むとう れいこ[1] 武藤 礼子 | |
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プロフィール | |
本名 | 武藤 禮子(むとう れいこ)[2] |
愛称 | ムッチン[3] |
性別 | 女性 |
出身地 | 日本・東京府[4](現:東京都) |
死没地 | 日本・東京都世田谷区[5][6] |
生年月日 | 1935年3月1日 |
没年月日 | 2006年10月29日(71歳没) |
職業 | 声優、女優 |
事務所 | 青二プロダクション(最終所属)[4] |
配偶者 |
黒沢良(1959年 - 1967年) 一般人男性[5][6]( - 2006年) |
公式サイト | 武藤 礼子|株式会社青二プロダクション |
公称サイズ(時期不明)[7] | |
身長 / 体重 | 156 cm / 47 kg |
声優活動 | |
活動期間 | 1950年代 - 2006年 |
ジャンル | アニメ、吹き替え、ナレーション |
女優活動 | |
活動期間 | 1950年代 - 2006年 |
ジャンル | テレビドラマ、舞台 |
武藤 礼子(むとう れいこ、1935年3月1日[1] - 2006年10月29日[1][4][6])は、日本の声優、女優。東京府(現東京都)出身[4]。青二プロダクションに所属していた[4]。
幼少時代、第二次世界大戦の影響で東京から地方へ集団疎開。東京へ戻る際、開催したお別れ会で行った劇に出演したところ演技が教師の目に留まり、その教師の誘いで劇団こまどりに入団し子役として活動[8][9][10]。飛び飛びではあるが、主に放送関係の仕事を行っていた[8]。
東京家政学院高等学校[11]卒業後はNHK新人オーディションに合格し、NHKや民間放送のラジオドラマに出演[10]。テレビ草創期の頃は舞台やテレビドラマなどで女優としても活動していた。
21歳の頃、海外ドラマ『パパは何でも知っている』の吹き替えに出演し、8歳の娘であるキャシーを演じる。この時、収録現場の見学に来た男の子から「なんだ、(吹替えているのは)女の子と思ったらおばさんか」と眼前で言われたことにショックを受け、以降は役のイメージを大切にするため顔出しの出演をやめると同時に、声優業に専念する[8][12]。1977年時点ではアテレコ、アテ屋と言われるのが、嫌いだったという[11]。
その後、テアトル・エコー[10]、江崎プロダクション[9]、クリエイティブオフィスZ[9]、NPSテアトル[13] に所属し、亡くなるまでは青二プロダクションに所属していた。
2006年10月29日午後3時21分、急性心不全のため東京都世田谷区の病院で死去。71歳没[5][6]。
声種は「甘くあたたかいソフトトーン[9]」。その声質から上品な役柄を演じることが多く[15]、本人いわく「比較的優等生」の役が多かったとのこと[12]。
主に吹き替えで活動。エリザベス・テイラー[10]とジュリー・アンドリュース[16]を専属(フィックス)で担当していた[15]。また、主演女優などトップスターの吹き替えを数多く担当し、洋画全盛期は月に20本の仕事をこなしていたという[12]。アニメでは、美少女からアダルトな美女まで演じる役の幅が広かった[16]。
太字はメインキャラクター。
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