極東軍管区 | |
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創設 | 1918年7月31日 |
廃止 | 2010年12月1日 |
所属政体 |
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所属組織 |
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部隊編制単位 | 軍管区 |
所在地 | ハバロフスク地方ハバロフスク |
上級単位 | ロシア連邦軍 |
戦歴 |
ロシア内戦 張鼓峰事件 ノモンハン事件 中ソ国境紛争 第二次世界大戦 |
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国防省 |
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参謀本部 |
軍管区 |
部隊単位 |
歴史・伝統 |
その他 |
極東軍管区(きょくとうぐんかんく、ロシア語: Дальневосточный военный округ、略称ДВО)は、ソビエト連邦軍、ロシア連邦軍に存在したロシア極東地域における軍管区、統合部隊。現在は同地域は東部軍管区の一部となっている。軍管区本部は、ハバロフスクに位置していた。冷戦時代は、対日戦、対中国戦を想定していた。
保管基地を含む軍管区内には、戦車×3,900両、装甲車両×6,000両、火砲×3,000門、ヘリ×85機が装備されている。
極東軍管区の歴史の起点は、ウスリースク戦線の赤軍大隊がカウリスキエ高地、シュマコフカ及びスパスク地区において白衛軍を撃破した1918年7月31日と考えられている。しかし、白衛軍は主導権を奪回し、1918年8月、ザバイカル地区で攻勢を開始した。年末までに、ザバイカルと極東のソビエト権力が打倒された。1918年9月から1920年3月まで、日米干渉軍に対してゲリラ戦が展開された。
1920年2月、ロシア共産党(ボリシェヴィキ党)中央委員会とロシア・ソビエト連邦社会主義共和国人民委員会議の決定により、ザバイカル州、アムール州、沿海州、サハリン州、カムチャツカ州と東清鉄道の収用地から成る極東共和国が緩衝国として建国された。同時に、赤軍に準じた人民革命軍(народно-революционная армия;略称НРА)が組織された。
1922年秋、人民革命軍は、白衛軍のコサック部隊を掃討し、日本のシベリア出兵に対してゲリラ戦を展開し続けた。1922年11月16日、全露中央執行委員会幹部会は、極東をソビエト・ロシアの一部であると宣言した。人民革命軍は、第5軍(本部:チタ)に改称されたが、1924年6月、第5軍は解散され、所属部隊はシベリア軍管区に編入された。
東清鉄道を巡る中ソ紛争に関連して、1929年、極東の部隊は、シベリア軍管区の編成から外され、独立部隊となった。1929年8月6日、ソ連革命軍事会議令により、特別極東軍(Особая Дальневосточная армия;略称ОДВА)が創設された。1930年1月1日、ソ連中央執行委員会決定により、特別極東軍に赤旗勲章が授与され、事後、特別赤旗極東軍(Особая Краснознаменная Дальневосточная армия;ОКДВА)と称されるようになった。1935年5月17日、特別赤旗極東軍に基づき極東軍管区が創設されたが、同年6月2日には再び特別赤旗極東軍に改編された。
1938年7月1日、日本との軍事的緊張の増大と関連して、特別赤旗極東軍は極東戦線(Дальневосточный фронт)に改編された。日本軍との間に同月末から張鼓峰事件が発生し、その後の9月4日極東戦線は解散した。所属部隊は国防人民委員部直属とされた。
1939年にはノモンハン事件が発生した。1940年7月1日、極東戦線が再編成された。
第二次世界大戦時、極東戦線は、部隊編制・兵員訓練のための後背地として機能し、極東から送られた部隊は、モスクワの防衛等において活躍した。「モスクワの戦い」も参照。
1945年春のドイツ降伏後、第1極東戦線と第2極東戦線が編成され、同年8月8日のソ連対日宣戦布告と共に、満洲、南樺太、千島列島へ侵攻した(ソ連対日参戦を参照)。
終戦後、再編成が行われ、極東戦線の代わりに、ザバイカル・アムール軍管区(本部:ハバロフスク)、沿海軍管区(ウスリースク)、極東軍管区(ユジノサハリンスク)の3個軍管区が編成された。
1947年5月、ザバイカル・アムール軍管区局に基づき、極東総司令官局(управление главнокомандующего войсками Дальнего Востока;ハバロフスク)が編成された。総司令官局には、極東、沿海及びザバイカル軍管区、並びに第5艦隊、第7艦隊とアムール小艦隊、極東防空管区などが従属した。
1953年4月23日、極東総司令官局に基づき極東軍管区の再編が行われ、旧極東・旧沿海軍管区は軍級部隊となり、ザバイカル軍管区が独立した。
1967年6月17日、ソ連最高会議幹部会は、旧特別赤旗極東軍の赤旗勲章を極東軍管区に継承することを決定し、同年8月10日、管区軍旗に勲章が授与された。
1995年からチェチェン共和国に部隊を派遣。
2010年、シベリア軍管区東部を合併する形で東部軍管区として再編された。
極東軍管区は、2個軍と直轄部隊から成り、空軍の1個航空軍、鉄道軍の1個鉄道軍団が配属されている。現在、カムチャツカ地域は、北東軍集団として、ロシア海軍太平洋艦隊の作戦統制下に入っている。
戦時には、軍管区内に駐屯する他省庁の軍事組織も作戦統制下に置く。
職名 | 氏名 | 階級 | 在任期間 | 出身校 | 前職 |
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司令官 | ユーリー・ヤクボフ | 上級大将 | 1999.8-2006.9 | ハリコフ親衛戦車学校 | 極東軍管区第一副司令官 |
司令官 | ウラジーミル・ブルガコフ | 大将 | 2006.9- | タシケント高等軍事戦車指揮学校 | 地上軍副総司令官 |
司令官 | オレグ・サリュコフ | 大将 | 2008.12.31- | ウリヤノフスク親衛高等戦車指揮学校 | 極東軍管区参謀長 |