桓公(かんこう、紀元前754年 - 紀元前707年)は、春秋時代の陳の君主(在位前744年 - 前707年)。姓は嬀、名は鮑。文公の子として生まれた。文公の後をうけて陳国の君主となった。太子免・利公・荘公・宣公の父。陳公他の兄[1]。
- ^ 『史記』陳杞世家第六「文公元年,取蔡女,生子佗。十年,文公卒,長子桓公鮑立。桓公二十三年,魯隱公初立。二十六年,衛殺其君州吁。三十三年,魯弑其君隱公。三十八年正月甲戌己丑,桓公鮑卒。桓公弟佗,其母蔡女,故蔡人為佗殺五父及桓公太子免而立佗,是為厲公。桓公病而亂作,國人分散,故再赴。厲公二年,生子敬仲完。周太史過陳,陳厲公使以《周易》筮之,卦得觀之否:「是為觀國之光,利用賓于王。此其代陳有國乎?不在此,其在異國?非此其身,在其子孫。若在異國,必姜姓。姜姓,太嶽之後。物莫能兩大,陳衰,此其昌乎?」厲公取蔡女,蔡女與蔡人亂,厲公數如蔡淫。七年,厲公所殺桓公太子免之三弟,長曰躍,中曰林,少曰杵臼,共令蔡人誘厲公以好女,與蔡人共殺厲公而立躍,是為利公。利公者,桓公子也。」 s:zh:史記/卷036