民主カレン慈善軍 | |
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ဒီမိုကရက်တစ်ကရင်အကျိုးပြုတပ်မတော် | |
民主カレン慈善軍旗 | |
指導者 | |
活動期間 | 2010年 | –
独立元 | 民主カレン仏教徒軍 |
分派 | 民主カレン仏教徒軍(サンアウン/ボピ/ジョッテの派閥) |
本部 | ミャンマーミャワディ郡区 ソンズィーミャイン(Sonesee Myaing) |
活動地域 | カイン州 |
主義 |
カレン族ナショナリズム[6] 上座部仏教[7] |
規模 | 1,500[8][9] |
上部組織 | カロートゥボー機構(Klohtoobaw Karen Organisation: KKO) |
関連勢力 | |
敵対勢力 | |
戦闘と戦争 | |
仏教旗 | |
民主カレン慈善軍(みんしゅカレンじぜんぐん、英語: Democratic Karen Benevolent Army、ビルマ語: ဒီမိုကရက်တစ်ကရင်အကျိုးပြုတပ်မတော်、略称DKBA)は、ミャンマーのカレン族系軍事組織である。民主カレン仏教徒軍第5旅団(みんしゅカレンぶっきょうとぐんだい5りょだん、英語: Democratic Karen Buddhist Army - Brigade 5、略称DKBA-5、ビルマ語: ဒီမိုကရက်တစ်ကရင်အကျိုးပြုတပ်မတော် - တပ်မဟာ 5)の名前でも知られるほか、ミャンマー政府からはカロートゥボー大隊(カロートゥボーだいたい、Klo Htoo Baw Battalion)と呼称されている。
カレン民族同盟(Karen National Union、KNU)とゆるやかに連携している。また、アラカン軍(Arakan Army、カレン州を拠点とする組織でありラカイン州のアラカン軍とは無関係)とも協働している[10]。ドーナ山脈東部・ミャワディ以南の地域を主な支配地域とし、国境貿易および通行量の徴収、スズなどの鉱物採掘・輸出および採掘権の販売を収入源としている[11]。
もともとは民主カレン仏教徒軍(Democratic Karen Buddhist Army、DKBA)の一部門であり、分裂時の指導者ラプエー(ボーナッカンムウェー)の率いる国境開発旅団(第5旅団)であった。ラプエーは、同組織が国境警備隊(Border Guard Forces、BGF)としてミャンマー軍の下部組織に再編されることに反対し、そのままDKBAを名乗り続けた[11][3]。ラプエーは、民主カレン仏教徒軍の分裂前の母体であった組織である、KNUと協力する姿勢を見せた[11]。2010年ミャンマー総選挙の最中、ミャワディ郡区の政府軍および治安部隊を攻撃した[6]。
ミャワディ以南を支配地域としていたが、2011年5月24日には、ミャインジーグーに駐屯していた、ボピ(Bo Pi)大隊長率いるBGF第1012大隊は国軍士官を追放し、ラプエー率いるDKBAに合流した。これにより、同組織の支配地域には飛び地的にミャインジングー周辺およびメタワ(Mae Tha Wor)が加わることとなった[11]。2011年11月3日に政府との停戦協定に署名したが、民主カレン仏教徒軍とは異なり、武装解除には同意しなかった[7]。ラプエーは仏教徒ではなくキリスト教徒であったため[12]、この停戦協定の後に組織名を「民主カレン慈善軍」に改称した[11]。
2014年10月21日にはチャインッセジーを拠点としていた士官のサンアウン(San Aung)がDKBAを追放された。飲酒運転をしていた彼の部下が事故を起こし、これを取り締まろうとした国軍治安当局を射殺したこと、サンアウンがDKBAからの状況説明に応えようとしなかったことがそのきっかけであるとされる。コーカレイ近郊のカウンムーを拠点としていたジョッテ(Kyaw Thet)は彼を擁護すべく、2015年3月7日にサンアウンを再び組織に迎え入れるという声明を出した[11]。サンアウンとジョッテはコーカレイ郡区内・アジアハイウェイ近郊でBGFおよび国軍と武力衝突をおこし、DKBAは7月21日付で両者が自勢力と無関係であるという声明を出した[13]。民主カレン慈善軍は10月15日の全国停戦合意に署名したが、ボピはこれに反発し、サンアウンとジョッテの離反グループに合流した。彼らは再び民主カレン仏教徒軍(DKBA)を名乗ったが、国軍およびDKBAの攻撃により多くの拠点を失い、メタワ近郊山岳地帯への潜伏を余儀なくされた[11]。
ラプエーは健康上の理由から、2015年3月15日付で引退し、副司令官のソー・モシュエが後継となった[11]。ラプエーはヤンゴンおよびシンガポールでがんの療養を続けていたが、2016年3月13日に死去した[3]。
DKBAは詐欺団地やカジノを保護していることが報告されている。
2020年、DKBA第1旅団のサイジョーフラ(Sai Kyaw Hla)准将は、2020年にシハヌークビルからメーソットに拠点を移した中国系マフィアの企業TransAsia International Companyと提携し、タイのワット・チョン・ケプからモエイ川を挟んで対岸に位置するジャウケー村(ビルマ語: ကျောက်ခက်ရွာ、中国語: 交克村)に泰昌園区と呼ばれる詐欺団地を建設した。2023年初頭にこの詐欺団地は急速に拡大し、同年末に1027作戦でコーカン地域の詐欺団地が壊滅した後、多くの犯罪組織が移動してきた。この他に、ワレーのはるか南にも詐欺団地があるとされる[14]。泰昌園区内部では凄惨な拷問や性暴力が報告されており、中国国籍とウガンダ国籍の人が殺害されたとされる。The Irrawaddy記者の質問に対して、DKBA本部は各旅団に対してコントロールが及ばないことを認め、関知しないとした[15]。
2023年後半以降、DKBAはミャワディの南に位置するパヤトンズーの行政・治安を担っている(スリー・パゴダ・パス)[16]。 2024年、カレン国境警備隊(BGF)がシュエコッコの詐欺団地を取り締まると発表した後、パヤトンズーには詐欺産業とともに大量の中国人が流入した[17][18]。ミャワディからパヤトンズーへの移送はBGFが行い、DKBAは中国人らが土地や家を借りるのをサポートする役目を負っていた。DKBAとBGFの間には何らかの協力関係が成立したと見られている。関係者によると、同年5月から6月にかけて約2,000人の中国人がパヤトンズーに流入したとされる[19]。これにより、パヤトンズーの家賃は2倍に急騰した[16]。
2024年7月、DKBAは部隊に対し、薬物や賭博などに関与しないように通達を行った[20]。