極楽寺 | |
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山門 | |
所在地 | 徳島県鳴門市大麻町桧字ダンノ上12番地 |
位置 | 北緯34度9分20.34秒 東経134度29分25.25秒 / 北緯34.1556500度 東経134.4903472度座標: 北緯34度9分20.34秒 東経134度29分25.25秒 / 北緯34.1556500度 東経134.4903472度 |
山号 | 日照山 |
院号 | 無量寿院 |
宗派 | 高野山真言宗 |
本尊 | 阿弥陀如来 |
創建年 | 伝・弘仁年間(810年 – 824年) |
開山 | 伝・行基 |
正式名 | 日照山 無量寿院 極楽寺 |
札所等 |
四国八十八箇所第2番 阿波西国三十三観音霊場(東部)第21番 阿波北嶺薬師霊場第11番 |
文化財 | 阿弥陀如来像(重要文化財) |
公式サイト | 極楽寺 |
法人番号 | 5480005003417 |
極楽寺(ごくらくじ)は徳島県鳴門市にある高野山真言宗の寺院。日照山(にっしょうざん)無量寿院(むりょうじゅいん)と号す。本尊は阿弥陀如来。四国八十八箇所第二番札所、阿波西国三十三観音霊場(東部)第21番札所、阿波北嶺薬師霊場第11番札所。日本遺産第15番。
寺伝によれば、奈良時代(710年 – 784年)、行基の開基という。弘仁6年(815年)に空海(弘法大師)がこの地での21日間(三七日)の修法で阿弥陀経を読誦したところ満願日に阿弥陀如来の姿を感得したため、その姿を刻んで本尊としたといい、この阿弥陀如来の後光は遠く鳴門まで達し、魚が採れなくなったため、困った漁民たちが本堂の前に山を築いて光をさえぎったということから「日照山」と号するとされる[1]。
また、空海がその阿弥陀経を読誦した際、難産だった難波の女性が空海の加持により無事安産し、そのお礼にと木造大師像を寄進したのが大師堂の本尊である[1]。そして、明治時代に同じく大阪住吉の女性が安産祈願をし、お告げにより四国遍路に出て無事男の子を出産したお礼にと修行大師像を寄進したのが、大師堂の向かって左前に立つ安産修行大師像である。これらのことから、当寺では子授け・安産の寺として随時祈祷祈願を受け付けていて、安産お守り・腹帯を授けている[1]。
なお、天正10年(1582年)に長宗我部元親の兵火により焼失し、万治2年(1659年)に徳島藩主蜂須賀光隆によって再建されている[1]。
朱塗りの仁王門を入って右へ進むと右手に手水鉢がある。この先の千体水子地蔵を左に折れると、石段手前に仏足石がありその右手に一願水掛不動尊と観音堂があり、左に薬師堂その後に長命杉がある。その石段を上り切ると正面に本堂があり、その右奥に大師堂がある。
納経所は駐車場側の納経所(売店併設)が個人参拝者向け、宿坊横の本坊側の納経所が団体参拝者向けであったが、コロナ禍による参拝者減少のため駐車場側の納経所および売店は休業となり、本坊側の納経所で個人参拝者も受け付けている。