにも喰い込む存在となった。『だいじょうぶだぁ』でも積極的にネタを掛けるなど、持ち芸として確立している[注釈 3][注釈 4]。
1996年4月22日、ラッツ&スター再集結。11年ぶりのシングル『夢で逢えたら』を発売。代々木第一体育館等でコンサートを行なう。この年NHK紅白歌合戦に初出場。
2005年、「情熱大陸Special Live」において「ゴスペラッツ」(ラッツ&スター(鈴木雅之、佐藤善雄、桑野信義)+ゴスペラーズ(村上てつや、酒井雄二))結成。2006年4月19日、デビューアルバム「ゴスペ☆ラッツ」リリース。オリコンデイリーチャートで初登場1位を獲得。
その後、タレント業のほか舞台や音楽活動などを行っている。
2019年2月にはTwitterアカウントを開設。「バカ殿様」などで見せる朴訥としたキャラクターを封印し、自身の箸の持ち方や盗難のエピソード(次項参照)を自虐ネタにするなどして話題を集めたが[4]、4月に突如それまでのツイートを全て削除した後に「スポンジノブ」名義での再スタート及びVTuberデビューしている[5]。
2021年3月28日、前年秋に大腸がんの宣告を受け、2021年2月に14時間に及ぶ手術を行ったことを明らかにした[6]。5月17日、副作用の強さから抗がん剤治療を中止することを明らかにした[7]。同月に再手術[8]。7月7日、大阪で開催された鈴木雅之のコンサートにサプライズで登場し、ステージ復帰を果たした[8]。